奈良を訪ねたら唐招提寺をお忘れなく

【奈良市 2024.7.13】
今日は唐招提寺を訪ねます。
ずいぶん前に、唐招提寺の平成の大改修をあつかったテレビ番組を見た記憶があるのですが(正確には2009年11月に大改修後の落慶式がおこなわれた直後にTBSで放送)、パソコンをいじくっていたところ偶然にもその番組をYouTubeで扱っており、ありがたいことに全編をあらためて見ることができました。
場所は、かつての平城京の北西角あたりに南都七大寺としてのこる西大寺がありますが、そこから南へ2,3kmくだったあたりです。そこからさらに500mほど下ると、やはり南都七大寺に数えられる薬師寺があります。
すなわち唐招提寺は南都七大寺に含まれていないわけで、そのあたりも知名度がいまひとつ低い理由かもしれません。またその宗派である律宗があまりにもマイナーゆえ地味な印象もぬぐえないのでしょう。
しかし唐招提寺はその歴史をふり返ると、なかなかどうして見逃すことのできない歴史遺産です。

南大門

薬師寺近くの近鉄西ノ京駅で降りて徒歩10分
南大門

南大門は高さがなく、いわゆる楼門でないため迫力に欠けるのですが、横に長くまた前にせり出した軒を太い円柱がささえる特徴的な姿は、その奥に見える金堂をより印象深く視界にとられる効果があるかのようです。

南大門そばにあった境内案内図より抜粋

金堂

南大門から金堂へ
金堂 / 大屋根を手で隠すと、南大門そのもの?
金堂前景

金堂前面の円柱は直径60㎝ですが、下から2/3は真っすぐで上1/3は細くなるよう造作されています。

これらはすべてヒノキ材ですが、生育した土地と加工して使われる土地の気候がちかい方が長持ちする理由で、すべて奈良県吉野山産のものに限定しています。さらに吉野山の北斜面に密集させて植林しあえて悪条件下で育てるそうですが、その理由は悪条件で育てることで成長がおそく堅いヒノキが出来上がるのだそうです。

一番手前の柱は、途中で継いだ跡がみえる

さらに伐採する樹木は直径が1m以上のもので、伐採後に切断面の年輪をチェック、そこでパスしたものを削って形にし表面全体をチェック、すべての検品をパスしたものだけが使用されるとのことです。

唐招提寺は西暦759年の創建ですが、江戸時代と明治時代に大がかりな修理が行われた記録があります。
以前の修理においても使える資材はそのまま使う、すなわち遺せる遺産はそのまま残すというスタンスが伝統となっているようで、金堂の円柱も腐食して使えない部分を切り取り、代わりに新しいものを継いだ跡が見られます。

伽藍

金堂から鼓楼、礼堂をみる
(左から)金堂、講堂、鼓楼、礼堂
違う角度からみた鼓楼、うしろは礼堂
(左から)鐘楼、講堂、礼堂、鼓楼、金堂の屋根

戒壇

もともと仏教において僧となるものは、戒律を学び守らねばなりませんでした。
戒律とは生活してゆく上での規則のことで、戒とは自ら自主的に守るもの、律とは集団の中で守ってゆくべきものを指します。
そして律宗とはこの戒律の実践と研究に重きをおく宗派で、新たに僧尼になるものは10人の先達の見守るなか定められた儀式を行ったうえで正式に授戒がなされる(正式に僧尼と認められる)と定められていました。
仏教が伝わった当時、日本には律宗を学んだものはおらず、まして正式に授戒の儀をおこなえるものはひとりもいませんでした。そのため正式な授戒の儀を経ずに僧になるものがあとを絶たず、結果としてイカサマな僧があらわれる結果となります。朝廷では中国(当時の唐)から授戒の儀をおこなえる僧侶を呼び寄せようということになります。

戒壇 / 授戒をおこなった場

その時に招聘されたのが鑑真和上です。
鑑真和上はそのときすでに高僧の誉れたかく数千人にたいして授戒を施していたといいます。
鑑真和上が弟子たちに日本へ行くものはいないかと問うたところ、皆が尻込みしたため鑑真みずから渡日を決意し、そのあと十数人の随行者がしたがったと言われています。
また鑑真和上は渡航を試みるものの5度の失敗をへてその労苦から失明し、6度目にやっと来日できた話は有名ですが、5度の失敗のうち2度は嵐に遭遇、3度は鑑真和上を喪失することを嘆くもののウソの密告で出航前に頓挫したようです。

柵に近づいて撮影 、色的にはこちらが実物に近い

鑑真和上というと唐招提寺ですが、無事に平城京に入ってからはまず東大寺において5年間授戒をほどこします。同時に(この件は西大寺と道鏡のブログの中で書きましたが)下野国薬師寺と大宰府観世音寺にも戒壇を設置し、中央だけでなく東国、西国でも授戒の儀がおこなえるようにします。
その後に淳仁天皇から感謝と労わりの意味で寺領をあたえられ唐招提寺を建立する運びになったようです。

境内にて

小径
小径
蓮の花
蓮の花
石のある小径
石のある小径

鑑真和上御廟

鑑真和上は唐招提寺に移って5年後に遷化します。唐から日本へと渡るための6度の試練に12年を費やしたのに対して、日本ですごした期間は10年にすぎませんが、その遺した功績ははかり知れません。

境内北東隅にある御廟へはこの古びた門をくぐります
すると、浄土へ通じるかのような空間がひろがります
種明かしをすれば地面を苔が覆っているのですが、
この御廟を訪れた記憶は忘れられないものになるでしょう

【アクセス】近鉄西ノ京駅から徒歩10分
【拝観料】1000円(金堂などの仏像拝観料含む)
【満足度】★★★★☆