佐和山城は石田三成に過ぎたるものか

【滋賀県・彦根市~長浜市 2024.8.28】

「三成に過ぎたるものが二つあり 島の左近と佐和山の城」とはいかにも有名な俗諺(もとは落首だった?)ですが、さて真相はどうなのでしょうか。

島左近はもとは大和の筒井順慶の重臣であったものの何らかのトラブルがあって筒井家を離れます。
その後浪人していたところ当時4万石の禄高に過ぎなかった石田三成がその半分の2万石を知行として与え三顧の礼で迎えたと言われています。
(この話はなにやら出来すぎのようで、秀吉から大和をふくむ一帯をあたえられた弟の秀長のもとで仕えていたとか、三成が4万石から出世して19万石の大名になったさいに仕官したとか諸説あり、正確なところはわかりません)
それにしても2万石もの知行をあたえられた家臣というもの自体がまれですが、唯一その活躍が記録にのこる関ヶ原合戦での戦巧者ぶりをみるだけでも「三成に過ぎたるもの」と納得できます。

では佐和山城はどうなのでしょうか。
昭和の時代に書かれた歴史小説では「三成に過ぎたるものが 、と言われるだけあってさすがに見事な城」といった調子で書かれています。しかしいまの時代はネットがあるので「佐和山城、復元」で検索してみたところ、出てくる画像はけっこうショボい。
それならば、ということで現地に赴いてみることにしました。

佐和山城へ

JR彦根駅から佐和山城のある城山をみる
龍潭寺の境内奥に登城道がある
三成の座像

石田三成は関ヶ原合戦で敗れ、佐和山城を守っていた三成の親族も城を支えきれずに自害します。
三成のあとここに入城したのは徳川四天王のひとり井伊直政ですが、居心地がよくなかったのかすぐに1㎞ばかり離れたふもとに彦根城を築いて移ります。
龍潭寺はその井伊家の菩提寺ですが、その参道にはなぜか敵対者であった石田三成の像があります。
なんだか手打ち蕎麦屋に行ったら食後にカプチーノが出てきたような違和感を感じます。

彦根観光協会のパンフレットより

左上の★マークのところからスタート、ほぼ赤線にそって山上の本丸を目指します。

ところでこのMAPで見るかぎり、佐和山城がすくなくとも巨城でなかったことはわかります。

登城道をのぼる

龍潭寺奥の墓地を抜けて
おそらく寺用とおもわれる石段をのぼります
これは城の造作(切通し)か?
城につかった石ではなさぞう

西の丸、本丸

塩硝櫓跡 / 西の丸の一角
本丸へむかう途中にのこる竪堀
本丸
本丸からの眺め / 中央の緑地が彦根城
天守台跡とつたわる場所から見下ろす
巨石2つが天守台を支える石垣の残りと伝わる

下城する

井戸跡は倒木で見えない

ここまでは自分が歩いている位置をなんとか把握していたのですが、これより先は案内板もなく分からないままに歩きました。

曲輪跡なのか、後方は土塁のようにも見える
するとこれは切通し跡?
さいごに公園のようなところに出てきました

佐和山城ですが、三成の時代には3層だか5層だかの天守もあったそうです。また石垣、建物など使えるものはすべて彦根城に運ばれて再利用されたとか。
それゆえ当時の遺構は皆無にちかいほど残っていないそうですが、それにしても規模の点だけでもこれで「三成に過ぎたるもの」と言ってしまったら、三成もずいぶん低く評価されたものと憐れむしかありません。

正体不明の石垣

この見事な石垣ですが、佐和山城登城口(龍潭寺)をしめす道案内がたつ、その背後に堂々と鎮座しているのですが、なにものでしょうか?
「佐和山城、石垣」で検索するとたしかに画像は散見されるのですが、ひとつとして佐和山城の石垣とか遺構と明記しているものはありません。

石田三成の故郷をたずねる

JR長浜駅前にたつ、秀吉と三成の出会いの像

佐和山城を散策したあとは、三成の生誕地である石田村(現・長浜市石田町)を訪ねてみます。

いったんJR彦根駅へ戻り長浜駅へ。
そこからさらに8kmほど東にあたるので、駅前からバスに乗ることにしました。

このあたりが生家跡

三成はこのあたり一帯をおさめる国侍・石田家の三男として生まれます。
隣村の寺に預けられていたときに秀吉と出合った(三献の茶)とされていますが、寺に預けられたのも学問を学ぶためだったようで、もともと正統な武士の家系にうまれたといえます。

三成産湯の井戸とつたわる
石田家一族の墓がのこる石田神社
石田三成の座像

三成は前頭部と後頭部が大きく張り出した才槌頭だったそうです。
記念館に展示された、墓から発掘した頭蓋骨の写真からもそれは確認できました。
この頭形は頭脳明晰な人に多いようで、なるほどと納得。

三献の茶の舞台・大原観音寺

右に見えるのが伊吹山

石田町から東へ2㎞ほど歩くと伊吹山が見えてきます。その手前の小山のふもとに三成と秀吉が出会ったとされる観音寺があります。
この寺こそ三献の茶(三杯の茶)の舞台ということになりますが、その逸話そのものの真偽が不明ゆえ詳細は省きます。

趣のある石階段をのぼる
本堂と薬師堂(右奥)
鐘楼

三献の茶の真偽はともかく、大原観音寺は当時にくらべるとずいぶん縮小されたようですが、それでも良い雰囲気を残しています。
(大原観音寺はぎりぎり米原市に属します)

【アクセス】JR彦根駅~徒歩20分~佐和山城、JR長浜駅→湖国バス→石田バス停~石田町~徒歩30分~大原観音寺
【満足度】★★★☆☆