街歩き・山歩き,京都

【長岡京市~京都市 2022.9.11】明智光秀は本能寺で信長を討ったあと、中国地方で毛利と対陣していた秀吉がそれほどまでに早く畿内へ駆け戻るとは予想もしていなかったのでしょう。山崎の合戦(天王山の戦い)に挑むまでの行動をみると、杜撰ともいえるほどにすべての準備が不十分です。山崎の合戦は、秀吉が勝ったというよりも、光秀が負けるべくして負けたというべきです。その敗北のあと光秀はいったんは、実娘たま(のちのガラシャ)が輿入れした細川家の元居城であった勝龍寺城へ引きますが、その勝龍寺城は小規模で秀吉の軍勢を迎え撃つには不向きなため、京をぬけて坂本城まで撤退しようと試みます。そしていまの京都市伏見区をわずかな供廻りと通過しているとき、小栗栖という地で一説には落ち武者狩りにあって無念の死をとげます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 勝龍寺城 勝龍城... Read More | Share it now!