街歩き・山歩き,山登り,花、紅葉見ごろ,兵庫

【兵庫県・宝塚市 2024.4.19】昨春中山寺に参詣し奥の院を経て中山連山の最高地点まで登りました。そのとき時間も余力もあったので尾根伝いに西隣の大峰山をめざしたのですが、どこをどう歩いたのか道をすっかり見失い結局まるで違う方角に下山する羽目になりました。あれから1年、自分の方向感覚が鈍っていることを痛感し、年会費5700円を払って山登りのためのアプリYAMAPのプレミアム会員になりました。今回はスマホで自分の足取りを確認しながら歩くので、道を間違えることはないはずです。前回と同じルートを歩くのはつまらないので、中山連山を東南から巻くようにあがって最高峰(といっても標高478m... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,大阪

【大阪市 2024.4.18】「けったいな」という表現は、関西それも京阪神あたり限定だそうで、それならば先に「けったいな」について説明をしておかねばなりません。一言でいうと、奇妙な、珍しい、といった意味になります。ところが具体的に「けったいな人」といった場合、「たいへん個性的な身なりの人」もあれば、「やたら自己主張の強い人」も含まれます。これらけったいな人を好きか嫌いかはそれぞれの判断に任せるべきで、けったいな人イコール係わりたくない人ではありません。今日は、大阪市内中心部(梅田キタから難波ミナミにかけて一帯)の、けったいな社寺をまわります。あまりにも小さいとか、社殿のデザインが奇抜とか、御利益が唯一無二とか、奇妙な神社、珍しい寺院の数々です。先にも書いたように、好みに合うか合わないかは人それぞれだと思いますので、あらかじめ地元の人に慕われていたり、SNSで大人気になっていたり、といったものを優先的に選びました。 梅田から歯神社へ 右上空にHEP... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,城郭・史跡,奈良

【奈良県・桜井市 2024.4.13】御破裂山という奇妙な名前の山があります。多武峰(とうのみね)の山頂をそう呼ぶのですが、多武峰に関しては、神々が天からこの山の頂に降臨し、そこから天香久山(あまのかぐやま)へと下っていったという神話の世界にも登場します。御破裂山の名の由来については、醍醐天皇(後醍醐ではありません)の時代いらい天下に異変があると山全体が鳴動したとか。その回数は35回とか、50回超とか、資料によりまちまちなのが少々胡散臭い、いえいえ少々気にはなるのですが、かつてはその鳴動を注意深く聞くための拝所のような場所まであったというのですから、やはり由緒ある神山ともいえる山なのでしょう。その多武峰の南ふところに談山神社(たんざんじんじゃ)があります。飛鳥時代に蘇我氏が権勢をふるっていたころ、その専横ぶりに怒りを抱く中臣鎌足(のちの藤原鎌足)が中大兄皇子を誘いひそかに談合した場所と言われており、この談合ののち蘇我氏を排除し(入鹿を暗殺、父の蝦夷は自害)ここから大化の改新が始まることになります。 神社へ バスを降りると、屋形橋をわたる 東大門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,三重

【三重県・伊勢市 2024.4.10】伊勢神宮の存在を知らない方はほとんどいないでしょう。神社の中でも皇室に関係した神様を祀るところを神宮と称し、そもそも〇〇神宮は〇〇神社よりも格上として扱われます。伊勢神宮はその格上の神宮のなかでもさらに最上位にあり、すなわち日本中でもっとも尊いとされる神社です。伊勢神宮が内宮(ないくう)と外宮(げくう)に分かれていることを知らない方は結構いるかもしれません。祀られている神様も、創建された歴史もまったく違います。内宮は正式には皇大神宮とよばれ、祀られているのは天照大御神、太陽を象徴する神で皇室の祖神とされています。およそ2000年前にその基となるものが建てられたと伝わっています。その500年後に外宮、正式には豊受大神宮が建てられますが、祀られているのは豊受大御神、天照大御神の食事をつかさどる神様であり、現在は衣食住、さらには産業の守り神として崇敬されています。一般には内宮であれ外宮であれ、どちらか一方だけを参るのは「片参り」といって良くない(十分ではない)とされていますが、祀られている神様のことを考えると外宮だけ参ったのでは伊勢神宮にまいったことには全然ならないといえます。(だから内宮だけなら良いというのではありません)それでは内宮と外宮はどういる順番で参るべきかというと、これは重要なものほど最後にの常で、外宮から内宮への順であることは容易にわかります。ところが外宮に参り、つぎに内宮へとむかい鳥居の前にたつと思わぬ指示に戸惑います。外宮では参道は「左側通行」と指示されています。ところが内宮では「右側通行」の指示があります。このことをあらかじめ知っている方はほとんどいないのではないでしょうか。 外宮・豊受大神宮 JR伊勢市駅から外宮へむかう 表参道火除橋手前に「左側通行」の立札 境内にあった案内板より抜粋 勾玉池 さらに鳥居をくぐって奥へ進む 神社の参道は。中央を正中といい神様が通るところとされているため参詣者は左右どちらかに避けて歩くのがマナーです。さらに社殿に向かって右側が上位、左側が下位となるため、いまから社殿にまいる人は下位にあたる左側をあるき、参ったあとの退出する人は上位の右側を歩くのがより正しいマナーです。 神楽殿 本宮と、古殿地(手前の空き地) 古殿地は伊勢神宮に独特のものです。伊勢神宮の正宮は20年ごとに建て替えられます(これを弐年遷宮といいます)が、旧いものをこわした更地に新しいものを建て直していたのでは、本宮がない空白期間ができてしまいます。そのため隣接した場所にあらたに建て、20年後には前の場所に戻りを繰り返し遷宮をつづけます。ですから前に本宮が建っていた場所を古殿地と称し、同時につぎの遷宮ではふたたび本宮が建てられる御敷地でもあります。 本宮はこれより先では写真撮影禁止 風宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,神奈川

