街歩き・山歩き,城郭・史跡,奈良

【奈良県・明日香村 2022.4.17】ややこしいのですが、飛鳥文化の遺構がのこる地域を飛鳥の里といい、奈良県の明日香村にあります。大阪から電車でくると、近鉄・飛鳥駅で下車しますが、駅近くのコンビニは「○○明日香店」となっています。要は、地名としては明日香、文化としては飛鳥ということなのでしょう。なにはともあれ、明日香村の飛鳥の里を歩いてみます。 飛鳥駅から歩きはじめる ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,滋賀

【滋賀県・長浜市 2022.4.9】秀吉は出自もたしかでない下賤の出ですが、織田信長に出会い、その人物に惚れこむことで草履とりから侍、侍大将から家臣へと破格の出世をつづけます。やがて近江の国を治めてきた浅井家を滅ぼすことに成功した秀吉は、この地を信長から授けられ、ついに12万石の城もち大名へと成りあがります。しかし秀吉がもっとも輝きながら躍動していたのはこの頃までではなかったでしょうか。明智光秀との出世競争、信長の死、そこから天下人へ。そのあたりの経緯には、なにやら怪しい印象が付きまといます。それはさておき、秀吉が躍動していた時期の、長浜の街を訪ねてみましょう。 長浜上陸 琵琶湖上より... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,和歌山

【和歌山県・紀の川市 2022.4.2】「桃源郷」とは中国の古い話で、漁師が船で桃の咲く林に迷い込み、その林を抜けたところで洞窟をみつけ、その洞窟を抜けると、災いも争いも飢えもない平和な土地にたどり着いたことから「桃源郷」=「理想郷」の言葉がうまれます。ですから理想郷には桃が咲きほこっていたというのではありません。そのことを考慮すると、桃畑に「桃源郷」をキャッチワードとするのはいくらか無理があるようにも思うのですが、それはさておき、和歌山県紀の川市が「桃源郷」とうたう、桃の聖地を訪ねてみます。本日は根来寺でサクラを愛でたあと、ひたすら歩いて紀の川の桃源郷へ向かいました。 紀の川へ向けて歩く 紀の川へ トンネルをぬけると... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・橿原市 2022.3.27】今日は大和三山を登って回るつもりですが、藤原宮跡地の菜の花が見頃との情報を得ましたので、まずは寄ってみます。 菜の花畑 藤原京跡地を利用した菜の花畑 ドーンと菜の花畑がひろがっています。 右側土手の桜はまだ三分咲きぐらいで、菜の花と桜の競演とはいきませんが、それにしてもこの一面真っ黄色というのも見事です。 菜の花畑、後方に畝傍山 飛鳥の里周辺の歴史的風土保護区にある三体の山を総称して大和三山とよびます。 いま菜の花畑の後方に見えている小山が畝傍山(うねびやま)です。ほかに天野香久山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)をきょう一日でまわるつもりです。<最終的には時間不足で、畝傍山には行けませんでした> のどかな桜並木道 藤原京 藤原京・朱雀大路跡 藤原京跡... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・八幡市~京都市伏見区 2022.3.12】石清水八幡宮のあとは、木津川をのぼって流れ橋を訪ね、そこから北へとあるいて京都市伏見区にある城南宮にしだれ梅を見にゆきます。 安居橋 安居橋 石清水八幡宮(男山)の裏参道を下ってくると、この安居橋(あんごばし)の手前に出てきました。この位置からみると歴史を感じさせる橋なのですが、階段をおりて川床から見上げると、橋脚はコンクリート製、橋自体も鉄骨で骨組みをつくりその上に板を貼り付けた代物でした。 安居橋を取り入れたマンホール 流れ橋 流れ橋と茶畑 石清水八幡宮から4,5kmほど歩いた先にある「流れ橋」に到着しました。 流れ橋 流れ橋はさきほどの安居橋とはちがい完全な木製の橋で、時代劇の撮影などにもしばしば使われているそうです。 流れ橋には手摺、柵はありません 何故かというと、川が氾濫すると橋板が流され、このロープで川面を漂い、水量が減ると引っ張りあげて元に戻す仕組みだからです。 対岸の茶畑 ここから城南宮にむかって10kmほど北へと歩きます。 久御山ジャンクション... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都・大山崎町~八幡市 2022.3.12】今年正月に天王山に登りましたが、見逃したものがあるので大山崎を再訪し、そこから桂川、宇治川、木津川をわたって石清水八幡宮に参詣します。 離宮八幡宮 大山崎・離宮八幡宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.3.5】今年で20回目をむかえる東山花灯路ですが、哀しいことに今年が最後となるそうです。理由はなんだかんだといってますが、要は財政難ということのようです。ちょっと信じがたい話ですが、このままゆくと京都市は10年以内に財政破綻する可能性が大だとか。なぜそんなことになったのか。https://www.yomiuri.co.jp/politics/20210526-OYT1T50096/ そんなこんなで、もう来年からは見られなくなるそうなので、自分にとってはこれが通算3回目になる、最後の東山花灯路を見にきました。 東山花灯路 一般の公園にも美しい電飾 花灯路の名のとおり灯路を歩きます 青蓮院門跡 青蓮院門跡外観 青蓮院門跡につきました。 庭園 宸殿(しんでん)と前庭 この竹林のライトアップは見事でした 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は比叡山延暦寺・東塔にあった青蓮坊を起源としています。すなわちここは天台宗の由緒ある門跡寺院です。 門跡寺院とは、皇族や摂関家(公家のなかでも関白や摂政をだす名門)の子弟が門主をつとめた歴史のある格式高い寺院をそう呼びます。この青蓮院の場合は、鳥羽上皇が皇子をあずけたそうです。ところで上の写真の「宸殿(しんでん)」とは、宮殿にちかい意味をもち、門跡寺院特有のものです。寺領内でもっとも大きな建物としてつくられ、主要な法要はすべてここでおこないます。 円山公園 知恩院のまえに飾られたアート 円山公園内を飾るアート 円山公園 花灯路を歩く 左に見えるのは大雲院の祇園閣 右は大雲院 二年坂 二年坂からのぞいた小路 二年坂、そのいわれはhttps://thegate12.com/jp/spot/2691 八坂の塔 八坂の塔... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,滋賀

