城郭・史跡,群馬

【群馬県・高崎市 2024.5.24】群馬県高崎市とはいっても市街地からはずれた旧群馬郡箕郷町に、箕輪城址はあります。箕輪城ですが、関東管領・上杉氏の家臣であった長野業政(なりまさ)によりつくられた城のようです。業政は相模から勢力を拡大する北条氏が台頭し上杉氏の威勢が衰えてくると、西上野(こうずけ)の領主としての矜持を保つかのごとく孤軍となっても勢い盛んな北条氏に抵抗しつづけます。すると西からは武田信玄が迫ってきます。ところがあの信玄さえも攻めあぐね幾度も仕切り直しすることになります。それほど抵抗が続けられたのはなんといっても箕輪城の堅い守り、そして長野業政の武勇と武略のたまものだったのでしょう。それを(皮肉にも)証すかのように、業政が死ぬと城内ではその死を秘匿していたにもかかわらず武田軍は得意の諜報で事実をつかみ、周辺の調略もあわせてひたひたと侵攻し、ついには難攻不落といわれた箕輪城を落としてしまいます。この箕輪城、険峻な山上にあるわけでもなく、こんもり盛り上がった丘状にあるいわゆる平山城です。なぜそれほど難攻不落なのか、訪ねてみることにしました。 大堀切 駐車場にあった案内板から抜粋 搦手馬出をぬけて登城します 両側の土塁がくずれていますが、堀底を歩いています。 木俣曲輪あたり 大堀切にまもられた郭馬出... Read More | Share it now!