街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良市 2025.4.16】JR奈良駅から別名「万葉まほろば線」として親しまれている桜井線にのって南へ下ると、最初の駅が京終(きょうばて)です。意味は文字通り平城京の終わり(果て、端)を意味します。さらに南下すると、帯解(おびとけ)駅があり、石上神宮いそのかみじんぐうが近い天理駅、古代遺跡の代表である纒向まきむき遺跡がのこる巻向、大神おおみわ神社と三輪山が鎮座する三輪をへて桜井駅へ。このあたりは大和がまだ倭と記されていた時代にヤマトの中心であったと考えられている土地です。 「まほろば」とは古事記にも出てくる古語で、漢字で書くと「眞秀呂場」となり「素晴らしい処」を意味します。そもそもはヤマトタケルが詠んだ歌「倭は 国のまほろば 畳たたなづく 青垣 山籠ごもれる 倭し麗し」が由来となっているようです。 奈良観光というと、東大寺や春日大社をふくむ奈良公園周辺、法隆寺のある斑鳩、桜と紅葉がみごとな吉野、あとは薬師寺、飛鳥(明日香村)、橿原神宮といったところのようですが、この万葉まほろば線沿いにもなかなか見逃せない処(観光客がぐっと少ないという意味では穴場)があります。とはいっても、天理~巻向~三輪~桜井あたりは以前にあるいてブログにも書きました。そこで今日は、京終から天理までの途中に位置する帯解おびとけで下車して周辺を歩いてみることにします。 帯解寺 帯解寺・山門 帯解寺おびとけでらの名の由来を書いておきます。文徳もんとく天皇(1200年ほど前に即位した第55代天皇)と后の染殿皇后が子供ができないことを悩みこの寺で祈願したところ、男児・惟仁親王(のちの清和天皇)をさずかり無事に出産。天皇はおおいに喜び「腹帯がとけて安産できた」との意味で、「帯解寺」の名を下賜されたとのこと。 本堂、左後方に十三重石塔 以上が一般につたわる由来ですが、実際のところはずいぶんキナ臭い史実が残っています。染殿皇后の元の名は藤原明子。父は藤原良房、皇族以外ではじめて摂政の位についた実力者(くせ者とも言える)です。 藤原良房の妹・順子は54代任明天皇に嫁ぎ道康親王を出産、これがのちの文徳天皇です。 本堂 文徳天皇は他の后がさきに産んだ第一皇子を寵愛していたものの、良房は娘である明子を入内させ惟仁親王を出産すると、天皇家に藤原家の血をさらに濃く注ぎ込むため強引に惟仁親王を立太子させます。※立太子とはつぎの皇位継承者として立てること。本来は天皇すなわち文徳天皇が決めるべきことをここでは岳父の良房がやってしまっている。 帯解寺の名の由来にケチをつけようというのではなく、歴史は裏があるから面白い、と思いませんか? 円照寺 帯解寺から円照寺へは徒歩20分 長い参道を歩いてゆくと、 やっと山門に着きます ところが未公開の拝観謝絶でした(笑) 山門手前から霊気漂うような石段が なんとか歩けるように整えた道をすすむと、 大師堂にたどり着きました... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・吉野町 2025.4.9】およそ15年ぶりに吉野の桜を見に行くことにしました。ベストの見頃は明後日か明々後日のようなのですが、明日から天気がくずれるとの予報のため、快晴予報の本日決行することにしました。なぜ「決行」などという大げさな言葉を使うかというと、桜が見頃時期の吉野はえぐいほどの人出で、たとえば関西登山のガイドブックには桜のシーズンは混みすぎるので避けた方がよいと注意書きがされるほどです。人出に関して、それほど多くないのではと楽観できる要因は今日が平日であること、とんでもなく多いのではないかと悲観するしかない要因は明日から天気が悪くなるため(私と同じように)今日しかチャンスはないと考える人が... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,福井,滋賀

