街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,奈良

【奈良県天理市・2025.3.9】国見山とは、その土地の国人(地頭、君主など)あるいはときに天皇が高台にのぼって一帯を見わたし世の平和を確認するための、その高台をふくむ山のことを指します。ネットで「国見山」と検索すると、全国に30ぐらいは同名の山があるようで、文明の利器のない時代にはとりあえずは高いところへあがり上から自分の目でみて確認していたのであろうことが察せられます。奈良県およびその周辺にも国見山という名の山は二つ三つありました。どのような意図で「大」の一字を加えたのでしょうか、その一字で大国見山は全国で唯一の山になっています。けっして大きな山ではありません(標高498m)考えられることは、非常に歴史がふるく記紀(古事記と日本書紀)にも祭神についての記述がある石上いそのかみ神宮とその元社といわれる石上神社がふもとに鎮座することから敬意の意味で「大」をつけたのではないか。そんなことまで考えてみたのですが、存外に「大奮発」とか「大サービス」ぐらいのノリで後世の人があてがっただけなのかもしれません。 天理教団から石上神宮へ 神殿とよばれる天理教本部前を通る 天理市は新興宗教の団体である天理教からその名がついた文字通りの宗教都市といえます。街を歩いていても違和感はありません。むしろ放置ごみや吸殻のポイ捨ても見当たらず、住民のマナーはきわめて良いように見受けられます。その意味では大阪市も大阪市民も... Read More | Share it now!

山登り,大阪

【大阪府千早赤阪村 2025.2.10】半年ぶりに金剛山に登りに行きます。今回は雪の金剛山、そうなると5年ぶりぐらいになります。どのルートから登ろうかと考えましたが、やっぱり一番好きなカトラ谷ルートを登ることにしました。なんども登っている金剛山ですが、前回雪の金剛山に登ったときはもっともポピュラーな千早本道だったので、「雪の金剛山をカトラ谷ルートで登る」となるとはじめての体験ということになります。こうして登る季節やルートを替えて組み合わせると、常にはじめての体験ができていつも新鮮に楽しめます。 黒栂谷道へ 左は黒栂谷道へ、右は千早本道へ 普段の休日なら99%の登山者が千早本道へ向かいますが、今日は平日でもあり氷瀑や雪景色を楽しむ目的のリピーターが多いのか1割ぐらいは左に折れてゆきます。(それでも千早本道への登山客が9割) 左はカトラ谷へ、右はタカハタ谷へ(カトラ谷へ直進する黒栂谷道からはすこし逸れています) 腰折滝の氷瀑が有名だからでしょうか、ここで8割ぐらいの人がタカハタ谷に向かいます。聞いたところでは、冬のタカハタ谷ルートは休日ともなると腰折滝の氷瀑目当ての登山者が殺到(やや大袈裟)して道幅の狭いところでは渋滞するそうです。 ところで前方で屈んでいる方は、ここでアイゼンを装着していました。ちなみに千早本道はなんとかなるかもしれませんが、雪のカトラ谷やタカハタ谷ルートではアイゼン(あるいはチェーンスパイク)は必携です。 まだこのあたりは林道の趣きです 山水がながれる一帯は一面の氷結 カトラ谷を登る 1番目の滝は左側をロープをつかって登る 2番目の滝は右から巻くように上がります この谷を遡ってゆきます/... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,兵庫

