街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,京都

【京都市 2024.5.5】京都市街地は南側だけが大阪平野にむかっておおきく開けていますが、ほかの3方向は東山、北山、西山と通称される山々でぐるりと囲まれています。これらの山々は標高こそ高いものでも1000メートルに達する山はありませんが、歴史と観光の点から名前だけは聞いたことがあるといわれるはずの山が多数あります。これらの山々の峰やら谷やらをつたって歩くルートが、京都一周トレイルと呼ばれるものです。(冒頭で書いたように南側は平野ですから山道はなく、実際には南ルートは存在しないゆえ京都を一周はしていません)さて東山からスタートすると、伏見稲荷~東福寺前~蹴上~清水~大文字山~銀閣寺前~比叡山~大原の南面をかすめ鞍馬~貴船と歩きます。このあたりは人気スポットですから多数の観光客もいれば登山客もいます。有名ゆえその名に引かれて足を止めることもしばしばかもしれません。それはそれで良いのですが、そこから先すなわち二ノ瀬から氷室をとおり高雄・清滝にいたるルート、ここは人気とか知名度の点ではかすんでしまいますが、じつは「京都一周トレイル」を「あるく道」として見たばあい、こここそがメイン、あるいは真髄とでもいうべき場所です。今日はその京都一周トレイルの真髄を新録の下で歩いてみます。(京都一周トレイルのどこがメインであるか真髄であるかの判断は、個人的な感想によるものです) 二ノ瀬から氷室へ 二ノ瀬駅は山のなかにあります 京都一周トレイルは要所ごとに標識がある(左) 山道に入ります 出町柳から叡山電車に乗り換えたところ、二ノ瀬駅は無人駅でスマホタッチでの料金支払いについてはネットが繋がらないことがあるので、車内で支払タッチをすませるようアナウンスがありました。たしかに二ノ瀬駅ではネットはなんとか繋がっていましたが、500mほど歩いて山道に入ると、そこから先はまるで繋がりません。YAMAPなどの山のアプリを使われる方は、あらかじめ地図をダウンロードしておくことをおすすめします。 急坂もありますが、長くは続きません ここも足元をよく見て歩けば大丈夫 樹間から比叡山の山並みがチラリ 京都市街から二ノ瀬、鞍馬へつながる道の架橋 渡渉もあり、変化にとんだ道 林道に出てきました 氷室から栂尾へ 氷室の集落 唐突に開けた土地にでますが、ここが氷室(ひむろ)です。名前の由来は禁裏(皇居)におさめる氷をつくり保存していた場所で、平安時代からこの地を所領として与えられ氷の管理をする役職が代々受け継がれていたそうです。電柱はありますが、自動販売機はありません。まさに日本の原風景をみるかのようです。 杉の植林地をつき抜ける 見上げると、こんな風景が見えます 「沢の池」の横をあるく 水気の関係か新緑がことのほか鮮やか 山間を抜け、明るさが増してくる 栂尾に到着 栂尾、高雄から清滝へ 朝日峰から発する清滝川 二ノ瀬から栂尾までおよそ5時間、26000歩の歩きになります。ここからはバス便があるので歩きを終了することも可能ですが、力尽きたのでなければもうすこし歩いてください。なんといってもここから清滝までのモミジは(晩秋の紅葉も初夏の青もみじも)圧巻です。 高雄からは渓谷にそって歩きます 水量が増えると水面下に没する沈下橋 その沈下橋をわたりながら見る風景 いちだんと緑が濃い 青もみじは青もみじで幻想的なまでの緑の濃さに溜息がでそうですが、ここの紅葉はこれまた現実離れしたほどの美しさです。高雄と清滝の中間あたりにあるためここまで足を伸ばす人も少なく、ひとり静かに贅沢な時間を堪能できます。※以前最後に訪れたのはずいぶん前のため、紅葉の時期にいまなお静かに堪能できるかはわかりません。 このあたりは河原に下りて歩きます 滑るのに注意すれば難なく歩けます そして清滝に着きました 清滝バス停についたのはバスが出た直後で、次の便まで1時間あります。1時間あれば嵐山まで歩いてゆけるので、ここからさらに歩き、阪急嵐山駅から電車にのりました。 【アクセス】叡山電車・二ノ瀬駅~向山~氷室~上ノ水峠~沢の池~栂尾~高雄~清滝~嵐山~阪急嵐山駅 37000歩、7時間【満足度】★★★★★ ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,花、紅葉見ごろ,滋賀

