茨木城のなごりを探しに出向いてみる

【大阪府・茨木市 2022.12.25】
大阪生まれの大阪育ちの人の中には、関東の「茨城県」のことを「いばらきけん」と思い込んでいる人が結構います。なぜかというと、大阪府には「茨木市」が存在し、これを「いばらき」と読むゆえにほかなりません。
地理的には、大阪府の北部で京都寄りに位置します。かつての摂津の国にあたり、高槻城、吹田城、池田城、伊丹城(有岡城)などとともにここには茨木城がありました。応仁の乱から三好長慶の時代を経て、織田信長に付いたり離れたりする群雄、荒木村重や高山右近らが生きた時代に、同じように生まれ、戦い、そして死んでいった武将・中川清秀が城主となって拡大増強した城です。
摂津の国はことのほか衰亡が激しかったこともあるのでしょうか、さきに列記した城はいずれも遺構がほとんど残っていません。なかでも茨木城は石垣のひとつも、曲輪の一部も残っていません。
午後からぽっかり時間が空きました。自宅から茨木まで片道30分なので、往復時間を入れても探索時間はじゅうぶん取れます。なにか名残りでも見られないだろうかとかすかな期待を胸に出向いてみることにしました。

紫色のマークが今回訪れた場所です。

ここが茨木城跡

阪急茨木市駅から徒歩10分ぐらい、googleマップで「茨木城跡」とピンで表示されるのはこの辺りです。
現在マンション建築中、その周囲も住宅と道路で、それらしきものはまったく存在しません。

妙徳寺表口

かつて茨木城の脇門がここ妙徳寺の三門(表門)として移築され、その後台風や地震で何度も倒壊しながらも再建して今に至ると、画像で見たのですが、またまた壊れてしまったのか、現在はこのような「門なし」の状態でした。

楼門

近所の茨木小学校に楼門が再建されています。
残念ながらあくまで再現したもので、当時の様子を知るには良いのでしょうが、それ以上のものではありません。

梅林寺

梅林寺は中川家の菩提寺です。
この寺の墓地に中側清秀の墓があるはずなのですが、残念ながら寺は閉まっており、御堂の奥にあるはずの墓を見ることはとても無理でした。

茨木神社・東門

茨木神社のこの門は、茨木城の搦め手門(裏門)を移設したものと伝わっています。あくまで「伝わっている」です。
そう思ってみると瓦は平成以後の葺き替えのようだし、壁はきれいすぎるし、柱もどうなのでしょう。

ということは茨木城の名残りはなにも目にすることができなかったということになります。

茨木神社 / 干支くぐりから拝殿へ

茨木神社は1400年の歴史をもつそうですが、拝殿は令和になってから建て替えたとか。
写真で見る建て替え前のものはまことに厳かのですが – – –

今日は最初から最後までハズレでした。

万博公園へ向かってあるく / 前方に太陽の塔
万博公園・太陽の塔

茨木ではなにも見ることができず、たいそう時間を持て余すことになったので、4,5km離れた万博公園まで散歩がてら歩くことにしました。
その途中で、道路におちていた財布を拾い、どうしたものかと持ったまま歩いていたら運よく100mほど先に交番があったので早速とどけて散歩を続けました。落とした人が年内に受け取りホッと安心して新年を迎えられたらよいのですが。ともかくも出歩いてよかったと、終わりよければすべて良し。

【アクセス】阪急茨木市駅から歩きはじめ、阪急山田駅へ
【料金】すべて無料
【満足度】今回は評価できません