因島水軍城を見て歩く

【広島県・尾道市 2022.11.7】
かつて瀬戸内海の、安芸(現・広島)と伊予(現・愛媛)にはさまれた一帯を支配していた村上水軍と呼ばれる海賊衆がいました。
南北朝時代に起源をもち、室町時代に勢力をひろげて行きます。やがて3家にわかれ、それぞれ本拠地とする島名を冠して、能島村上家、因島村上家、来島村上家と呼ばれます。
やっていたことは海峡を関所にみたて、そこを通過する船から通行税を取り立てることゆえ、地元では海賊ではなく管理者であるとの見解もあるようですが、まず幕府から認められた守護職ではなく、通行税を払わずに運航している船に対しては容赦なく急襲、略奪を行なっているのですから、やはり海賊に近いでしょう。
しかし戦国時代になると各地でより大きな勢力をもつ大名が勃興し、村上水軍も単独で生き残ることが難しくなってきます。
村上3家の中で、もっとも目立って歴史に名を残したのが因島村上家です。毛利家に臣従し、毛利が織田信長と激突する摂津の戦いでは、毛利からの命で摂津の地で籠城する石山本願寺へ海上から兵糧を運び入れる役をうけもち、それを阻止せんと待ち受ける織田軍の船を完膚なきまでに打ちのめし、みごとに大役を果たします。
(ただし2度目には、信長がつくらせた鉄板張りの巨船に迎撃され、反対に木っ端みじんに蹴散らされてしまいます)
織田家も豊臣家も戦国時代の激動の中で滅亡して行きますが、臣従していた毛利家は江戸時代をとおして存続したため、因島村上家も長州藩の船手組として生き残ります。

紫色のマークが今回訪れた場所です。

因島水軍城

駐車場のある麓から見上げる

さて村上水軍城ですが、地元の観光案内には「日本唯一の水軍城」とうたっているものの、もともとこの場所に城はありませんでした。
家臣の住居があった地に、「村上水軍史料館」を城郭風の建物としてつくったというのが実情です。

ここだけ見ると、まずまずの雰囲気ですが、
全体を見ると、まるで粗大ゴミ捨て場?
城門ではなく、山門となっていました
隅櫓
本丸に相当する建物 / ここが史料館
展望所でもある隅櫓から史料館をみる

城から眺める

周囲の山々も紅葉が始まっていました

城内・史料館

史料館は、展示の仕方 – – はっきり言うと、展示のセンスがなんともひどいのですが、内容的には貴重なものもあり、見て損はありません。

金蓮寺

金蓮寺・山門
山門より
村上水軍墓地

金蓮寺は、因島村上家2代当主、村上吉資(よしすけ)が村上家の菩提寺として建立したものといわれていますが、建立者については定かではありません。
しかし村上家の菩提寺であることは間違いなく、寺の裏には歴代の墓があります。

【料金】村上水軍城本丸(史料館)330円
【満足度】★★☆☆☆

因島のあと、隣島の木口島までゆき平山郁夫美術館を訪れました。
どちらが良かったかの比較はしませんが、オススメであれば平山郁夫美術館を押します。