【兵庫県・西宮市~芦屋市 2025.1.30】六甲山系の東寄り(すなわち大阪寄り)に海側から登るときは西宮市または芦屋市の鉄道沿線から歩きはじめることになります。JR、阪急、阪神の3路線で行けますが、いずれにしろ降車した駅から山手に向かって歩くことになります。この場合の山手はイメージ通りの「山の手」で、なかには関西屈指の高級住宅街もふくまれています。じつはこの山の手が苦手です。理由はお金持ちが住んでいる地域だから、ではありません。お金持ちが集まって住んでいるのは一部地域で大半は平均的な庶民が暮らす住宅地です。下町との違いは、住宅地が独立しており店舗が少ない。コンビニもほとんど見かけない、規制で自動販売機すらない地域もある。すなわち不便。周囲はえんえんと住宅がつづくだけで風景に趣きがない、そのなかを急な坂道、しかも舗装された路面の固い道路が山へとむかって伸びている。楽しくもないし足は痛い。 とうことで敬遠しがちなのですが、山手の住宅地をすぎるとそこにあるのはどこにもある山。私にとっては大阪市内から往復1000円以下で行けるうえに歩きごたえのある有難い山々です。 甲山 甲陽園駅から住宅地を上がってゆく 坂道のピークで甲山が見えた 甲山の中腹にある神呪寺・仁王門 境内 境内奥の鳥居をぬけて甲山登山道がつづく 神呪寺かんのうじは神を呪のろうではなく、神呪が呪文じゅもんと同義語だそうで、ここは真言宗の寺ゆえ「真言の寺」くらいの意味合いではないでしょうか。 階段道を上がって行きます 大阪湾と、西宮~尼崎~大阪の町を見わたす 甲山山頂 甲山は標高309m、山頂こそなにもありませんが、山腹および周辺には神呪寺をはじめ多数の社寺、また甲山森林公園もあり、「歩きごたえのある散歩」にはもってこいの場所です。 北山貯水池 甲山を西へ下ると北山貯水池が見えてくる 北山貯水池を時計回りにまわる後方に六甲の山並み ふり返ると、甲山の全姿 甲山の位置づけは六甲山系の前座といったところでしょうか。独立した山で六甲山地には含まれても六甲山系にはふくまれません。これから登るガベノ城からゴロゴロ岳は、六甲山系にはふくまれますが、六甲山脈からはわかれて標高も低く海側に連なっています。※山脈(連山も類義語)が複数並行するものが山系、かたまりになっているものが山塊、ひろく一帯に山が集まっている場合は山地と呼び分けているようです。 ガベノ城 すっかり下りてしまいましたあらためて山手住宅地の舗道を上ります やっと山らしい風景になってきた 岩盤の急坂がつづきます 上の山頂あたりがガベノ城 ふり返ると、左に甲山 ガベノ城の石垣か? ここが山頂、ということはガベノ城の主郭? 本当にガベノ城なる城があったのか、帰宅してしらべたところ、ある朝日新聞の記事を見つけました。西宮市教育委員会文化財課の方の推測となっていますが、現場が城跡とは考えられない、石垣も城の防御にしては小ぶりすぎ治山目的で造られたのではないか、だれかがこの石垣をみて城と勘違いしたのでは、ということでした。朝日新聞の記事http://www.asahi.com/area/hyogo/articles/MTW20160314290690002.html ゴロゴロ岳 ゴロゴロ岳へは軽いアップダウン 見晴らしのよいところがありました ここがゴロゴロ岳山頂 写真には映らないようにしていますが、山頂一帯は保養施設のごとき建物が多数あり、とうぜん自動車で上がれる別の道がつくられていました。またゴロゴロ岳の名前の由来ですが、岩や石がごろごろあるからだろうと思っていたのですが、なんと標高が565.6m(計測当時、現在は565.3m)ということで標高から山の名がついためずらしい例です。 芦屋川へ下山 芦屋川への下山道は、 まさに岩石ごろごろ 快調に下り、 この岩場を上ると、 展望が開けます この下りは楽しかった!逆ルートでこの道をのぼってゴロゴロ岳山頂を目指すのもお薦めします。 芦屋川から六甲の山並みをのぞむ... Read More | Share it now!

山登り,富士山,神奈川

【神奈川県・横須賀市 2025.1.9】富士山がもっとも美しく見られるのは寒さが厳しくなる時期、12月から2月ということになります。一昨年から新年早々に富士山を眺めるための登山を企画していますが、今年は神奈川県にやってきました。今回のメインとなるのは箱根にもふくまれる金時山ですが、もうひとつ別の方角、異なる立地から眺められる場所として三浦半島に着目しました。さてその三浦半島、選んだのはいいものの山らしい山がない。いろいろ調べた結果、三浦半島の中では最高峰の大楠山なら山頂からは相模湾越しにさえぎるもののない富士山の全姿が望めるようなので、ここに決めました。ところで大楠山ですが、三浦半島の最高峰とはいえ標高241m、山というよりは小丘といったほうが適しているみたいです。山登りとは言わずハイキングがてら富士山をのぞむ、と表現を変えましょうか。 大楠山へ この山並みが大楠山のようです 横須賀市街にある三笠公園そばの埠頭から幕末につくられた要塞・猿島へ渡る予定でしたが、強風のため船が休航。ガックリ気落ちしてしまったので、気分転換のためにも大楠山登山口まで5kmを歩くことにしました。 自動車道の下をくぐる... Read More | Share it now!