【福井県・敦賀市刀根~滋賀県・長浜市余呉町 2025.4.7】<青春18きっぷ>をつかって新大阪駅から福井県の敦賀まで、乗り換えなしの新快速にのると2時間かからずに到着します。そこからコミュニティーバスで30分南へ戻ると、滋賀県との県境ちかくに玄蕃尾城があります。この城は織田信長が本能寺で謀殺されてのち重臣たちによる覇権争いの最終決戦となる賤ヶ岳の戦いのさいに、琵琶湖南岸に陣をしく羽柴秀吉方にたいして北岸に陣をしいた柴田勝家方の、その勝家の本陣がおかれた場所です。城の名の由来については複数のサイトで確認できましたが、たんに勝家の甥にあたる佐久間玄蕃盛政の名に由来するとだけ書いてあるもの、この城が賤ヶ岳の戦いにおける佐久間玄蕃盛政の陣城と(誤)認識されていたとするもの、また盛政がこのあたりに行軍のための尾根道をつくり、その道が「玄蕃の尾根道」と呼ばれたことからとするものなどがありました。ともかく玄蕃盛政がなんらかの形で関わっていることは確かですが、築城主と書いているサイトは見当たらないので誰がこの傑出した山城を縄張したのかは不明です。(柴田勝家の指示のもとにつくられたのは確かです) 刀根バス停から歩く 刀根バス停で下車、ほぼ車の姿のない車道をあるく まったく車の姿のない林道をあるく 山の北面には雪が残っていた 登山口には駐車場があった... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・桜井市 2025.3.31】神様について、少々ややこしいですが、ここは肝心なところなので詳しく書いておきます。日本の神話においては天照大御神あまてらすおおみかみが最高神ですが、アマテラスが神のくらす天上界の主宰神(その世界を統べる主たる神)であるのにたいして、人がすむ地上界で国づくりをおこなったのが大国主神おおくにぬしのかみであり、そのためオオクニヌシは地上界(葦原中国)の主宰神とされています。さてアマテラスの数代あとの孫のひとりが日本の初代天皇である神武天皇です。神武天皇は127歳まで生きたということになっているので、このあたりの記紀(古事記と日本書紀)の記述はずいぶん疑わしいのですが、日本人として実直に信じるならば、いまの天皇家はアマテラスの後裔ということであり、それゆえに現人神あらひとがみとされています。そのアマテラスの弟が須佐之男命すさのうのみことであり、オオクニヌシはスサノオの数代あとの孫とされています。すなわちオオクニヌシは天皇家とは直接血のつながりがありません。それどころか記紀を読んでいるとスサノオは暴れん坊であったとか、オオクニヌシは優しい性格ゆえに兄弟に虐められていたとか、なんだか神様でありながら人間くさく身近に感じられるところが多々あります。個人的な推論ですが、天上界の主宰神アマテラスを天皇家の始祖とすることで、地上界のオオクニヌシをはじめ各地で祀られる氏神や鎮守神らと区別して、あくまでアマテラスすなわち天皇家は手の届かないものとします。そのうえで地上界の神々は人がスガルも良しアガメルも良し、困ったときだけの神頼みもOK、しかも家内安全・商売繁盛・厄除け・交通安全・念願成熟・病気平癒・恋愛・結婚・安産なんでもござれ、任せなさい、頼りなさい、ということになったのでしょう。ということは、オオクニヌシこそ我ら平民のたよれる神様の、さらにその親方ということになります。オオクニヌシが祀られている神地としては出雲大社がもっとも有名ですが、奈良県・桜井市の三輪山にも祀られています。むしろ三輪山に祀られたとする歴史の方が古く、山麓にある大神神社おおみわじんじゃは日本最古の神社と記録されています。ところが大神神社の主祭神はオオクニヌシ(大国主)ではなく、オオモノヌシ(大物主)です。じつはオオモノヌシはオオクニヌシの異名です。なぜ異名で呼ばれるか... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,山口

【山口県岩国市 2025.3.18】岩国城は吉川広家により江戸時代初期に築城された城です。吉川広家について書いておきます。戦国時代に中国地方の覇者となった毛利家の宗主・毛利元就は、長男が早世したためその嫡男・輝元に家を継がせ、次男・元春については地元の有力国人である吉川家に養子入りさせ、後にその家督を継承させます。(要は家督の乗っ取り)(三男・隆景は小早川家に養子入りして後に家督をつぎます)その元春のあとを継いだ次男(長男は戦死)が広家です。広家は秀吉にその武と智を認められ、豊臣姓を名乗ることを許されるほどに厚遇されますが、どうやら秀吉の一番の側近である石田三成を嫌悪していたようで、その嫌悪ゆえに関ヶ原の役では情勢を冷静に分析して東軍・家康に内通することを決めます。