かつて繁栄にわいた街・堺をあるく
【大阪府・堺市 2022.2.23】
かつて堺には三好長慶から松永久秀、織田信長から豊臣秀吉と、戦国時代の有力武将が深く関わってきました。
なぜ有力武将かというと、堺は巨大な富を生み出し、その富にむらがるもののふもあまりに多かったため、本人が有力でなければ弾き出されてしまったからです。
富がうなるほどですから豪商もうまれます。武野紹鷗、津田宗及、今井宗久 – – かれらは同時に茶人でもあり、千利休にいたって堺の茶の湯文化は頂点に達します。
それでは仁徳天皇陵の参拝を終えたあと、堺の街を歩いてみます。
南宋寺
大仙公園から15分ほどあるくと南宗寺(なんしゅうじ)に着きます。
南宗寺は三好長慶が父・元長を弔うための建立した寺で、その後三好家の菩提寺になります。
甘露門の名の由来は調べましたが、わかりませんでした。
南宗寺には、なんと徳川家康の墓がある。実は大坂の陣で後藤又兵衛の槍に突かれて死んでいた(?)
https://style.nikkei.com/article/DGXNASIH22004_T20C12A8AA2P00/
千利休屋敷跡地
千利休の屋敷跡(と伝わる)地にきました。
コロナ感染拡大の影響で閉まっていました。コロナ感染拡大防止というより、感染拡大の影響であまりにも観光客が来ないので閉めている印象でした。
町屋
しばらく北へとあるいて町屋歴史館に着きました。
入場料200円
本願寺堺別院
堺別院とは堺に建立された、堺御坊という意味です。
右の笠をかぶるのが親鸞、左の坊主頭が蓮如。
本願寺や浄土真宗については、またじっくり見て回りたいと思いますので、ここでは省きます。
妙国寺
本願寺堺別院からほんのわずか離れたところに妙国寺はあります。
織田信長が堺にきた際には宿所につかっていた寺です。もちろん当時はもっと大きかったのでしょう。
なぜ寺にはよくソテツが植えられているのか?
https://ameblo.jp/shinyouji/entry-12382131838.html
方違神社
さいごに方違(ほうちがい)神社に寄ります。
この方違神社は、むかしに言う河内、和泉、摂津の境にある「方位のない神聖な地」とされていました。
むかしから遠くへ旅をするとか引っ越しをする際には、その方向がよいか悪いかは大きな問題でした。そこで(方位のない)この地にお参りして方災除けをするために多くの人が訪れたとのことです。
【アクセス】南海三国ヶ丘駅より JR堺市駅へ
【入場料】町屋歴史館 200円
【満足度】★★★☆☆