【和歌山県・高野町 2022.8.15】今日は高野山をたずねてみたいと思います。お盆にたずねることに宗教的な意味はなく、ともかく下界は暑くてかなわないので高野山まで上がってしまえば少しはしのぎやすいだろうと、理由はいたって単純です。ところで高野山という名の山は存在しません。「高野山」とはその地域一帯の名前で、1000m級の山に周囲を囲まれた標高850mの盆地全体が金剛峯寺の境内となっており、すなわち高野山イコール金剛峯寺の寺町となります。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 極楽橋から登ってゆく 極楽橋... Read More | Share it now!
神戸神社めぐり、一宮から八宮まであるく
【兵庫県・神戸市 2022.8.6】神戸の中心街は三宮です。この三宮ですが、じつは三宮神社(現存しています)がその名の由来です。さて、地図を見ていると二宮商店街とあったのでグーグルマップでアップしてみると近所に二宮神社が。さてさて、よく調べてみると神戸には一宮神社から八宮神社まで建てられ、すべて現存しているそうです。(ただし六宮神社は明治時代その地に高等小学校をつくる必要から八宮神社の社殿に合祀されたため、神社としては存在しますが、独自の社はありません)今日はこの8社(建物としては7つ)をめぐってみたいと思います。ただこれだけではいかにももの足りないので、近辺にたつ生田神社と湊川神社をあわせて回ります。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 生田神社 生田神社に到着 まず生田神社にむかいます。 早朝大坂から神戸へ向かう電車で窓に雨がはじけていました。三ノ宮駅に着いた時には雨はあがっていましたが、やはり路面は濡れています。それでもお陰ですこし涼しくなったのには助かります。 楼門 楼門から拝殿をみる 拝殿と本殿(奥) 生田神社は天照大御神の妹神ともつたえられる稚日女尊(わかひるめのみこと)を祭神として祀っています。当初はいまの新神戸駅の北にある布引山に建てられていたものの、8世紀に洪水による土砂崩れで流されてしまい、いまの地に移されたそうです。ご利益は、恋愛成就、御縁結び、安産祈願ですから、さぞかし若い人たちに人気でしょう。 拝殿前の獅子・阿形 口を開けた阿形の狛犬、実は獅子だったhttps://www.shikoku88.net/88blog/?p=1454 戸隠神社(左)と蛭子神社(中央)... Read More | Share it now!
住吉大社から大鳥大社まで歩いてみた。
【A-33】大阪市・住吉大社→堺港→堺市・大鳥大社(2022.6.26) 今日は大阪市最南部にある住吉大社から、市境をこえて堺市の大鳥大社まで歩いてみます。 住吉高燈篭 大阪メトロ・北加賀屋駅で下車し、住吉大社へ向かう途中、住吉高燈篭に寄ってみました。 そもそもは住吉大社の常夜灯として立てられ、江戸時代になってからは、このあたりまで海岸線が迫っていたため灯台の代役として使われていたそうです。当時のものは解体されたようですが、その後外形をそのまま保ってコンクリート造りとして復活させたとか。 住吉公園 隣接する住吉公園をぬけます。 南海電車・住吉大社駅の高架をくぐり、 ちょこっと歩くと住吉大社に到着します。 反り橋 境内にはいるとすぐに反り橋をわたります。 反り橋 反り橋を横からみると、こんな景色です。 反り橋の一番上から進行方向を見る この住吉大社は、全国にある住吉神社の総本社になります。 社殿はいわゆる拝殿が存在せず、むき出しで(?)... Read More | Share it now!
京都・善峯寺へ紫陽花を見にゆく
【京都市西京区 2022.6.18】今日は京都市の西の端(西京区大原野)にある善峯寺(よしみねでら)へ紫陽花を見に行きます。阪急電車・東向日駅で下車、駅前からおよそ1時間に1本あるバスで北の山間部へと向かいます。 バスは山中へと入ってきました。 バス停から緑濃い参道を上ります。 東門にたどり着きます。 バス停から東門へはそこそこの急坂を、そこそこ上ります。 山門 寺の境内へとはいる門(三門)は山でなくても山門と書くことがありますが、ここの三門はまさに山門です。麓から歩いてきたらずいぶんたいへんだと思います。 拝観料(入山料)... Read More | Share it now!