山登り,城郭・史跡,山梨

【山梨県・大月市 2024.12.12】小山田信茂は武田二十四将に数えられるだけでなく武田家とは縁戚関係もあった譜代の家臣です。年齢的には主君の信玄が京で覇を唱えるための西上を目指すころがもっとも働き盛りで、浜松城で待ち受ける家康と徳川軍を打ちのめす三方ヶ原の戦いでは先鋒をまかされ戦勝後にはその武功を一番と評価されています。 信玄の没後には西上はとりやめたものの後継の勝頼が怒涛の勢いで周辺国に侵攻し領土を拡大してゆきます。ところが対織田・徳川連合軍との長篠の戦いで重臣らの諫言に耳を貸さず強攻したことから惨敗、これがきっかけとなって武田氏は衰退の一途をたどることになるのですが、なぜ急速に衰退したかというと、落ち目の主君に従っていても将来に利するものがないと家臣らが見切りをつけ離反していったことが最大の理由です。 信玄の娘を正室として武田氏の親族衆となっていた木曾義昌、武田の姓をつかうことを許されていた一門衆の穴山信君のぶただ(武田信君)らがつぎつぎに背き、見る影もなく弱体化した武田氏を壊滅させるべく織田・徳川・北条の同盟軍が甲州を圧迫してきます。このとき外様ながらもいまだ武田家につき従っていた真田昌幸(幸村の父さん)が自身の居城のひとつ岩櫃城へ退去することを勧めます。ところが小山田信茂が自分の領地にある岩殿山の山上にある詰城がさらに難攻不落であることを理由につよく誘ったため、勝頼としては外様の真田よりも譜代の小山田の勧誘に従う気になったのでしょう、未完成の新府城を捨て岩殿城へと向かいます。 岩殿山 岩殿山... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,城郭・史跡,花、紅葉見ごろ

【京都市・大山崎町~長岡京市 2024.11.28】天王山には過去2度登ったことがあります。山頂には秀吉が天王山の戦いで明智軍を撃破してのち本城とするためにつくらせた山崎城がありました。秀吉は主君であった信長の先見の明に触発されたのか、天下を治めるためには摂津の地に海に面して城を構えることが最良と考えていたようで、いずれは大坂城をつくることになります。その前段階でつくらせたのがこの山崎城ということになります。信長が徹底して一向宗の総本山である摂津の石山本願寺をつぶそうとしたのは、その地にみずから城をかまえる構想があったからで、信長の第一の子分であった秀吉には継承するという意図もあったかもしれません。それゆえ山崎城はあくまで「仮の本城」「暫時の本城」であったはずです。ところが山崎城を巨城と表現している記述をしばしば見かけます。仮の、あるいは暫時の本城が巨城であるはずがありません。これは確認しておく必要があると、あらためて天王山に登ることにしました。 天王山をのぼる JR線の踏切越しに天王山を見る 一般にば天下分け目の戦いと言えば天王山の戦いのように伝えられていますが、実際には天王山において干戈を交えたことはなく、その山麓の東側、淀川沿いの平地で戦いはおこなわれました。それゆえいまでは土地の名前から山崎の戦いと改められつつあります。 宝積寺の山門を入り 三重塔を横に見て 本殿横の山道を登ります なかなかワイルドな登山道です 秀吉の活躍を描いた屏風絵風の陶板画 天王山へはいくつかの登山道がありますが、この道は「秀吉の道」と名づけらています。道沿いには、秀吉が中国大返しで畿内へ駆けもどり明智光秀を討伐して天下取りの足がかりをつくる活躍を、陶板画を順に並べることで解説しています。内容は思いっきり秀吉びいきです。 展望所から合戦のあった一帯を見わたせる 合戦時の両軍の配陣 十七烈士の墓幕末の禁門の変でやぶれて自刃した尊王攘夷派の墓 途中にある三社宮 酒解神社は産土神・牛頭天王を祀る天王山の山名はこの牛頭天王に由来 ここからもう少し山道をのぼると山頂 山崎城 本丸にあたる曲輪、奥が天守台相当部か? 一段高く、天守台跡と思われる 天守台跡から下の曲輪をみる 天守台にのこる石垣跡 本丸下にある二ノ丸相当の曲輪 井戸は二ノ丸に続く小ぶりの曲輪にある 曲輪の外周にのこる土塁 山崎城に関してのこっており見られるのはこれだけです。秀吉はこの城をつくっても腰を落ち着けることなく早々に大坂城を築かせていることから考えてもやはり一時的な本城であり、ここに時間と金をかけて巨城をかまえる必然性がありません。「居城」を「巨城」と誤植したのではないかとさえ疑ってしまいます。 山崎城が巨城でなかったことは確認できましたが、これだけで下山して帰宅したのではあまりに物足りません。そこで小倉神社のある東方面へとくだり長岡京まであるいて紅葉の名所でもある光明寺を訪ねてみることにしました。 小倉神社にむかって下山 下山とはいっても山中をいったん西へ それから東へと旋回するように歩きます やがて遊歩道のような道を下ってゆきます 小倉神社秀吉が合戦に先立ち戦勝祈願をしたとか、ホンマか? 光明寺 光明寺は昨年夏にたずねて、モミジの青葉が濃密に繁茂して木陰をつくるたいへん雰囲気のよい御寺と記憶していたので今回紅葉狩りのために再訪しました。さきに結果からいいますと、青葉が3割、見頃が4割、変色または枯葉が3割、色づきが遅れているのではなくあまりに長びいた残暑のために紅葉も乱れてしまったということでしょう。それでも人出は前回の100倍ほど。※写真撮影についていえば、どこを撮ってもきれいといえるものではなく、部分部分で切り取るように撮影しました。またきれいな写真が撮れそうなところには必ず人がわんさかいて紅葉を撮ったのか人を撮ったのかわからない写真になりがちです。 総門 総門からつづく参道 参道 参道 観音堂で特別公開されていた秘仏写真撮影可とけっこう大きな字で書かれていました 御影堂... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣

