【静岡県・伊豆の国市~沼津市... Read More | Share it now!
ダイヤモンドトレイル後半を歩くー岩湧山にのぼる
【和歌山県・橋本市~大阪府・河内長野市 2024.1.2】大阪府の南縁をつたうように5つのメインとなる山を越えてあるく、ダイヤモンドトレイル(以下ダイトレ)とよばれるトレッキングルートがあります。詳細は、奈良県の屯鶴峯(どんづるぼう)をスタートし、二上山から竹内峠を経て大和葛城山、水越峠を経て金剛山、紀見峠を経て岩湧山、そして和泉市の槇尾山へ、これで全行程およそ45kmです。トレイル名の由来は、中心になる山が金剛山で、そこから金剛石(ダイヤモンド)をイメージするとのことで、ずいぶん無理をしてつけたようです。毎年数回登山をともにする... Read More | Share it now!
観音寺城のどこが革新的なのだろうか
【滋賀県・近江八幡市 2023.12.21】観音寺城は佐々木六角氏によって造られた、通説では日本ではじめて本格的な石垣を組み入れた山城です。三好長慶が河内に築いた飯盛山城がさきに石垣を組み入れているとの説もありますが、その築城時期を比較する以前に、遺構としてのこる石垣群を見比べるならば、観音寺城を嚆矢とすべきと思ってしまいます。飯盛山城がのこる大阪府の住民でありながら地元びいきを抜きにして観音寺城に軍配を上げたくなるのですから、ここは「観音寺城こそ日本最初の石垣の城」ということにしてしまいましょう。 さてその観音寺城、歴史の上で2度の大きな戦いを経験しています。そしてそのたびに結構あっけなく開城(落城)しています。一度目は応仁の乱のさい、二度目は織田信長との戦いのさい。応仁の乱の時代には、観音寺城も巨大な要塞のようなもので石垣は取り入れていなかったでしょうから、いま見る姿は戦国時代の信長に攻城されたときのものと言えます。 繖山(観音寺山)に登る JR安土駅前の信長像、前方に繖山(きぬがさやま) 繖山登山口はたくさんありますが、そのひとつ 「石仏の道」を歩いています このあたりの岩石も石垣づくりに使われた? 繖山の山頂をのぞむ 山頂への最後の登りがきつい 手前から安土城跡、西の湖、後方に琵琶湖と比良山系 山頂からの眺望はよくありません 観音寺城・本丸跡 観音正寺にあった観音寺城縄張図より この地図でいうと、地図内には入りきらない上方(「近江風土記の丘へ」の文字の上)あたりに山頂があります。その山頂から下って、まず本丸から見て回ります。 本丸へつづく大階段 観音寺城のすぐ近くに織田信長が築いた安土城があります。(山頂につく直前に眼下を見わたした画像の、一番手前に安土城跡があります)信長は当然この観音寺城を目的は何であれ自分の目で見たはずです。安土城の顕著な特徴のひとつである石の大階段、どうやら信長はこの観音寺城の大階段を見て「めっちゃええやんか、こいつはもろとけ」と言って、安土城に採用したに違いありません。ただし信長が大阪弁を使うはずはないので、そこは尾張言葉かなにかで。 本丸 本丸にのこる石垣 虎口... Read More | Share it now!
丹波・摂津・播磨の三国を半分ずつのぞむ半国山
【京都府・亀岡市 2023.11.26】京都市の西に隣接して亀岡市はあります。亀岡市は観光で有名な保津川下りの出発地点であり、ここから舟は水流にのって嵐山まで下ってゆきます。サッカーチームの京都(パープル)サンガのホームスタジアムがあることでも知られています。もうひとつ、歴史ファンにとっては明智光秀との関わりを忘れるわけにはいきません。この亀岡には明智光秀の居城であった丹波亀山城がありました。その亀山城から北西13kmの地点に半国山(はんごくやま)はあります。たいへん見晴らしのよい山で、まるで三国をそれぞれ半分ずつ見わたせるということが(現実には丹波の半分、摂津のすこし、播磨を遠くのぞむくらいですが)山の名の由来になっています。三国の半分はさておき、ともかく見晴らしがよいのは事実で、この半国山に東からつらなる尾根にそい、ちょうど山陰道を見下ろすように、室町時代には神尾山城(かんのおさんじょう)が築かれています。築城当時は砦ていどのものだったのでしょうが、明智光秀が丹波攻略の際にここを拠点とするため大修築をほどこし、石垣もつみあげた立派な山城に仕上げたのではないかと推測されています。今日は、半国山にこの神尾山城側からのぼって山頂に立ち、音羽渓谷のハイキング道を散策しながら下ってみたいと思います。 宮川バス停からスタート 宮川バス停から山へ向かいます 宮川神社参道... Read More | Share it now!
