山登り,神社・仏閣,大阪

【大阪府・岸和田市~泉佐野市 2023.5.3】大阪府と和歌山県との境をなすように東西につらなるのが和泉山脈。その中心的な存在として知られているのが和泉葛城山です。かつては宝仙山とよばれ修験の山として知られており、いまも山頂には葛城神社と龍王神社がのこっています。同時に山頂付近には天然記念物に指定されているブナ林が残るなど、山全体として落葉樹がおおく、それだけに春には新緑にすっぽり浸りながら山歩きを楽しめます。今回は、見事な紅葉で有名な(すなわち春には青モミジが美しい)牛滝山から入り、おなじく紅葉すなわち青モミジが魅力の犬鳴山へ抜けてみようと思います。 牛滝山・大威徳寺 山門... Read More | Share it now!

山登り,神社・仏閣,兵庫

【兵庫県・宝塚市 2023.4.27】宝塚市の南西部から神戸市へと西につらなるのが六甲山系ですが、その六甲山系の北側に宝塚市北西部から三田市へとやはり西にむけて別の山の列なりがあります。そのなかで宝塚市街地からもっとも近い中山にのぼり、大峰山を縦走して武田尾温泉へぬけるルートを歩いてみようと思います。 中山寺 中山寺・山門 この寺の言い伝えでは、聖徳太子が建立した最初の観音霊場とのことで、由緒はあるようです。古くから子授かり、安産祈願の信仰対象となり、皇族、貴族や武家、そしてしだいに庶民からも篤く信仰されてきたようです。ただ再建された建物が美しく造られすぎているのに加え、エレベーター、エスカレーター完備で寺院というよりも、「仏教関連テーマパーク」のようなので、ささっと参拝を終えることにします。 本堂への階段横にはエスカレーター 護摩堂と五重塔 本堂前面 本堂後面、大願塔 大願塔、鎮守社 大願塔から鎮守社、五重塔をみる 登山口へ 中山寺の墓地横をぬけて登山口へ 住宅街を抜けますが、けっこうな急坂 中山寺・奥の院へ 石階段がつづき、 地蔵がならび、いかにも参道らしい路 やがて山道らしい路に変わると、 夫婦岩にたどり着く この道沿いにはたびたびお地蔵さんがいます ここは岩をご神体として祀っています 奥の院 この奥の院もあたらしく改築されたもので、まわりの風景にとけ込んでいないため、樹木の陰から覗き見るような写真にしました。 中山山頂 このあたりは標識が整っています 樹間から丹波の山並みをのぞむ 延々とつづくフェンスは興ざめ 中山山頂からの眺め 大峰山へ向かうはずが、 大峰山へ向かうはずが、 中山から大峰山へ向かうはずが、どうしてもルートが見つかりません。それらしき分岐はあるのですが、標識はなく、分け入ってしばらく進んでみたところしだいに藪深くなり、確信がもてないので引き返しました。こういうことはよくあります。山頂までは標識がばっちりなものの、同じ道を下らずさらに山深く進もうとすると、標識がぱったりなくなってしまう。登山客が少ないから整えないのか、道が荒れていてお勧めできないので故意に標示しないのか。 下山途中、宝塚方向をのぞむ 大峰山は諦めて、間違いなく宝塚方面へ下りられる(と思われる)道をえらんで下って行きます。 登山道は楽しいのですが、どこへ向かっているのか さきほど山上から見えたゴルフ場の脇のようです ひょこり住宅地の端に飛び出しました グーグルマップで調べたところ、宝塚山手台という分譲地の最奥にいることがわかりました。結局大峰山とは真逆方向に来たことになります。いまさら大峰山をめざす気持ちにもなれないので、最寄りの阪急山本駅へと歩きます。 【アクセス】阪急中山観音駅~中山寺~奥の院~中山山頂~(ここで道を見失う)~宝塚山手台~阪急山本駅【満足度】今回は途中中断のため評価なし ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,大阪