【京都府・木津川市 2024.11.19】大阪市内から真東にむかうと奈良市に到りますが、そこから北へ進路を変えるとじきに京都府にはいり木津川市があります。大阪からも奈良からも京都からも簡単にいける土地です。しずかな田園風景のなかに国宝や重文をあまた所蔵する社寺が散在していますが、平日ともなると観光客を見かけることもまれです。 その木津川市に三上山という里山があります。はっきりいうと登山愛好者にもあまり知られていない山です。山腹途中に国宝の五重塔をもつ海住山寺がありますが、登山者以外は気楽に歩いてゆける場所にはなく車が必須となるため平日は参詣者もほとんどいません。さて、今日は静かな見て歩きをたのしみに行きます。 JR棚倉駅から 「お茶の京都」の広告で全身装飾の列車でJR棚倉駅へ 駅前の湧出宮参道をぬける すぐに宅地はおわり山里をあるく 竹林のなかをすすむ 竹林を歩くことが30分以上もつづきます。京都の嵐山にある竹林のように手入れされたものではありませんが、さすがにこれだけ長距離にわたって竹林を歩いたのははじめての経験です。 登山 やっと登山気分になってきました... Read More | Share it now!

山登り,奈良

【奈良県・曽爾村 2024.10.14】室生山地を訪れるのは、昨秋ススキがひろがる風景を曽爾高原に見にきて以来ですからちょうど1年ぶりということになります。今回はその曽爾高原も東に望むことのできる兜岳と鎧岳に登ります。その名からしてなんとも勇ましいというか、厳めしくさえあるのですが、室生山地にそびえる山々はおおむね標高1000ⅿ前後、またバス停は標高400ⅿ前後の谷間沿いにあり、さらにバス停から車道をのんびり歩いて登山口まで行くとそこは標高600ⅿ前後。すなわちマイカーをつかった場合にもこの登山口までは行けるので、山道登りは標高差にして300~400ⅿ程度ということになります。 兜岳へ 車道をあるいているうちに兜岳が迫ってくる 手前が兜岳、右前方に見えるのが鎧岳 ここから山道に入ります 案内板には「ハイキングコース」とあります。この登山口が標高648ⅿ、兜岳山頂が894mゆえ246ⅿ上がるだけですからたしかにハイキングと言えなくもないですが。-... Read More | Share it now!