京都・東山界隈の、戦国歴史ゆかりの地をあるく
【京都市内 2022.5.15】本能寺の変は、言うまでもなく明智光秀がおこした謀反ですが、その裏には朝廷が関わっていたのではないかという推論が最近では主流になっています。朝廷(天皇と公家)がまさに企画・立案し、光秀をそそのかすか、だますかして信長を殺させたということです。この場合、世間的には謀反であり謀殺ですが、朝廷の命であれば光秀にとっては勅命であり誅殺のつもりだったことになります。さて朝廷陰謀説が正しいならば、公家の中では近衛前久(このえさきひさ)は間違いなく関わっていたでしょう。吉田兼見も無関係ではないはずです。そして秀吉(当時は羽柴秀吉)-... Read More | Share it now!
奈良・春日大社へ、希少な朱色をもとめて歩く
【奈良市内 2022.4.30】今日は新緑を堪能するまで見て歩こうと、奈良へ来ました。まず春日大社に参詣して、そのあと春日山原始林の中をあるき、若草山山頂をめざします。 奈良駅 JR奈良駅 JR奈良駅はさすが趣きある外観です。中は買い物もできれば飲食もでき、きれいなトイレがいくつもあり、なによりも大きすぎず使い勝手がよいです。 興福寺 猿沢の池... Read More | Share it now!
京都市内ぶらぶら歩き・上京区~中京区
【京都市内 2022.4.23】今日は大徳寺・総見院で期間限定公開されている織田信長の木座像を見にゆきます。もっとも、せっかく京都まで出てきたのにそれだけではもったいないので、大徳寺への道すがら、さらに大徳寺からの帰り道にぶらぶら市内を散策してみたいと思います。 賀茂川 賀茂川の河川敷を北へ 京阪出町柳駅を出るとすぐに高野川と賀茂川とが合流する鴨川デルタをわたり、さらに賀茂川を北へと歩きます。 阿弥陀寺 阿弥陀寺・本殿 京阪出町柳駅から1kmはないです。10分ほどで阿弥陀寺につきます。もとは清玉上人が近江坂本に創建したものですが、その後信長の庇護のもと京都へ移転します。当時は信長の保護と厚遇をえてたいへん大きな寺だったようです。 本能寺の変で信長が討たれた際には、清玉上人みずから本能寺へのりこみ、その遺体だか遺骨だかを持ちかえり、ここに埋葬したと伝えられています。(あくまで、言い伝えです 信長と清玉上人の関係http://annai.demachi.jp/uno/page075.html 阿弥陀寺裏の墓地にある、清玉上人の墓 信長の死後、その後継者としての地位を固めるため羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、みずから主導で一周忌法要をおこなうべく、清玉上人にたいして信長の遺骨を引き渡すよう求めます。ところが清玉上人は、秀吉が天下人たらんと企み、信長謀殺すなわち本能寺の変になんらかの形で関わっていたことを察知しており、そのような者に信長公の遺骨を渡すわけにはいかぬと断固拒否します。(あくまでひとつの説です)そこで登場するのがこれから見にゆく信長の木座像で、秀吉は遺骨がないのでかわりに木座像をつくって棺に入れたと伝えられています。 上御霊神社 上御霊神社 さらに北西方向に500mほどあるくと上御霊神社につきます。御霊神社は京都だけでなく、日本各地にあります。もともとは地震カミナリなどの天変地異や疫病の流行は○○様の怨霊によるものだとの土着信仰があり、その怨霊を鎮めるために建立したのがはじまりです。ちなみにここから2kmほど南には、下御霊神社があります。 上御霊神社・本殿 拝殿には神輿が祀られていました。 あまり見る機会はないので貴重な撮影になります。 この地は応仁の乱のはじまりの地でもあるそうです。東軍方(畠山政長)がこの地に陣をしき、西軍方(畠山義就)がこれを襲撃したことで泥沼のような戦いがスタートします。 上御霊神社には、最恐の怨霊が祀られている?http://kyoto.free-travel.jp/power-spot-256/ 妙覚寺 妙覚寺・大門 次は西方向に1kmも歩かないくらいで妙覚寺です。妙覚寺は(場所も建物も変わっていますが)本能寺の変の際、信長の嫡男・信忠が500人ほどの馬廻衆とともに宿泊していた場所です。 ところで信長が本能寺に滞在しておりそこで事変がおきたので「本能寺の変」ですが、それ以前は信長も京滞在の折にはずっとこの妙覚寺を宿泊地にしていました。 妙覚寺大門の上部 寺とはいえやはり防御の機能を備えていたようで、入口・大門を下から見上げると、梁部分に人が潜めるようになっているのがわかります。 妙覚寺・本殿 「坊主丸儲け」なんてむかしの話なのか、最近はお寺の大変そうな光景をよく見かけます。ここ妙覚寺はこの本堂の裏(もちろん境内)が、月極駐車場になっていました。