一目千本桜の吉野山は、一目●本紅葉だろうか
【奈良県・吉野郡吉野町 2023.11.19】奈良県の東西南北ちょうど中央あたりに吉野山はあります。もっとも吉野山という単体の山があるのではなく、吉野川の南岸から南の大峰山脈へとつながる尾根筋にある山々を総称して吉野山とよびます。また大和の国から修験道を通って熊野へとつうじる、山深い地にあたるため修験者にとっては山岳信仰の聖地であり、金峰山寺(きんぷさんじ)など多数の社寺がつくられ、その修行と信仰の地を総称して吉野ともよんでいました。その意味では、和歌山県の高野山や、京都と滋賀にまたがる比叡山に近いものがあります。 ところで、吉野といえば桜があまりにも有名で、まるで桜の山のような印象がありますが、吉野山は同時に紅葉の名所でもあります。紅葉するのはおもにモミジとサクラ、特筆すべきは吉野山にあるモミジが300本ほどであるのに対して、桜の本数はざっと3万本。桜紅葉という言葉は、吉野山のためにつくられたものではないでしょうか。3万本のサクラの紅葉は、おそらく日本はもちろん世界でも吉野山でしか見られないものと思います。ところが今年は10月末まで気温が高く、モミジやカエデよりもさきに色づくサクラはじゅうぶんに葉を色づかせる間もなく、散ってしまいました。それでもモミジの紅葉が見頃となったそうなので、出かけてみることにします。 吉野山歩き 吉野山観光協会・公式サイトの地図から一部抜粋 今日の予定ですが、右下の吉野駅をスタート、上下に2本ある黄色と青色のダブルになった下の方の道を進み、途切れたところから青破線をすすんで如意輪寺へ。そこからさらに青破線をすすみ、花矢倉の手前で太い青線に合流、そこから先へ吉野水分神社、高城山をへて奥千本地区へ。青破線を一周して、花矢倉までもどり、そこからひきつづき太い青い線をくだり、竹林院、桜本坊、吉水神社をへて金峰山寺、黒門をぬけ九十九折の急坂をくだって吉野駅へもどることにします。 如意輪寺へ 歩きはじめは車道ですが、車は走っていません 左は吉野桜、右は吉野杉 吉水神社への分岐あたりから紅葉が見られる 如意輪寺へあがる石畳の道... Read More | Share it now!
紅葉と北山杉と、京都の神護寺から朝日峯にのぼる
【京都市内 2023.11.8】京都には紅葉の名所がたくさんありますが、なぜ多いのか、理由はいくつか考えられます。●盆地のため秋も深まると朝夕の気温が急に下がり、日中との気温差が大きくなる。●街中を鴨川や桂川が流れ、また周囲を山に囲まれているため、山からの渓流が多く、結果的に美しく紅葉するための湿度が保たれる。●街中の場合、高層ビルがすくないため日陰ができにくく、樹木はつねに直射日光を浴びられる。そしてなによりも忘れてはならないのは、●京の都だったころには公家が暮らしており、むかしから花鳥風月を愛でる習慣があった。そこから紅葉をことのほか美しいものとして、モミジやカエデをすすんで植えた。しかもやみくもに植えたのではなく、造園の発想でより美しくみえるように配置も考えたものと思われます。(そう思える場所がたくさんあります) さて紅葉の季節になりました。今年最初の紅葉狩りは、京都市中心街から北西に位置する高雄、そこにある神護寺をたずね、朝日峯で登山を楽しみ、下山後は高山寺に寄りたいと思います。(訳あって高山寺参詣は中止しました、理由はブログの中で) 高雄、神護寺 周山街道から長い階段を下りて、高雄橋で清滝川をわたる あれ? まだ青葉?サイトで紅葉情報をしらべて「高雄・神護寺、見頃」となっていたのに、どういうことでしょう? 神護寺へはこの長い階段を登ります 楼門は立派だが、紅葉は? 神護寺伽藍 楼門... Read More | Share it now!
