明智光秀を読みあるく – 雨読寸評 3
遠藤周作氏の小説『反逆』は、前半部では荒木村重、後半部では明智光秀に焦点を当て、信長に従っていた二人の武将がなぜ謀反に走ることになったのかを描いた作品です。
作品の中では信長への忠節と反発、崇拝と畏怖、相反する感情がぶつかり合うそれぞれの心の葛藤を照らし出しながら話が時系列で進んでゆきます。時系列ですから先に反逆した荒木村重に前半部で焦点があたることになりますが、この前半部でも明智光秀は随所に登場します。すなわち光秀は信長の自分に対する仕打ちだけでなく、村重に対する仕打ちも、またそれに対して村重がどのように行動したかも見てゆくことになります。
その意味では後半に焦点をあてられる光秀の方がより丁寧に描かれていると言えるでしょうし、実際のところ光秀の苦悩はより痛切に理解できるものになっています。
また遠藤氏はクリスチャンですが、そのこともあって切支丹大名の高山右近が準主役のように随所に登場します。その右近の、立場が違うゆえに異なる葛藤と苦悩が描かれることで、作品にいっそうの厚みがうまれているといえます。
30年以上前(1989年)に出版された作品ゆえ、史実の解釈に古さを感じるところもありますが、その分自分の足で歩いて調べている強みがあり、それも作品の魅力になっています。
遠藤周作『反逆』★★★★☆
嶋津義忠氏の小説『新装版 明智光秀』は、副題に「真の天下太平を願った武将」とあるとおり、光秀がこれ以上はないというほど立派な人として登場します。
上洛した信長を本能寺で討つのも、私怨やまして野心などは毛頭なく、ただ天下太平のため。
信長はたしかに戦においても政においても天才だが、天才ゆえに独善に陥り、諸侯も家臣も一般の民も恐怖で支配しようとする誤った道を歩みはじめた。それゆえ光秀が一命を賭してそれを阻止し、正しい道へ導かねばならない。このような決意を胸に立ちあがるのですが、良きにつけ悪きにつけ人間というものはもう少し複雑で、弱みもあれば屈折した面もあり、それだからこそ真の姿を探求するのに面白さがあるというものです。
この作品のなかでの光秀の描き方はあまりに杓子定規で、良い人でも素敵な人でもなく、なんら魅力のないいわゆる立派な人でしかありません。
人物を描くのが不得手のか、本来は準主役となるはずの信長はというと、描き方がまったく単調なため案山子(かかし)か電信柱をみているようです。そのため信長が独善に陥っているとも理解できないし、ましてや信長に対して感じるはずの恐怖もまったく見えてこないということになります。
そこに杓子定規に描かれたロボット武将・明智光秀が我こそが天下太平のため、と大上段に構えても、なんだかなあで終わってしまいます。
嶋津義忠『新装版 明知光秀』★★☆☆☆
光秀は丹波平定がすすむと、西丹波統治のため現在の福知山市内に福知山城を築きます。
ここ福知山では領民が光秀の善政に感謝し慕っていたことを強く感じました。
画像は【aruku-85】より
https://yamasan-aruku.com/aruku-85/
垣根涼介氏の小説『光秀の定理』は快作でもあり怪作でもあります。
明智光秀が仕えるべき主筋をもとめて浪人生活を送る時期から、信長につかえることになった光秀の初陣まで、光秀がまだ無名の時代を中心に描かれています。そして本能寺の変など言ってみれば光秀人生の有名な部分は、いきなり話が30年ほども飛び、主要登場人物ふたりの思い出話として短くまとめて語られる形式をとっています。
さてその主要登場人物ふたりですが、生臭坊主・愚息と頑固な兵法者・新九郎。このふたりはまったく架空の人物なのですが、好き勝手なことをやっているようで筋は通っており、ぼんくらのようで超人的な働きもし、厭世的なようで正義感や情熱さえも透けて見え、それぞれにあまりにも魅力的です。
この架空の二人が光秀にからみながら話が進むのですから、この作品中の光秀も架空のものと言っていいかもしてません。
作品を読み進めてゆけば、光秀がどれだけ史実に則して描かれているかそんなことはどうでも良くなってきます。妻・煕子(ひろこ)のまえで愚痴や泣き言をこぼす弱虫の明智光秀。愚息と新九郎とのからみの中で見るうちに、そんな光秀もなかなか良いのではとさえ思えてきます。
一にも二にも読んでおもしろいものを傑作とするなら、この作品は間違いなく傑作です。
垣根涼介『光秀の定理』★★★★★
真保裕一氏の小説『覇王の番人』は、実存した明智光秀と、忍びの世界に生きる創作上の小平太をふたり主役として描かれています。
小平太は家族を信長の家来に惨殺され怒りと怨みのかたまりとなって忍びの世界で生きてゆく道をえらびます。
小平太が登場する場面の方がよんでいて圧倒的におもしろいです。明智光秀についてはできるだけ忠実に過去の記録に基づいて描こうとしているのか、どことなく描写に堅苦しさが感じられます。
さらに読み進んでいくと、小平太が成長し習得してゆく忍びの技とその躍動する姿が、あまりにも超人的で、なんともウソ臭く思えてきます。小説なのですから、どれほど現実離れしていようが、作者の筆の力で読者を納得させ楽しませられるなら、なんら問題はありません。真保氏にはその筆力はあるはずです。