本堂をこちら側から撮影したのも、反対側から撮ると、駐車している佐〇急便のトラックがもろに写ってしまうがためです。 水火天満宮 妙覚寺からすぐ西に、水火天満宮があります 水火天満宮の拝殿 乗馬を禁ずる石柱 水火天満宮は菅原道真を祀っており、水難、火難などの災難除けのご利益があります。 ところでここの境内には、貴重な石柱が残っています。「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」ここから洛中のため馬に乗ってはいかん。ちなみにこの石柱のずっと先に京都御所がいまもあります。 大徳寺・総門 大徳寺まで出町柳駅から3kmほど道のりですが、あれこれ見て歩いていたら2時間以上かかりました。大徳寺と建勲神社については、https://yamasan-aruku.com/aruku-35/ バス停の広告 建勲神社のある船岡山を下りてきたところで、いかにも京都らしい広告をみつけました。 ところで今どこに向かっているかというと、秀吉が自分の甥であり跡取り候補だった秀次のために(?)建て、その秀次を謀反の疑いで追放すると同時に破却した聚楽第の、その石垣がわずかに残っている現場に向かいます。 聚楽第の石垣 聚楽第石垣・中央から左側 聚楽第石垣・中央から右側 中央から左右を撮影しました。これで全容のすべてで、これだけしか残っていません。どこにあるかというとすんなりわかる場所ではなく、民間のマンションの駐車場のさらにその奥にあります。本来自由に出入りしてよい場所ではないでしょうから、詳細は書きません。興味のある方はネットでしらべて大方の見当をつけ、じっくり探してみてください。 聚楽第はどこにhttps://www.kyoto-arc.or.jp/heiansannsaku/jurakudai/img/20jurakudai.pdf 堀川通を南へ歩きます... Read More | Share it now!
京都・大徳寺へ、信長の木座像を見にゆく
【京都市内 2022.4.23】京都の大徳寺はもともとが大寺院ゆえ、境内にはたくさんの塔頭寺院があります。そしてたいへん商売上手で(失言!すみません)、年間を通してその塔頭寺院ごとに期間限定で「特別公開」を行い、お陰様でわれわれ歴史ファンやお寺好きの人達はなんども足を運ぶはめになります。なんども足を運べば、それこそお百度詣りのごとくにご利益いっぱいとなるだろかと迷いながらも信じて、今回も参詣します。さてお目当ては、総見院にて春の特別公開の目玉である、信長公木座像です。 大徳寺 大徳寺・総門 大徳寺まで、京阪出町柳駅から3kmほどの距離ですが、あれこれ寄り道していたら2時間以上かかり、正午過ぎになりました。 大徳寺・勅使門、奥に山門 大徳寺・山門 山門... Read More | Share it now!
琵琶湖に浮かぶ竹生島 1時間ツアーのご案内
【滋賀県・琵琶湖北部 2022.4.9】今日は午前中に琵琶湖にうかぶ竹生島をたずね、そのあと長浜へわたって長浜城の満開の桜を見にゆくつもりです。竹生島へは観光船で行くことになりますが、以下の4通りの船便があります。(1)近江今津... Read More | Share it now!
紀州根来寺に、訳あって満開直前の桜を見にゆく
【和歌山県・岩出市 2022.4.2】「日本さくら名所100選」なるものがあります。日本さくらの会という組織が選出したものだそうですが、まったくご当地への忖度なしに100名所を選んだとは言い切れません。しかし今まで多くの土地に(桜の)花見にいった内で、この100選に入っている名所でハズレはありませんでした。ですから近年は、花見の季節になるとまず「日本さくら名所100選」を参考にしています。さて今年は、和歌山県の根来寺と、滋賀県の豊公園(長浜城)をリストアップしました。「さくらの見頃情報」によると、今週末は、根来寺の桜は満開前、豊公園は三分咲き。来週末になると、根来寺はすでに週半ばに満開、豊公園はちょうど満開とのこと。そこで今週末に根来寺へ、来週末は豊公園へ桜を見にゆくことにしました。 バス停から根来寺へ 岩出図書館・前庭 JR和泉砂川駅からのバスを根来寺にもっとも近い岩出図書館前で下りると、この見事な桜並木が迎えてくれます。 ここから根来寺まで歩きますが、すぐそこと言う距離です。 根来寺・大門 根来寺大門をのぞむ 根来寺・大門 桜道をあるく 大門をくぐり、桜道を歩いて行きます 人出はあまり多くない 大門から本坊への道沿い じつに見事な桜風景です。青空でないのが残念。 光明殿 光明殿入口にあたる鐘楼門 光明殿は正式には「常光明真言殿」といいます。この根来寺を興した覚鑁(かくばん)上人を本尊としています。 鐘楼門から光明殿へ 光明殿境内... Read More | Share it now!