【滋賀県・長浜市 2024.5.3】毎年なんどか山登りを共にするHさんと今年のGWはどこに出かけるか打ち合わせていたところ、ひょっこり「菅浦」という地名が出てきました。自分の不勉強というよりも、この地名は知っている人がむしろ少ないと思います。地理的には琵琶湖の北端より南に突き出した岬の、その西側の入り江一帯にあたります。歴史的にはずいぶんコアです。神様にそなえる食事を神饌(しんせん)といいますが、天皇にそなえる食事は贄(にえ)とよばれます。この贄を供する役目の人を贄人(にえびと)と呼ぶそうですが、この贄人が移り住み定着したのがこの地の起源だということです。それだけでもなかなか由緒正しい歴史を感じさせますが、さらに地理的には岬の根本は山にふさがれ、すなわち近江であれ越前であれ平地から接近するには山に阻まれ、交通手段としては琵琶湖を船で漕いでくる以外にない隔絶された土地です。そのため隠れ里となり、淳仁天皇が孝謙上皇の怒りをかって廃帝のうえ追放されたさいにここに逃れ隠棲したとの言い伝えもあります。今日は、その菅浦をたずね、当地を隔絶していた山々をあるいて奥琵琶湖の散策をしてみたいと思います。 琵琶湖の湖岸にそってならぶ菅浦集落 JR永原駅から菅浦集落までの9km弱は、時間の関係で徒歩ではなく、はじめから地元のコミュニティバスに乗せてもらうつもりでした。ところがJR列車が車内でトラブルがあったとかで到着が遅れてしまい、駅の改札口を出たときにはバスはすでに出たあと。しかも駅舎内に記されたタクシー会社に電話したら、今日は葬式があるので車の手配ができないと、なんともローカルな理由で断られる始末。 西の四足門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,岡山

【岡山県・備前市 2024.4.25】岡山県備前市の、瀬戸内海の入り江が深く入り込んだところ、まるでその入り江を見わたすかのような山上に富田松山城はあります。歴史を簡単に書いておきます。世が応仁の乱をへて戦国時代に突入したばかりのころ、備前の国では浦上氏が勃興します。父親が亡くなり、兄・政宗と弟・宗景が争いはじめます。ことの発端は、北から浸食してきた大勢力の尼子氏に対して政宗は従属することを選び、宗景は対抗することを主張します。この兄弟での争いのなかで宗景が天神山城を主城とし、富田松山城を支城としてつかっていたようです。さてこの兄弟争いの結果ですが、西の毛利氏の助勢をうけた宗景が勝利し備前一国、さらに一時は東の播磨にまで勢力をのばす戦国大名となります。ところが家臣であった宇喜多直家がしだいに頭角をあらわし、ついには浦上氏を追放、やがて富田松山城は廃城となります。 登城というよりほぼ登山 富田松山... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,花、紅葉見ごろ,兵庫

【兵庫県・宝塚市 2024.4.19】昨春中山寺に参詣し奥の院を経て中山連山の最高地点まで登りました。そのとき時間も余力もあったので尾根伝いに西隣の大峰山をめざしたのですが、どこをどう歩いたのか道をすっかり見失い結局まるで違う方角に下山する羽目になりました。あれから1年、自分の方向感覚が鈍っていることを痛感し、年会費5700円を払って山登りのためのアプリYAMAPのプレミアム会員になりました。今回はスマホで自分の足取りを確認しながら歩くので、道を間違えることはないはずです。前回と同じルートを歩くのはつまらないので、中山連山を東南から巻くようにあがって最高峰(といっても標高478m... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,大阪

【大阪市 2024.4.18】「けったいな」という表現は、関西それも京阪神あたり限定だそうで、それならば先に「けったいな」について説明をしておかねばなりません。一言でいうと、奇妙な、珍しい、といった意味になります。ところが具体的に「けったいな人」といった場合、「たいへん個性的な身なりの人」もあれば、「やたら自己主張の強い人」も含まれます。これらけったいな人を好きか嫌いかはそれぞれの判断に任せるべきで、けったいな人イコール係わりたくない人ではありません。今日は、大阪市内中心部(梅田キタから難波ミナミにかけて一帯)の、けったいな社寺をまわります。あまりにも小さいとか、社殿のデザインが奇抜とか、御利益が唯一無二とか、奇妙な神社、珍しい寺院の数々です。先にも書いたように、好みに合うか合わないかは人それぞれだと思いますので、あらかじめ地元の人に慕われていたり、SNSで大人気になっていたり、といったものを優先的に選びました。 梅田から歯神社へ 右上空にHEP... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,城郭・史跡,奈良