関ヶ原で天下をかけた合戦がおこなわれている最中に陣から動こうとしない吉川軍にたいして西軍から矢のような催促がなされますが、広家は「いま昼飯の弁当を食べている」といかにも人を喰ったような言い訳をして不動を決めこんだため、この逸話は「広家の空弁当」としていまに伝わっています。ところで広家としては関ヶ原で不戦をきめこむことで実質的に東軍に味方したわけで、家康から毛利家の全領土の安堵を約束してもらったつもりでいたのですが、そこは役者が数段上の家康のこと、あっさり約束は反故にされ毛利家は10ヶ国120万石の大大名から周防・長門2か国36万石へと大減封されてしまいます。ここからの広家の立場は微妙です。毛利家では白い目でみられ毛利領の東の端である岩国に追いやられ、江戸時代を通して岩国は藩とは認められず長州藩の家臣として冷遇されます。一方徳川家からは相応の待遇をもってむかえられ一国の領主であり大名として遇され岩国の地にあらたな城を築くことを認められます。そうして築かれたのが岩国城です。 錦帯橋の頭上にみえる岩国城 錦帯橋と山上に小さくみえる岩国城・天守 錦帯橋をわたったあたり一帯が居城であり、山上の城は詰城に相当します。※詰城とは戦時に最期にこもって拠点とする山城のこと ところで晴れ男を自認する私にとっては珍しい雨模様、旅先で雨に遭遇するのはいつ以来でしょうか。傘を携帯するなど考えてもいなかったので駅そばの店で折り畳み傘を買いました。 自動車も上がれる道を30分雨は上がりました 山城の入口にあった案内図より抜粋 石垣 二ノ丸と本丸をまもる石垣 本丸側から二ノ丸側をみる 出丸をまもる石垣 大手門へつづく 天守 天守はコンクリートで復元したものですさすが晴れ男、山城に到着したら青空 天守は下層より上層の方が大きい、唐風とか南蛮風とよばれる様式だそうです 天守からの眺望 拡大すると錦帯橋がはっきり見えている もともとの天守台跡 昭和の時代に天守を復元するに際して、山麓から天守がよく見えるように、また錦帯橋とセットにした図柄の見栄えも計算して、もとあった位置(この天守台の位置)から30メートル南寄りに築城したようです。 またこの天守台の石垣も掘り起こして組み立てなおした復元物です。 堀、北の丸 本丸を離れると石垣は崩れたまま 個人的には、一部はそのまま残すことを希望します 本丸との間を区切る巨大な堀案内図によると、ここは水堀だったようです 違う角度からみると、石積跡がありました 北の丸 大釣井(井戸)跡 錦帯橋の頭上に岩国城か、岩国城の眼下に錦帯橋か、どちらの眺めも素晴らしいものですが、城の天守を南に動かして再築した事実を考えれば、前者は観光用につくられたものと言えます。しかも私にとっては前者の眺めは雨のもと、後者は晴天のもととなれば、自ずと軍配は後者となります。岩国を訪れた際にはぜひ山上まで上がって錦帯橋をふくめた眼下の絶景をお楽しみください。(ロープウェイも運行しています) 【アクセス】錦帯橋を渡った地点から山城まで徒歩30分、下りは20分【料金】錦帯橋:往復310円、岩国城・天守入城料:270円【満足度】★★★★☆  ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【滋賀県・大津市 2025.2.9】関西以外の土地に住んでいる方でも大抵は比叡山・延暦寺はご存じでしょうが、日吉大社となるとどれぐらい知られているのでしょうか。では関西の方で延暦寺と日吉大社の関係をご存じの方はどれほどいるのでしょうか。正解は、日吉大社に祀られる大山咋神おおやまくいのかみが地主神(この場合は比叡山の地主神)であり、そこから日吉大社が延暦寺の守護社となっています。もうひとつ質問です。平安時代に延暦寺の僧兵(山法師)が自らの要求を認めさすために強訴をくりかえし、当時の白河法皇が「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」と嘆いたという逸話は有名ですが、その強訴のさい山法師が脅しとして振りまわした神輿はどこから出てきたものかご存じでしょうか。正解は日吉大社の神輿であり、けっして延暦寺の仏具を持ち出して振りまわしたり乱暴に扱うことはありませんでした。以上のことを考えたとき、延暦寺にとっては日吉大社は守護社というよりも利用するには便利な存在であり、日吉大社にとっての延暦寺はただただ厄介者でしかなかったのではないか、と思えてきませんか? 鳥居をくぐり日吉大社へ JR比叡山坂本駅から歩く 生源寺内にある最澄の産湯を汲んだ井戸(そう伝わっているだけで確証はありません) 大鳥居... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,奈良