【大阪府・藤井寺市 2023.4.23】大阪府の南北でいうとちょうど真中あたり、その東寄りに藤井寺市はあります。世界遺産にも登録された古市古墳群(の一部)や、葛井寺などの古刹もありますが、大阪府外まして関西より外から見れば、あまり知名度のたかい地ではないようです。この地には、かつて近鉄バッファローズという球団の本拠地である藤井寺球場がありました。日本人として初めてメジャーリーグに挑戦してしかも成功した野茂英雄投手がエースとして投げていたころは、プロ野球が地上波で放送されていたこともあり、藤井寺の名はひんぱんにテレビからお茶の間に流れ、藤井寺市の存在を全国に知らしめていました。しかし今ではそれも昔のはなしです。藤井寺市と聞いてもピンと来ない方は、かつて老舗球団のホーム球場があった地と認識してすこしでも身近に感じてください。どんな土地でも、親近感をもち好奇心をもったうえで歩きまわる方が楽しみは倍どころか4倍にも8倍にもふくらみます。 藤井寺へ JR柏原駅から川沿いに歩きます 土手にはクサフジが群生していました 古市古墳群 鍋塚古墳(手前)と仲津姫命陵古墳(奥) この二つの古墳ですが、奥の仲津姫命(なかつひめのみこと)陵が前方後円墳で主たる墓であり、手前の鍋塚古墳は小型の方墳で、その陪塚になります。陪塚は主墳に付属するようそのかたわらに造られ、主墳に眠る貴人の従者や、貴人のために従者がつかっていた生活道具などを埋葬しています。なおこの鍋塚古墳は上にあがれます。 鍋塚古墳上より仲津姫命陵古墳をみる 反対側には、允恭天皇陵古墳がビルの向こうにみえます これから古墳を見て回るのに先立って、埋葬されている天皇、皇后の系譜を記しておきます。むかしむかし大和の国から遠征して各地を平定し、日本をひとつにまとめたとも伝わる日本武尊(やまとたける:倭健)、その息子に仲哀天皇(第二子?)がおり、さらにその息子が応神天皇になります。応神天皇の后がいま見た古墳に眠る仲津姫命です。そして応神天皇と仲津姫命の間に生まれたのが、天皇として(おそらく)もっとも有名な仁徳天皇、その仁徳天皇の子女には、履中天皇、反正天皇、そしていま反対方向に古墳を見た允恭天皇などがいます。いま名前が上がったなかで、日本武尊をのぞき、仲哀天王、応神天皇、仲津姫皇后、允恭天皇の陵墓はこのあたり一帯(古市古墳群)にあり、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇の陵墓は堺市の百舌鳥古墳群にあります。しかも古墳の大きさ(全長)順に並べると、1番が仁徳天皇陵、2番が応神天皇陵、3番が履中天皇陵、9番が仲津姫命陵、16番が仲哀天皇陵、19番が允恭天皇陵となり、さらに7番目のニサンザイ古墳(堺市南東部)も正しくは反正天皇のものではないかといわれているので、いかにこのあたりに巨大な古墳が集まっているかがわかります。 道明寺天満宮 道明寺天満宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・宇治市 2023.4.17】京都・宇治の平等院で藤の花が見ごろをむかえているとローカルニュースで伝えていたので、さっそく訪ねてみることにしました。ところで宇治の平等院(鳳凰堂)がある一帯は、源氏物語ゆかりの地と言われています。源氏物語は紫式部がのこした平安時代の朝廷を舞台にした創作物語、いまでいう小説ですが、全編54帖(54の小冊子と考えてください)で成り立っています。主人公の光源氏が主役として登場するのは、第1帖「桐壺」から第40帖「幻」まで。第41帖は「雲隠」という題名がのこっているだけで、本文が実存しません。ここは謎の部分です。そして第42帖「匂宮」は、第40帖「幻」から8年後の物語が唐突にはじまり、主人公は光源氏の次男(じつは実の子ではない?)とされる薫の君で、このとき14歳。さらに読みすすめるとわかるのですが、光源氏はどうやら「幻」の数年後、この「匂宮」を基準にすると、その5年ほど前に亡くなっています。さて薫の君が成長し、第45帖「橋姫」で宇治の地を訪ねるところから舞台は徐々に宇治に移ってゆきます。そして第54帖「夢浮橋」で物語は唐突におわります。これで終わりにしたのか、それとも何らかの事故でもあって(たとえば紫式部が亡くなったとか)筆が断たれたのか、そのあたりもよくわかりません。ともかく第45帖から54帖まではおもに宇治が舞台になっているため、この部分をまとめて「宇治十帖」と呼んでいます。それゆえ「源氏物語ゆかりの地」を名乗るのは、けっしてコジツケではありません。 平等院へ 宇治川に架かる宇治橋をわたる 宇治橋西詰には紫式部の像が 縣(あがた)神社の鳥居、平等院へは左の道 平安時代には、この宇治の地は朝廷関係者すなわち帝と公卿の別荘地だったようです。じつは平等院も元は、嵯峨天皇の第十二皇子であり左大臣をつとめた源融(みなもとのとおる)の別荘でした。そしてこの源融こそが、光源氏の実存モデルではないかと言われています。 平等院 表門を入ると、まず小ぶりの藤棚が迎えてくれます 剪定された平戸ツツジの咲く道をすすむ 平等院鳳凰堂 右横からアプローチ 阿地池ぞいに時計回りにまわってみます 鳳凰堂の名は、伝説の鳥である鳳凰が、 翼をひろげているかのようで、後世に名づけられました 真っ赤な霧島ツツジが映える 源融の別荘はゆずりゆずられ、代をへて当時の最高権力者・藤原道真の別荘となり、そのときは「宇治殿」と呼ばれます。ところがその息子の頼道が信仰心から庭もふくめたすべてを寺にあらためることになります。そのころ仏教信仰のうえでは、釈迦入滅後2000年に仏法がおとろえて余が乱れると伝えられており、西暦にすると1052年から「末法の時代」に入るとされていました。脅しではなく、身を律するようにとの戒めだったのでしょうが、これを機に藤原頼道は極楽浄土を再現するかのような美しい寺院を建立します。建物中央が阿弥陀仏をまつる阿弥陀堂で、両脇には他では見られない翼廊が配置されることにより、極楽浄土の宮殿をおもわせる姿になっています。 境内をまわる 六角堂 六角堂の柱は、鳳凰堂の廃材を再使用しているとか 精巧な装飾のある鐘... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,京都