【奈良県・桜井市 2024.4.13】御破裂山という奇妙な名前の山があります。多武峰(とうのみね)の山頂をそう呼ぶのですが、多武峰に関しては、神々が天からこの山の頂に降臨し、そこから天香久山(あまのかぐやま)へと下っていったという神話の世界にも登場します。御破裂山の名の由来については、醍醐天皇(後醍醐ではありません)の時代いらい天下に異変があると山全体が鳴動したとか。その回数は35回とか、50回超とか、資料によりまちまちなのが少々胡散臭い、いえいえ少々気にはなるのですが、かつてはその鳴動を注意深く聞くための拝所のような場所まであったというのですから、やはり由緒ある神山ともいえる山なのでしょう。その多武峰の南ふところに談山神社(たんざんじんじゃ)があります。飛鳥時代に蘇我氏が権勢をふるっていたころ、その専横ぶりに怒りを抱く中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が中大兄皇子を誘いひそかに談合した場所と言われており、この談合ののち蘇我氏を排除し(入鹿を暗殺、父の蝦夷は自害)ここから大化の改新が始まることになります。 神社へ バスを降りると、屋形橋をわたる 東大門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,三重

【三重県・伊勢市 2024.4.10】伊勢神宮の存在を知らない方はほとんどいないでしょう。神社の中でも皇室に関係した神様を祀るところを神宮と称し、そもそも〇〇神宮は〇〇神社よりも格上として扱われます。伊勢神宮はその格上の神宮のなかでもさらに最上位にあり、すなわち日本中でもっとも尊いとされる神社です。伊勢神宮が内宮(ないくう)と外宮(げくう)に分かれていることを知らない方は結構いるかもしれません。祀られている神様も、創建された歴史もまったく違います。内宮は正式には皇大神宮とよばれ、祀られているのは天照大御神、太陽を象徴する神で皇室の祖神とされています。およそ2000年前にその基となるものが建てられたと伝わっています。その500年後に外宮、正式には豊受大神宮が建てられますが、祀られているのは豊受大御神、天照大御神の食事をつかさどる神様であり、現在は衣食住、さらには産業の守り神として崇敬されています。一般には内宮であれ外宮であれ、どちらか一方だけを参るのは「片参り」といって良くない(十分ではない)とされていますが、祀られている神様のことを考えると外宮だけ参ったのでは伊勢神宮にまいったことには全然ならないといえます。(だから内宮だけなら良いというのではありません)それでは内宮と外宮はどういる順番で参るべきかというと、これは重要なものほど最後にの常で、外宮から内宮への順であることは容易にわかります。ところが外宮に参り、つぎに内宮へとむかい鳥居の前にたつと思わぬ指示に戸惑います。外宮では参道は「左側通行」と指示されています。ところが内宮では「右側通行」の指示があります。このことをあらかじめ知っている方はほとんどいないのではないでしょうか。 外宮・豊受大神宮 JR伊勢市駅から外宮へむかう 表参道火除橋手前に「左側通行」の立札 境内にあった案内板より抜粋 勾玉池 さらに鳥居をくぐって奥へ進む 神社の参道は。中央を正中といい神様が通るところとされているため参詣者は左右どちらかに避けて歩くのがマナーです。さらに社殿に向かって右側が上位、左側が下位となるため、いまから社殿にまいる人は下位にあたる左側をあるき、参ったあとの退出する人は上位の右側を歩くのがより正しいマナーです。 神楽殿 本宮と、古殿地(手前の空き地) 古殿地は伊勢神宮に独特のものです。伊勢神宮の正宮は20年ごとに建て替えられます(これを弐年遷宮といいます)が、旧いものをこわした更地に新しいものを建て直していたのでは、本宮がない空白期間ができてしまいます。そのため隣接した場所にあらたに建て、20年後には前の場所に戻りを繰り返し遷宮をつづけます。ですから前に本宮が建っていた場所を古殿地と称し、同時につぎの遷宮ではふたたび本宮が建てられる御敷地でもあります。 本宮はこれより先では写真撮影禁止 風宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,神奈川