【滋賀県・近江八幡市 2022.2.26】近江八幡は豊臣秀吉の甥にあたる秀次が居城を構えることで城下町として発展してゆきますが、入城した当時の秀次は若干18歳。すべては近江を軍事・経済両面の要衝とすべく着々と手をうつ秀吉が、その中心に飾り物として据えたにすぎません。秀次はその後すぐに尾張清須へ移封となり、さらに秀吉の勘気にふれ追放、切腹。そして近江八幡城もわずか10年で廃城となります。しかし街はいわゆる近江商人の活躍の場となり、その後も商業都市として発展してゆきます。 安土から近江八幡へ 近江八幡市街へむかって歩く ふり返ると安土山、繖山 じっさいにはここからしばらく南へ歩いてJR近江八幡駅、その手前で西へ進路をかえまたしばらく歩くのですが、ざざっと省略します。近江八幡市街の古い町並みに到着です。 近江八幡の古い町並み 後方に見えるのが、このあと登る八幡山 八幡堀 ここが近江八幡のイメージとしてパンフレットなどに頻繁につかわれる八幡堀です。昔のままなのか、昔のまま風なのか... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,滋賀

【滋賀県・近江八幡市安土町 2022.2.26】織田信長によって築かれた安土城は、それまでの城の概念にはおさまらない、独創的な縄張りと意匠で威容を誇っていたといわれています。そもそも守るための城ではなく、見せること、さらには魅せることに重きをおいていました。真っすぐ上へとのびる大手道からは、登りながらに山上の金色の望楼をもつ天守(天主)閣を見上げます。絢爛豪華に飾られた、その天守にはまさに天主、神たらん信長が住まわっていました。 安土駅 JR安土駅 安土駅は、駅でもあり広告塔でもあり。 安土城址 安土城址・石垣 安土城址・曲輪 自慢の一直線にのびる階段(大手道) 本来城の階段は敵の侵入や攻撃をふせぐ目的で途中に虎口をつくって屈曲させたりするものですが、この安土城は視覚効果を計算して一直線に上りあがってゆく、きわめて特異なつくりになっています。ところがその一番の見せ場の長階段がこれです。土日は工事をしないのなら、道具を片付けてもらえないのかねえ。 安土城はなにが画期的だったのかhttps://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/539262 羽柴秀吉邸跡(下階) 羽柴秀吉邸跡(上階) 上の2枚は羽柴秀吉邸の跡地とつたわる場所です。上下2階に分かれているのは、いまでいうメゾネットタイプではないですか。このあたりにも斬新さがうかがえます。きっと下の階に厩舎や薪置き場、あるいは小者の寝場所などがあり、上の階にあがると秀吉の生活空間があったのでしょう。それにしても上階から前方に見えるのは総見寺のはずですが、みごとにブルーシートで覆われています。てことは見れないということですかね。(結果:やはり立ち入ることはできませんでした) 石階段につかわれた石仏 石階段に、石なら何でもとばかりに石仏が押し込まれています。これは信仰心の有無ではなく、この当時はよその城から石垣をこわして持ちかえる、あるいは近在の社寺から石仏、墓石、石塔なんでもござれとすべて使って、より早く城を完成させることが普請役の腕の見せどころでした。姫路城にはどこから持ってきたのかでかい石棺を門柱のごとく立てて使っていますし、奈良の郡山城には石仏をよりによって逆さまにはめ込んだ「逆さ地蔵」なるものもあります。 黒金門跡 黒金門跡 今までと異なりここで階段が90度右に曲がり、虎口が造られています。ここに黒金門とよばれる立派な門があったそうで、ここからは防御をかんがえた構造になっているわけです。ところで安土城には「蛇石」とよばれる7000人のひとが命がけで運んだ巨石があったはずで、使われるとすればメインゲートにあたるこの黒金門周辺に配置されているはずなのですが、完全に行方不明になっています。 石材として使われていた仏足石 次男・信雄と子息の供養塔 信長本廟 信長の本廟 信長の本廟もここにあります。秀吉が遺品を埋葬してここを本廟としたそうです。ところで次男・信雄(のぶかつ)がどうしようもない愚物で、信長が討たれた直後になにを血迷ったか、この安土城に火を放ってすべてを消失させてしまったとの説がありますが、これは大ウソです。この話は宣教師が書き残したものですが、おそらくはキリスト教に理解を示さない信雄憎しでいい加減に書いたものと思われます。 本丸跡 天守台跡 総見寺 もと総見寺のあった地にのこる三重塔... Read More | Share it now!