真保氏の作品のなかで、もっとも面白かったと記憶している「ホワイトアウト」を読み直してみました。感想ですが、なによりも文章がよい、小気味よいと言えばいいでしょうか、先へ先へと読みすすめ時のたつのを忘れて読み通しました。もしこの作品が評価の対象でしたら、文句なく★5つ。
おおいに楽しんだと同時に、なぜ「覇王の番人」がずっと後に書かれているにもかかわらず、まるで筆力が劣っているかのように全体にぎこちなさがあるのかわかりました。
自由にえがく想像上の小平太と、真実に近づけるようにとえがく実存の光秀とが入れ替わり登場するので、作品の中で生を得てみずから動きはじめた小平太の躍動が、史実の枠の中でしか動けない光秀をぎこちなく見せ、逆に過去の記録や資料に基づいて描かれたより真実にちかい光秀は、小平太を人間離れした異物に見せているということでしょう。
いっそのこと、垣根涼介氏の「光秀の定理」のように、明智光秀も真保氏なりに想像上の人物に仕立て直した方がよかったのではないでしょうか。
真保裕一『覇王の番人』★★★☆☆
(2023.1月に読んだため、この項は2023.2.6に追記しました)
金子拓氏の研究書『信長家臣 明智光秀』は、基本的には光秀を折り目正しく情が深い人としています。
その中でも目を引かれたのは、光秀と、同時代に信長のもとで働いた羽柴(豊臣)秀吉、丹羽長秀、滝川一益それぞれが書いた書状数百通を精査した結果、光秀の書状には相手の怪我や病気をいたわる内容のものが特異的に多いことに着目しています。
また戦況報告の書面にしても大変にわかりやすく、実際に信長が「そなたの報告は具体的で、まるでその場を見ているかのよう」とほめている返信が残っているそうです。それだけ頭も切れれば、性格が几帳面で、やることは丁寧だったということでしょう。
半面、延暦寺の焼き討ちに関しては光秀が強く反対したとか、この残虐行為に後々まで懊悩したとか、そういう見方はしていません。この焼き討ち行動のあと信長から当地を所領としてもらっているので、相応の働きをしたのではないかとの推測に留めています。
また信長から与えられた近江の領地には、延暦寺の山門領も含まれており、さらに細かく見ると光秀の友人でもある吉田神社の宮司・吉田兼見が自分の奥さんの実家の土地が一部含まれていたので返還してくれるよう要請します。しかし容易に解決できないので、双方にとっての友人である細川藤孝や歌人の里村紹巴にまで仲介を頼みますが、結局返還されることはなかったようです。
この事実をみると、光秀は主君・信長から自分がもらったものだから自分のものと考え、同時にこれだけの所領を褒美としてもらうだけの働きを(比叡山焼き討ちで)やったと自負していたと考えてられるのではないでしょうか。
金子拓『信長家臣 明智光秀』★★★★☆
さらに丹波平定が終盤に向かうと、東丹波統治のため現在の京都市京北に周山城を築きます。
画像は【aruku-91】より
https://yamasan-aruku.com/aruku-91/
守部喜雄氏の解説書『宣教師フロイスが記した 明智光秀と細川ガラシャ』は、クリスチャン新聞の編集顧問である氏が、宣教師フロイスが書き残した「日本史」の中から、主に本能寺前後の明智光秀と織田信長、豊臣から徳川時代の切支丹弾圧前後の細川ガラシャと高山右近をピックアップして紹介しているもので、格別に光秀とガラシャを描こうとしたものではないように思います。主題はキリスト教のすばらしさを知らしめんとするものであって、ちょうど出版時期が「麒麟がくる」の放映時期に重なったため、販売促進のためにこのタイトルをつけたのではないかと、無信仰の心狭き小生は勘ぐってしまいました。
守部喜雄『宣教師フロイスが記した 明智光秀と細川ガラシャ』 ★★☆☆☆
マイウェイムック『明智光秀50の謎』大概こういったタイトルの本は初心者向けに、ホントかウソかわからないようなことを面白おかしく書いているだけのものが多いのですが、この本はなかなか突っ込んだことも書いてあります。
たとえば出自については、諸説あって明智一族のどこから出ているのかはっきりしないと述べるだけでなく、実は鍛冶屋の次男で家業を継ぐのが嫌で独学で兵法をまなび身分を偽って武人になったという説まで紹介しています。もちろんこの説についても信憑性は疑わしいと結論付けているのですが、基本的に「明智光秀は由緒正しい立派な人」という見解ではありません。
むしろサブタイトルに「信長にも天皇にも盟友にも嫌われた光秀の素顔」とあるように、光秀のダークな部分を掘り起こすことで本能寺の変にいたる真相を探ろうとしているようです。
本をつくる上での企画自体はたいへん良いですし、文章も読みやすく分かりやすい内容なのですが、まず写真を並べるレイアウトがヘタクソ過ぎます。さらに本文と挿入する写真とがしっかり関連付けられていないので内容の理解が散漫になるときがあります。
そして決定的なのは、誤字脱字の多いこと、多いこと。90余ページの本ですが、50か所は間違いがあったと思います。校正をやらずにそのまま印刷出版しているのでしょうか。それではお金をもらって売るレベルではありません。
あるいは開き直って「明知光秀50の謎にひそむ50の間違い」とタイトルして販売してはどうでしょう。そして50の間違いを全部見つけた人には本代を2倍返しで返金するとしたら、みんなに読むことをお勧めしますが。
マイウェイムック『明智光秀50の謎』評価できず (校正がきちんとされていれば★★★☆☆)