【神奈川県・鎌倉市 2024.3.31~4.1】過去に訪れたことのない鎌倉を訪ねました。一日半をまるまる鎌倉見物にあてましたが、とてもすべてをじっくり見てまわることはできませんでした。こだわって見て歩いたのは、鎌倉時代初期の頼朝、実朝ゆかりの地。そして幕府倒幕にかかわる後醍醐天皇の皇子・護良親王と足利尊氏ゆかりの地。鎌倉幕府を立ちあげたのは源頼朝ですが、3代目将軍・源実朝が26歳の若さで暗殺され頼朝の血筋は絶え、その後は執権・北条氏による統制(というよりも支配)の時代がながく続きます。その北条氏の出過ぎた執政に業を煮やして王政復古をとなえ行動をおこしたのが後醍醐天皇であり、その勅命にこたえて参集したのが、関東では足利尊氏であり新田義貞であり、畿内では楠木正成です。ところが北条氏をたおして鎌倉幕府を地上から葬り去ったものの、その後はそれぞれの野心や思惑がぞろぞろと顔をだし複雑にからみ合い、ついに足利尊氏の弟で好戦家の直義が、後醍醐天皇の皇子で行動家の護良親王(もりよししんのう)を殺してしまうところから、後醍醐天皇(のちの南朝)vs... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市 2024.3.27】大阪と京都をむすぶ電車はいくつかありますが、京阪電車はその名称からしていかにも。大阪市の中心地から線路はまっすぐ北東へのび、京都市の中心地へ入ってゆきます。終点は出町柳駅。さて今日はその出町柳駅からほど近い下鴨神社からその北にある上賀茂神社へと歩いてみたいと思います。ながい歴史をもつ両神社、下(しも)から上(かみ)へと賀茂川沿いにあるく道、それだけでも楽しみはいっぱいですが、なにかテーマがあった方がより楽しめるでしょう。ということで、神社はなぜ赤いのか、神社の赤、正確には朱色について考えてみたいと思います。 河合神社から下鴨神社へ 出町柳駅と下鴨神社周辺図 北から流れてきた賀茂川と高野川は、ちょうど出町柳駅のあたりで合流し、そこから鴨川と呼び名が変わります。下の写真は河合橋から南を向いて両川が合流するあたりを撮影したものです。 前方で2本の川が合流する/前方は賀茂大橋 なぜこんなことをクダクダいうかといえば、これからの説明に大いに関係しています。 下鴨神社/正式には賀茂御祖かもみおや神社 下鴨神社についたと思ったら、いきなり赤い鳥居は修理中なのかカバーで覆われていました。今日のテーマは神社の朱色だけに、少々困りました。 下鴨神社の摂社・河合神社 河合神社の絵馬は美麗信仰の意味で手鏡型 河合神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、本来は女性守護として信仰されていましたが、さらに玉依姫命がたいそう美しかったことから美麗信仰として人気を博しています。なおこの河合神社の名の由来ですが、「河が合わさる」ー賀茂川と高野川が合流するー場所との意味からきているともいわれています。下鴨神社と上賀茂神社の「かも」の字の違いについては、かたわらをながれる川が上流では「賀茂川」で下流では「鴨川」にかわることに起因してるとの説もあれば、神社が先で川のほうがそれに合わせたとの説もあり、はっきりしたことはわからないというのが実情です。 参道は大がかりに工事中 そもそも下鴨神社と上賀茂神社の関係ですが、もとは賀茂大社とよばれており、ふたつの社でセットだったようです。異なる点はというと、祀られている神様が違います。簡単にいうと、下鴨神社にはおじいさん(賀茂建角身命)とお母さん(玉依姫命)が祀られ、上賀茂神社には息子(賀茂別雷大神)が祀られています。 楼門 楼門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,福井

【福井県・敦賀市 2024.3.15】明日3月16日に北陸新幹線が延長開業され、東の金沢から福井・敦賀までの運行が始まります。しばらくの間は新幹線開通祝いの余波で敦賀も観光客で混むのではないかと懸念し、なんとかそれまでにと思いながら伸ばし伸ばしになっていたのですが、ぎりぎり前日になって青空にも恵まれることを確認しました。それでは出発します。 JR敦賀駅 JR敦賀駅前は、明日からのイベント準備中 開業初日もいろいろ新鮮な光景が見られるのでしょうが、開業前日もなかなか興味深いものが見れました。ちなみに駅構内でも以下のとおり... Read More | Share it now!