逢坂の関から音羽山へ、たまには和歌に親しみながら

【滋賀県・大津市 2026.3.24】
逢坂の地名は全国にいくつもあります。いまでは「おうさか」と呼ばれていますが、古代には人と人がその坂で出会うことから「あふさか」だったと言われています。
百人一首、と書きかけたところでついでに言っておきます。
小倉おぐら百人一首は、鎌倉時代に藤原定家が京都嵐山の後背に位置し保津峡を北に見る小倉山の山荘で、そもそもが天皇の勅命で編纂された数々の勅撰和歌集(古今和歌集など)から厳選して、百人の各一首をまとめたものです。
(ちなみに小倉餡おぐらあんは、この小倉山で栽培された小豆からつくった餡ゆえに命名されたそうです。)

「これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂あふさかの関」
これは百人一首10番、作者は蝉丸。
「ああこれが、京から出てゆく人も帰ってくる人も、知っている人も知らない人も、出合いまた別れる、逢坂の関なのか」
蝉丸は盲目の琵琶法師だったそうですから、私にはなぜ逢坂での人の往来を見たかのように認識できたのかという疑問が出てくるのですが、逢坂の関はすでに歌枕になっており、逢坂の関とくればこんな情景と定義づけられていたと理解すべきなのでしょう。
またこの歌は視覚的に人の往来を詠んだだけでなく、人には出会いもあれば別れもある、人と人が出会えば必ず別れもあると、平家物語でいう「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」の無常の意味を込めていると考えるべき、と先人が教えています。了解です。

「夜をこめて 鳥のそら音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ」
百人一首62番、作者は清少納言。
この歌には清少納言の造詣や機智、あるいは女性としての矜持のようなものが見られてたいへん興味深いです。関心のある方は、ネットで調べてみてください。

逢坂の関

逢坂の関

京阪電車・大谷駅で下車、東へあるいて国道に合流するとすぐにこの光景が見えてきます。
左が逢坂山、右が音羽山、逢坂の関はこのあたりにあったそうですが、国道(しかも1号線)を施設するための工事で影も形もなくなりました。
それでも前方は滋賀大津へ、後方は京都へつながりますので「京を出る、京へ帰る」感覚はかろうじて理解できます。

ところで。
前方にみえる陸橋をわたって音羽山へ向かうはずだったのですが、麓まで行ってみるとチェーンをかけて通行禁止になっていました。以前は通れたようなのですが、いまは自治体が点検工事を行うさいの非常用に指定されて一般の立ち入りに制限がかかったのでしょう。
もっとも登山用のサイトYAMAPで見たかぎりではほんの数日前にここを通ったというブログが残されているのですが – – – (この疑問は音羽山への登山中に解消します)

致し方ないので大津方向へ歩き、別の登山口から音羽山へ向かうことにします。

大津駅南方の登山口

20分ほど大津駅方向に歩き、高山寺霊園入口の石柱を目印に右折して坂を登ります
霊園につく前にこの小道へ入ります
すぐに山道にかわります
整備されているとは言い難いものの、歩きやすい道です
急坂もあります

音羽山

「音羽山 音に聞きつつ あふ坂の 関のこなたに 年をふるかな」
古今和歌集473番、作者は在原元方
「音羽山の名を聞くように、あなたの噂を聞きながら、逢坂の関を越えれば会えるものを、こちら側に居て、年を経てしまった」
これは京都で暮らす在原元方が、おそらくは近江にいる恋する人を想う恋歌なのでしょうが、国道1号線を車がじゃんじゃん走る逢坂を見てきた身にはどうもピンときません。(現在の逢坂に情緒がないという意味と、京都から近江までなら車で1時間もかからないだろうという意味で)

この辺り なかなか良い雰囲気でした
木々の間から琵琶湖がすこし見える
、高低差は小さいですが、アップダウンを繰り返す
音羽山?の稜線
琵琶湖・中央に琵琶湖大橋がみえる
視線を変えると、左に比叡山が見える

「音羽山 こだかく鳴きて ほととぎす きみが別れを 惜しむべらなり」
古今和歌集384番 作者は紀貫之
「音羽山の 声高く鳴いた ほととぎすは わたしと同じように君との別れを 惜しんでいるようだ」
この歌も逢坂かどうかはわからないものの音羽山のふもとで「きみ」を見送った歌です。
ホトトギスは夏の鳥ですから3月の登山で鳴き声を聞くことはありません。くわえて音羽山麓はいまや住宅地に変貌しており、この句から別れを惜しむイメージはわきません。

ちなみに古今和歌集の名の由来は、古(過去:8世紀後半編纂の万葉集)から今(古今和歌集が編纂された10世紀初頭)までの和歌をあつめたというものです。

音羽山山頂

尾根道を歩きます

右の道を下ってきました。ここから写真を撮影している自分の後方(背中)にむかって歩くのですが、左の道を下って行くと「京阪大谷駅 2.4km」と表示がありました。
すなわちこの道をすすめば京阪大谷駅へ着くということで、ならば必然的に最初にみた陸橋をわたれるということになります。
おそらくYAMAPで最近あの陸橋を通った方は、この道をあるき、陸橋(大谷駅の直前)になって通行止めを知り、さすがに戻るわけにもいかず突破したということなのでしょう。

鉄柱の立つ山頂に到着
音羽山山頂より / 比叡山と琵琶湖をのぞむ

「音羽山 さやかに見する 白雪を 明けぬと告ぐる 鳥の声かな」
新古今和歌集668番 作者は高倉院(高倉天皇)
「音羽山を明るくはっきり見せる白雪を、間違えてもう夜が明けたと告げる鶏の声よ」
近年では京都市街近辺の山で夜明けと間違えるほど積雪があるのは、愛宕山(標高924m)と比叡山(848m)の山頂付近くらいで、気候変動の影響とはいえ音羽山・白雪といわれてもこれもイメージがわきません。

なお新古今和歌集は鎌倉時代に後鳥羽上皇の勅命で編纂されたもの、編纂者のひとりは藤原定家ですから百人一首と同時期に編まれたものです。
その後鳥羽上皇は高倉天皇の第四皇子、詠んだ歌が百人一首のなかに99番の歌として選ばれています。
「人も惜し 人も恨めし あぢきなく 世を思ふ故に もの思ふ身は」
後鳥羽上皇は天皇の復権をめざして北条氏に挑み(承久の乱)、敗北して隠岐へ流されます。
この歌は承久の乱以前に詠まれた歌でしょうが、執政・北条氏に権力をうばわれ鬱屈した心情がひたひたと伝わってきます。
この歌の背景などに興味のある方は、ぜひネットで調べてみてください。

下山、石山駅へ

この道も整備されていませんが、歩きやすい
谷を下ります / 右の表示には「石山寺 6.7Km」とありました
深山の趣きもある谷をぐんぐん下る
渓流沿いの岩場は足元に注意

ところで、清水寺の山号(その寺がどこの山にあるかをしめす)は音羽山です。
とはいっても今日登った音羽山とは関係がなく、清水山の別名(おそらくむかしの呼び名)が音羽山だったということです。

ここから先で林道に出て、そこから30分ほど歩くとJR石山駅に着きます。

音羽山は思いのほか山歩きを楽しめました。
古い和歌とはイメージ的にほとんど合いませんが、それはそれとしてオススメします。

【アクセス】京阪大谷駅~逢坂の関跡~大津駅南方の登山口~音羽山~牛尾山~国分団地~JR石山駅 / (大津駅南方の登山口から石山駅まで)19000歩、4時間10分
【満足度】★★★★☆



山登り,京都

Posted by 山さん