【京都市・伏見区 2023.4.13】豊臣秀吉は、日本史上最高最大の出世人であることは間違いないでしょう。しかも信長のように冷徹に部下を動かし敵を切り従えてゆくのではなく、情にふかく、自虐ネタで笑いを誘い、相手をいつの間にか心服させる、その武人としての処し方に好感を持ったファンも多いはずです。ところがその秀吉は、老境に達したころから急激に狂いはじめます。いまで言う認知症の兆候もあったようですが、単純に耄碌したとかでは片づけられない言動をみせます。側室とした淀君が待望の男子(捨、あるいは鶴丸)を生み、狂喜したのもつかのま2年後の1591年に夭折、同年片腕と頼んでいた弟の秀長が病没、そしてその二ヶ月ほどのちにはもう一方の片腕であったはずの千利休に切腹を命じます。さらにその翌1592年には生母の大政所が亡くなり、このあたりから完全に精神状態がおかしくなってきたようです。世継ぎができないと悲観し、甥の秀次に関白を譲ったものの、1593年に淀君がふたたび男子(拾、のちの秀頼)を生みます。この秀頼ですが秀吉とは容姿からして違い、周囲ではタネが違うと噂しているにもかかわらず、秀吉はこの子を溺愛し、あげくに一旦は自分の後継者ときめた秀次を高野山へ追いやり自害させます。さらに秀次の妻妾子女を三条河原で全員殺して遺体は穴に投げ込んで埋めさせ、関白職とともにゆずった聚楽第の城郭兼邸宅を跡形もなく破却します。 秀吉は関白職を退き太閤となりますが、そのとき聚楽第から移り住むために造ったのが伏見城です。今日はその伏見城を訪ねてみたいと思います。●分かりやすくするため、今回は歩いた順どおりでなく、故意に並べ替えをしています。 伏見指月城 伏見指月城の石垣 じつは伏見城は3代目まであります。最初に伏見の宇治川沿いに築いたのが1代目ですが、この城は完成とほぼ同時に慶長伏見地震で崩壊してしまいます。城として存在した期間があまりに短いため資料が乏しく発掘調査が行われることがなかったのですが、この地でマンションを建設する際にひょっこり遺構が出てきたそうで、いまはそのマンションの外塀沿いに石垣を遺しています。(きっと当時の石で再現したものだと思います) 伏見丘陵 伏見指月城が崩壊したあと、2kmほど離れたいま伏見丘陵とよばれる木幡山にあたらしい城を築きます。指月城の残骸を再利用することで翌年には完成、旧城と区別するため伏見木幡山城とも呼ばれます。その城で秀吉は生涯を閉じるのですが、やがて豊臣方と徳川方の相克が表面化してゆき、関ケ原の合戦に先立つ前哨戦で焼失、こちらもわずか3年しか存在しませんでした。そして関ヶ原の2年後、1602年に家康により3代目の城が造られますが、1619年に廃城となり、伏見城は完全に姿を消します。 桓武天皇・柏原陵へつづく道 ふり返ると、なだらかに隆起しているのがわかる (模擬)大手門 現在ある伏見城は、洛中洛外図をもとにつくった模擬城で歴史的な価値はありませんが、ひとつの建造物として見て純粋に美しく、興味深いものだと思います。 小天守と大天守(耐震強度の問題で入れません) それでも公園として楽しめます(入場無料) 明治天皇御陵へむかう道 その道沿いに伏見城に使われるはずだった石が残る 明治天皇御陵... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都市・右京区 2023.3.28】桜の見頃にかんして、関西では京都市内がもっとも早く満開情報が伝えられます。桜の品種が違うのかどうか、ともかく満開が早いということは散り始めるのも早いということで、先週半ばに満開が伝えられた嵐山はそろそろ散り始めたとのこと。桜大好きで毎年あちこち桜の名所を訪ねているにもかかわらず、関西屈指の観桜スポットである嵐山は人出が多いのを敬遠して、この時期に訪れたことがありません。今年はひとつ意を決して、人で満杯の嵐山ではなく桜が満開の嵐山をめざして、いざ出発。 渡月橋 阪急嵐山駅から渡月橋へ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・天理市~桜井市 2023.3.27】奈良県にある「花の寺」とも呼ばれる長谷寺で、桜が満開とのこと。桜大好き人間としては早速訪れてみようと企画をはじめました。長谷寺探訪だけでは物足りないので、天理市の昨秋歩いた「山の辺の道」の途上にある長岳寺横から入山し、真東に上って龍王山に登頂、そこから南東にくだって長谷寺を訪ねるルートを組んでみました。 龍王山へ 黒塚古墳から満開の桜と龍王山を眺める 崇神天皇陵... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,京都

