金沢は歴史と伝統の街とのことで訪ねてみたら

【石川県・金沢市 2023.5.16】
七尾美術館の「長谷川等伯特別展」開催時期にあわせて、石川県をこの時期に訪ねることは年初から決めていたのですが、今月に入ってから能登半島で結構大きな地震がありました。
被害は珠洲市に集中しているようで、自分が災害に巻き込まれるようなことは元々心配していないのですが、被災地を平和ボケした観光客として訪れることにためらいがあり、どうしたものかと躊躇していました。
ところがテレビやネットでニュースを見るかぎり、地元の人達はこの地震によりせっかく戻りはじめていた観光客がまた引いてしまうのではないかと危惧しているようで、七尾美術館もHPをみると、被害はなく通常通り開館していますとむしろ勧誘しているようなので、それならばと平常心で訪ねてゆくことにしました。

金沢駅

金沢駅兼六園口 / 鼓門とガラスのドーム
金沢駅は離れてみるとまさにドーム球場のよう

尾山神社

鳥居と神門

前田家の祖である前田利家と正室お松の方を祀るために建立されたものです。
当時前田家は徳川幕府のなかでは外様大名だったため大袈裟なことは遠慮して、当初は八幡宮に合祀していました。
徳川幕府が終焉し、明治の時代になってから前田家の旧藩士たちが寄進を募り(要は資金集めに奔走して)この立派な神社を建立したとのことです。

神門 / 和漢洋折衷のたいへん珍しい門です
中はこのように純和風です
拝殿
前田利家公の像

金沢城

金沢城はもとは加賀一向一揆(浄土真宗)の拠点となる尾山御坊とよばれる寺であると同時に要塞であり、織田信長がこの一向一揆を平定すると佐久間信盛を配して守護させます。そのときに金沢城の原形ができ上がったようです。
信長没後の織田家後継争いで代表される賤ヶ岳の戦いにおいて、佐久間信盛が柴田勝家ともども敗北すると、秀吉は盟友である前田利家をここに配します。そして利家の代に大規模な補修工事がおこなわれ百万石大名にふさわしい巨城を築きます。
(一般に利家は加賀百万石の祖といわれますが、利家の時代にはマックス90万石で、2代目の利長の時代になって100万石に達しています)

鼠多聞 / 門、橋とも2020年に再建
切込接ぎの整った石垣
石垣は整いすぎで(?)個人的にはどうも – – –
これも平成になって再建された五十軒長屋から菱櫓
五十軒長屋に上がってみる
橋爪門続櫓と二の門
橋爪門から五百軒長屋をみる / 上は続櫓
(左から)橋爪門、続櫓、五十軒長屋
鶴の丸土塀

金沢城はすこしばかり特徴ある造りをしています。
まず屋根ですが、焼いた土瓦を並べるのではなく、木組みの屋根に鉛板をはり付けています。これを「鉛瓦」と呼ぶそうですが、江戸時代から使用しているようです。
壁はずいぶん厚めで、内部を空洞にしてそこに小石を詰めています。これにより鉄砲玉を防ぐよう堅牢度をかくだんに高めています。

金沢城・築城の知恵
https://www.pref.ishikawa.jp/siro-niwa/kanazawajou/wisdom/

石川門

この石川門は江戸時代から残っているもので重文に指定されています。
とはいっても壁や瓦は修復したのでしょかあまりにも綺麗で、石垣も当時の切石接ぎとは考え難いあまりにも精巧なところが随所に見られます。

石川門の外 / このあたりには唯一歴史を感じられた

金沢城はほとんどが平成から令和の時代に再建、修復されたようで、しかもあまりにも整然としているので全体に歴史の重みが感じられません。城というよりも「城のテーマパーク」を訪ねたような感想です。
それでいて世界遺産への登録を目指しているそうですが、みっともないからやめてくれと言いたいです。
むしろ日本百名城に選定されていることすら腑に落ちません。

兼六園

ここも「創った感」が満載で、
芸術的でもなく幻想的でもなく – – –

ひがし茶屋街

茶屋街

古い街並みを再現した映画のセットのようなので、リアル感を出すよう枝垂れ柳をかぶせて写真を撮ってみました。
これで観光客がわんさか歩いていたら、ここもテーマパークですね。

【アクセス】JR金沢駅から歩いてまわる 18,000歩
【入場料】金沢城・五百軒長屋、兼六園 セットで500円
【満足度】★★★☆☆