【奈良県天理市・2025.3.9】国見山とは、その土地の国人(地頭、君主など)あるいはときに天皇が高台にのぼって一帯を見わたし世の平和を確認するための、その高台をふくむ山のことを指します。ネットで「国見山」と検索すると、全国に30ぐらいは同名の山があるようで、文明の利器のない時代にはとりあえずは高いところへあがり上から自分の目でみて確認していたのであろうことが察せられます。奈良県およびその周辺にも国見山という名の山は二つ三つありました。どのような意図で「大」の一字を加えたのでしょうか、その一字で大国見山は全国で唯一の山になっています。けっして大きな山ではありません(標高498m)考えられることは、非常に歴史がふるく記紀(古事記と日本書紀)にも祭神についての記述がある石上いそのかみ神宮とその元社といわれる石上神社がふもとに鎮座することから敬意の意味で「大」をつけたのではないか。そんなことまで考えてみたのですが、存外に「大奮発」とか「大サービス」ぐらいのノリで後世の人があてがっただけなのかもしれません。 天理教団から石上神宮へ 神殿とよばれる天理教本部前を通る 天理市は新興宗教の団体である天理教からその名がついた文字通りの宗教都市といえます。街を歩いていても違和感はありません。むしろ放置ごみや吸殻のポイ捨ても見当たらず、住民のマナーはきわめて良いように見受けられます。その意味では大阪市も大阪市民も... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,鳥取

【鳥取県・東伯郡湯梨浜町 2025.3.1】鳥取県は東西に長細い地形ですが、ちょうど中央あたりの日本海寄りに東郷池があります。最寄りの駅はJR松崎駅、そこから内陸にむかって1時間余り歩くと羽衣石うえし山に着きます。その山腹には天女が舞い降りて羽衣をそこに掛け水浴びをしたとの伝説がのこる羽衣石はごろもいしがあります。羽衣石の伝説から羽衣石うえし山の名がのこり、その山上に築かれた城ゆえ羽衣石うえし城と呼ばれることになったのでしょう。 羽衣石城は南北朝時代の出雲の守護・塩治高貞の次男・南条貞宗が築城し、この貞宗がのちに伯耆一円の有力国人として名をのこす南条氏の始祖とされています。南条氏はこの羽衣石城を拠点にして主に東伯耆の支配をはかりますが、戦国時代になると山陰地方の各地がそうであったように尼子氏、大内氏、毛利氏、織田氏が入り乱れ、幾たびかの攻防の末に最期は南条氏が属する関ヶ原の戦いで西軍が敗れたために廃城、230年の歴史に幕を引きます。 羽衣石山にむかって 歩くのは公道ですが、車はほとんど走っていません 中央の盛り上がった山が羽衣石山 羽衣石山をのぼる 中腹まで車で上がれます... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,鳥取

【鳥取市 2025.2.27】鳥取駅から北東に5kmほどのところに、いまでは駅周辺の中心街よりもむしろ開けた感のある湖山の街があります。家内の実家がこの湖山にあるのですが、家内が里帰りしている期間中に私も訪ねることにしました。じつはこの家にはほぼ人間と同等にくらす犬犬がいます。私が訪ねるおもな目的はこの犬犬の世話ということになります。 ケンタ・柴 ソウタ・豆柴 いきなり犬犬の写真をアップするところなど、親バカなバカ親のようなものですが、そのように自覚はしていますので笑って見逃してください。 湖山池について 犬犬と湖山池を散歩する 家内の実家から300mほどのところに湖山池があります。周囲18kmの、池と呼ばれるものの中では日本でもっとも大きな湖沼です。この湖山池をあるいて一周するのも今回の目標のひとつでした。天気もよいので今日こそと考えていたのですが、犬犬の日頃の運動量からして散歩がてらに一周歩かせるのはとても無理だろうということで、残念ながら犬犬はいったん家にもどし、ひとりで歩くことにします。 湖山池公園オアシスパークをあるく 池中央右寄りに青島が見える いったん公道に出ます... Read More | Share it now!