ススキたなびく曽爾高原へ
【奈良県・宇陀郡 2023.10.26】奈良県の北東部、三重県との県境に室生山地はあります。この山塊の成り立ちについては、今年4月に住塚山と国見山にのぼったブログで書いていますので、今回は簡単に(前回も簡単ですが、今回はより簡単に)。1500万年前の火山活動により堆積物が積み重なり、それらが河川によって浸食され谷ができ、いまの特異な景観ができたそうです。その室生山地の中央辺りにあるのが倶留尊山(くろそやま)で、その麓に巨大なお盆のようにひろがるのが曽爾高原(そにこうげん)です。この曽爾高原はススキでたいへん有名で、おそらく関西では最大の面積を誇るススキたなびく草原ではないかと思います。ではなぜススキの名所になったのか、調べなくてもよいのに、つい興味をひかれて調べたところ、いまから50年ほど前にもともと草とススキが生えていた広大なスペースに、なにか観光客を呼べるものはないかとアイデアを出し合った結果、草を刈ってススキを増やせということになったそうです。ススキたなびく曽爾高原の成り立ちはあまりにも現実的に過ぎますが、春の新緑、秋の黄金色、どちらも訪れてみる価値はあります。 太良路バス停から曽爾高原へ バス停そばにあった案内図より抜粋 「現在地」のバス停より、濃緑の点線で記された東海自然歩道をあるいてファームガーデン前を通過、曽爾高原入口にむかいます。 バスが通る道から左へ... Read More | Share it now!
余呉湖を一周して賤ヶ岳に登る
【滋賀県・長浜市 2023.10.14】織田信長の存命中に、秀吉がみずから天下を獲ろうと企んでいたか否かはわかりません。しかし本能寺の変で信長が謀殺され、その報をうけて明智光秀を討つべく備中高松城から京へ駆け戻る段階では、すでに光秀討伐後の先のことまで考えていたかも知れません。いずれ遠からぬ将来、信長軍団のなかで家臣最高位にある柴田勝家とは、どのような形になるにせよ雌雄を決する時がくる。 それから1年と経たないうちに、両者はいまの滋賀県長浜市に琵琶湖を背にし余呉湖を腹にかかえるようにそびえる賤ヶ岳とその一帯を舞台に、まさに天下分け目の大戦をくり広げることになります。 余呉湖一周、ただし徒歩 JR余呉駅前にあった案内板より抜粋 今日の予定ですが、余呉駅から時計とは反対回りに余呉湖を一周し、最北部にある登山口から山に入り、中川清秀の陣跡などを見ながら賤ヶ岳山頂へ。賤ヶ岳リフトに沿うように下り、国道8号線かその脇道をあるいて木ノ本駅へ戻ります。 秀吉の軍は余呉湖の周囲と南側に陣を敷きます。北の堂木山、神明山あたりが前衛。東の山沿いには高山右近、中川清秀。賤ヶ岳には桑山重晴。いまの木之本駅の辺りに秀吉の本陣、その前の山麓には弟の秀長。柴田勝家の軍はさきに進軍してきますが、余呉湖のよほど手前(北)で軍をとめ陣を敷いていました。中谷山、別所山あたりに不破勝光、前田利家。行市山に佐久間盛政。地図上の街道をさらに北へ上ったところに柴田勝家の本陣がありました。 駅からのんびり農道を歩きます... Read More | Share it now!
お市が嫁いだ浅井長政の城・小谷城
【2023.9.23... Read More | Share it now!
河口湖畔から三つ峠山に登る
【山梨県・南都留郡富士河口湖町~西桂町 2023.9.18】富士山を見るため、今年の1月に静岡県焼津市から静岡市まで歩いて以来、今回は山梨県側の富士河口湖へ2泊3日の予定でやってきました。天気予報では3日とも晴れ、又は晴れ時々曇り。富士見予報は初日の午後からは最終日まで最高の「10」予想。ところがこちらに来て知ったことですが、この時期にはたとえ晴れていても富士山の全姿が必ず見られるとはかぎらない。見られるとしても、早朝と日没前後だけだそうです。たしかに早朝と日没前後だけ見られるとしても午前、午後共に富士見予報が満点の「10」であってもウソではないわけで... Read More | Share it now!