【京都市・東山区~中京区 2023.3.25】待ちに待った桜の季節がやってきました。ところが毎年のことですが、桜が満開となると天気が不安定になる。関西では京都市内がもっとも早く桜が見ごろを迎えるのですが、東山界隈では満開になったとネットで確認しているものの、このところずっと空はぐずつき模様。今日はなんとか降らずにもちそうですが、明日は本降りとのことなので、万一にもその雨で桜が散ってはと心配になり、それこそ慌てて出かけることにしました。 八坂神社 四条通を東へすすむと、西楼門が見えてきます 京都観光のランドマークにもなっている西楼門 本殿と舞殿(手前) 舞殿は神前結婚の式の準備中でした 本殿の屋根が拝殿を覆う 八坂神社は本殿の屋根庇が前にのびて、拝殿もすっぽり覆ってしまう独特の構造をしています。 ところでこの八坂神社は素戔嗚尊(スサノオノミコト)を祭神として祀っていますが、インドの祇園精舎の守護神である牛頭天王(ゴズテンノウ)と同一視されたことから、祇園寺と呼ばれていました。八坂神社と呼ばれるようになったのは、明治維新のさいに神仏分離令がだされ、単体の神社になってからのことです。いまは全国に約3000社ある八坂神社の総本社です。 南楼門(内からみています) 摂社、末社がならぶ東側... Read More | Share it now!

