焼酎、京都、デビットボウイといえば、正伝寺
【京都市 2025.1.29】
焼酎の話です。
戦後の高度成長とともにウィスキーをはじめとしたいわゆる洋酒が庶民の間に浸透しはじめると、日本在来の酒なかでも焼酎は急速に遠ざけられてゆきます。
当時は焼酎といえば一升瓶で売られコップや湯呑みに瓶からじかに満たしてちびちびと飲むイメージ、豊かさからカッコよさを求めはじめた時代に、これでは消費者からそっぽを向かれてしまいます。
京都発祥の宝酒造(現・宝ホールディングス)は日本酒・松竹梅こそ石原裕次郎をCMに起用し存在感を示していましたが、創業以来の主力商品である宝焼酎の売り上げは低迷をつづけ、打開策を打ち出すことが喫緊の課題となっていました。
ならばオシャレに飲む – – あとから言うのは簡単ですが、当時としてには画期的なアイデアだったはずです。
その焼酎の名前は「純」、一升(1.8ℓ)を700ccとし、ウィスキーのようなスマートなボトル、ボトルも中身も透明で「純」なクリスタル感を強調し、ロックグラスにピックで割った氷をいれて – – ステテコ姿のオヤジがちゃぶ台で一升瓶を抱えてのむイメージとは劇的に変わりました。
1980年のことですから若い方はご存じないかもしれませんが、このときテレビCMに起用されたのがデビットボウイでした。
ボウイは親日家として知られており、とくに京都が大のお気に入りでプライベートでしばしば訪れていたそうです。
焼酎・純のCM撮影に先立ち、宝酒造側からいかにも京都らしい場所をいくつか候補として提示したところ、ボウイ自身が京都市北区にあるさほど有名でもない寺を指名します、それが「正伝寺」でした。
加茂川沿いをあるく

大阪から京阪電車で京都・出町柳まできました。
以前にも書きましたが、出町柳で北から流れてくる高野川と賀茂川が合流し(それゆえいま渡っている橋を河合橋という)、ここで鴨川と名を変えて市内東部を南へ流れてゆきます。
今日はその賀茂川沿いの加茂街道を北へと歩きます。

加茂街道からすこし外れて寺町通沿いにある阿弥陀寺に寄ってみました。
ここは当時の住職である清玉上人が本能寺で討たれた信長の遺体(遺骨とも遺灰とも諸説あり)を運んで葬ったという伝承があり、信長と信忠の墓がたしかに墓地に入ってすぐのところにあります。
以前は参拝無料だったので近くに来たさいには寄っていたのですが、今回はじめて志納金500円、と門前に書かれていました。
(門の外から墓の様子を本日同道している家内に語って聞かせ、見た気分になって立ち去ります)


ずいぶん雲が出てきました
正伝寺

なぜデビットボウイが正伝寺を指名したかというと、その庭に魅せられていたようです。
白砂とツツジだけのシンプルな枯山水、そして瓦を上にのせた低い土塀のむこうに比叡山をのぞむ、文字通りの借景庭園です。
それゆえ雲がでて比叡山が見えなくなることを心配していたのですが、ここに着くまでにまた青空がひろがり始めました。





山ひとつがそのまま寺の境内になっているようで、堂宇まではそこそこ上がらなければなりませんが、広大な境内ゆえ参道を長くすることで階段はいたって緩く、静かな木立の中をのんびり歩いているうちに俗世からはなれてゆくかのような解放感につつまれます。
修験道が厳しい坂道や岩場を歩くのとは反対に、これも解脱へのアプローチの仕方なのかもしれません。

この階段もいたって穏やかです

庫裡の左にみえる下駄箱に脱いだ靴をいれ、社務所で参拝料をおさめて方丈へ。
なお正伝寺は臨済宗南禅寺派の禅寺です。

正伝寺を訪ねる時期ですが、おすすめは夏です。空が青く、ツツジも緑みどりしており、見た目もずっと美しいです。10年近く前にデビットボウイの追悼記事のような形で書かれた焼酎純のCM撮影秘話を読んだのがきっかけではじめて訪れたのが夏でした。
ただし難があります、京都の夏はことのほか暑い。
今回冬に訪ねたのは人が少ないと見越して。山門をはいり山門から出るまで1時間とすこし、その間だれにも会いませんでした。社務所の方も参拝料を受け取ったあとは席を外しており、方丈で庭を眺める間もたまに風で木立が揺れる音のほかは完璧な静寂につつまれていました。
春は桜、そしてツツジが咲き、秋は紅葉が楽しめそうですが、その時期の人出についてはくわしく知りません。
【アクセス】京阪出町柳駅~(加茂街道)~阿弥陀寺~神光院~正伝寺~最寄りのバス停 / 11,000歩
【料金】正伝寺拝観料:500円
【満足度】★★★★☆