山登り,神社・仏閣,兵庫

【大阪府・箕面市 2023.3.19】最勝ヶ峰(さいしょうがみね)は大阪府最北部の、京都との府境近くにあります。桓武天皇の兄(異母兄?)開成皇子が建立した彌勒寺を基とする勝尾寺(かつおじ)が山麓にあり、その皇子の墓が山頂にあるので、本来は勝尾寺をたずねてそこから開成御墓をめざして登山をはじめるのが一般的です。先日、名物の猿を最近はすっかり見なくなったという話を箕面に住む人から聞き、あんなにわんさかいた猿がいなくなるものなのかと半信半疑だったのですが、ここはひとつ猿の確認もかねて久しぶりに箕面の滝を見にゆこうと決めました。そこで(猿がいないのであれば)見学は滝のみということになり、あまりに物足りないので箕面大滝の側から最勝ヶ峰にのぼり、勝尾寺へくだるコースを企画しました。 箕面滝道 阪急箕面駅から箕面大滝までは2.8km 渓流沿いのおだやかな登り道、箕面滝道を歩きます 箕面山を仰ぎ見て 渓谷を見下ろして 箕面大滝 滝が見えてきました 年間訪問者200万人の人気スポット 箕面滝は、その姿が身につける蓑(みの)に似ていることからその名がつき、さらに滝の名から地名にもなったと言われていますが、真偽のほどはわかりません。蓑というならもうすこし滝そのものの幅が欲しいし、逆にこれで蓑というなら日本中すべての滝が蓑滝になってしまうし。岩肌の様子から推測すると、大雨のあとなど水量がぐっと増えたときには水流の幅がひろがるのでしょうか。ところで肝心の猿ですが、たしかに影も形もありません。かつてはここに到るまでの滝道にもしゃがみ込んで、観光客の荷物(おもに食べ歩く飲食物)にちょっかいを出し、それがもとで怪我をするなどの被害が多い時には届けがでるだけでも年間100件、200件とあったそうですが。 政の茶屋園地へ 滝を横に見ながら坂道をのぼると車道に出てきます。この先に駐車場があって、そこに車を止めて坂を下れば楽に滝までいけます。以前はこの辺りは歩道にも車道にも猿がゴロゴロいたのですが、まったくいません。実は、保護するはずの猿による被害が深刻なため、餌場を山中に移して猿の大移動を行ったようです。箕面山の猿についてhttps://www.city.minoh.lg.jp/bunkazai/nihonzaru.html 駐車場をすぎると、ぐっと山深くなります 政の茶屋園地は、東海自然歩道の西の起点です 東海自然歩道 岩場の急坂もあれば 丸太階段もあります 椿咲く春なのに♪と鼻歌まじりに歩けるかと思うと 岩ゴロゴロで、鼻息が荒くなるところもあります 最勝ヶ峰・開成皇子の墓 開成皇子の墓 最勝ヶ峰のピークは木立の中に方位盤が設置されているだけで、眺望もありません。そこから回りこむと、開成皇子の墓の正面に出てきます。 勝尾寺 道を一気に下って行くと、勝尾寺の伽藍が 本堂 多宝塔をのぞむ 勝尾寺をご存じない方には、赤い小さなものが何なのか見当つかないかもしれません。勝尾寺は「勝王寺」であったとも言われており、勝運の寺として信仰されてきました。近年(というよりも最近)になって、よりひろく受け入れられるようにとの意図もあったのでしょうか、「勝尾寺のいうところの勝つとは、他者を負かすことではなく転んでも起き上がり己に勝つことである」と、方向転換(?)したようで、今では「勝ちダルマの寺」といわれるようになっています。 それゆえ御神木もダルマが囲み 土塀にもダルマ 厄払い三法荒神社にもダルマ 鎮守堂に至っては全面がダルマ 前庭には梅の花が残っていました 今回、勝尾寺ではたいへん申し訳ないことをしてしまいました。というのは勝尾寺を参詣して最勝ヶ峰に登るのであれば、まず勝尾寺受付で拝観料(入山料)500円を払うのですが、最勝ヶ峰から下りてきて勝尾寺へは裏から入ったため拝観料を払わずに見学してまわり、そのまま帰途についてしまいました。このブログを書いていて、拝観料のことに思い至った次第です。もともと己に甘い人間なので、己に克つ勝ちダルマの御利益はなくても構いませんが、けっして意図して踏み倒したのではありませんので、なにとぞご容赦ください。 【アクセス】阪急箕面駅~箕面滝道~箕面滝~政の茶屋園地~最勝ヶ峰~勝尾寺~阪急千里中央駅... Read More | Share it now!

神社・仏閣,京都

【京都市・伏見区~東山区 2023.3.14】京都伏見区にある伏見稲荷大社は、外国人による訪れたい日本の観光スポットでここ数年ずっと1位の座を保っています。なんといっても朱色の千本鳥居が写真映えするため、SNSで紹介されまくっているのだと思いますが、千本鳥居だけでなく、あまり観光客が立ち寄らないところにも、それはそれは素晴らしいスポットがあります。 伏見稲荷大社はスサノオノミコトの子である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を主祭神としています。宇迦とは食べ物のことで、おもに稲(米)をさします。その稲の御魂ということですから元は農耕の神だったと考えられます。時代とともに神様のパワーはアップするだけでなく、マルチになってゆくもので五穀豊穣、商売繁盛、さらに安産、万病平癒、学業成就など幅広く受け入れてくれます。そのマルチゆえなのか、稲荷神社は全国8万1千余あるといわれる神社の中でもダントツ1位の3万社を有し、その3万のなかの総本社が伏見稲荷大社です。 楼門、拝殿、本殿 表参道から楼門へ 楼門 外拝殿と本殿 お守り鳥居... Read More | Share it now!