【神奈川県・鎌倉市 2024.3.31~4.1】過去に訪れたことのない鎌倉を訪ねました。一日半をまるまる鎌倉見物にあてましたが、とてもすべてをじっくり見てまわることはできませんでした。こだわって見て歩いたのは、鎌倉時代初期の頼朝、実朝ゆかりの地。そして幕府倒幕にかかわる後醍醐天皇の皇子・護良親王と足利尊氏ゆかりの地。鎌倉幕府を立ちあげたのは源頼朝ですが、3代目将軍・源実朝が26歳の若さで暗殺され頼朝の血筋は絶え、その後は執権・北条氏による統制(というよりも支配)の時代がながく続きます。その北条氏の出過ぎた執政に業を煮やして王政復古をとなえ行動をおこしたのが後醍醐天皇であり、その勅命にこたえて参集したのが、関東では足利尊氏であり新田義貞であり、畿内では楠木正成です。ところが北条氏をたおして鎌倉幕府を地上から葬り去ったものの、その後はそれぞれの野心や思惑がぞろぞろと顔をだし複雑にからみ合い、ついに足利尊氏の弟で好戦家の直義が、後醍醐天皇の皇子で行動家の護良親王(もりよししんのう)を殺してしまうところから、後醍醐天皇(のちの南朝)vs... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市 2024.3.27】大阪と京都をむすぶ電車はいくつかありますが、京阪電車はその名称からしていかにも。大阪市の中心地から線路はまっすぐ北東へのび、京都市の中心地へ入ってゆきます。終点は出町柳駅。さて今日はその出町柳駅からほど近い下鴨神社からその北にある上賀茂神社へと歩いてみたいと思います。ながい歴史をもつ両神社、下(しも)から上(かみ)へと賀茂川沿いにあるく道、それだけでも楽しみはいっぱいですが、なにかテーマがあった方がより楽しめるでしょう。ということで、神社はなぜ赤いのか、神社の赤、正確には朱色について考えてみたいと思います。 河合神社から下鴨神社へ 出町柳駅と下鴨神社周辺図 北から流れてきた賀茂川と高野川は、ちょうど出町柳駅のあたりで合流し、そこから鴨川と呼び名が変わります。下の写真は河合橋から南を向いて両川が合流するあたりを撮影したものです。 前方で2本の川が合流する/前方は賀茂大橋 なぜこんなことをクダクダいうかといえば、これからの説明に大いに関係しています。 下鴨神社/正式には賀茂御祖かもみおや神社 下鴨神社についたと思ったら、いきなり赤い鳥居は修理中なのかカバーで覆われていました。今日のテーマは神社の朱色だけに、少々困りました。 下鴨神社の摂社・河合神社 河合神社の絵馬は美麗信仰の意味で手鏡型 河合神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、本来は女性守護として信仰されていましたが、さらに玉依姫命がたいそう美しかったことから美麗信仰として人気を博しています。なおこの河合神社の名の由来ですが、「河が合わさる」ー賀茂川と高野川が合流するー場所との意味からきているともいわれています。下鴨神社と上賀茂神社の「かも」の字の違いについては、かたわらをながれる川が上流では「賀茂川」で下流では「鴨川」にかわることに起因してるとの説もあれば、神社が先で川のほうがそれに合わせたとの説もあり、はっきりしたことはわからないというのが実情です。 参道は大がかりに工事中 そもそも下鴨神社と上賀茂神社の関係ですが、もとは賀茂大社とよばれており、ふたつの社でセットだったようです。異なる点はというと、祀られている神様が違います。簡単にいうと、下鴨神社にはおじいさん(賀茂建角身命)とお母さん(玉依姫命)が祀られ、上賀茂神社には息子(賀茂別雷大神)が祀られています。 楼門 楼門... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,福井

【福井県・敦賀市 2024.3.15】明日3月16日に北陸新幹線が延長開業され、東の金沢から福井・敦賀までの運行が始まります。しばらくの間は新幹線開通祝いの余波で敦賀も観光客で混むのではないかと懸念し、なんとかそれまでにと思いながら伸ばし伸ばしになっていたのですが、ぎりぎり前日になって青空にも恵まれることを確認しました。それでは出発します。 JR敦賀駅 JR敦賀駅前は、明日からのイベント準備中 開業初日もいろいろ新鮮な光景が見られるのでしょうが、開業前日もなかなか興味深いものが見れました。ちなみに駅構内でも以下のとおり... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,岐阜

【岐阜県・可児市 2024.3.13】今日も「青春18きっぷ」をつかっての見て歩きになるので、通常はなかなか行きがたい遠方まで足を伸ばすことにします。前々から見に行きたかった、岐阜県・可児市にのこる美濃金山城について電車の連絡などを調べていたところ、最寄り駅が名鉄の明智駅。もしやと思って地図をよくみると、駅の北と南に位置するものの、明智城跡がおどろくほど近いことに気づきました。駅からの距離も調べて、朝7時過ぎに自宅をでて、11時半に明智駅着。それから歩きはじめても二つの城をめぐることは十分可能です。楽しみが二倍になりました。 明智城跡 駅から南へ歩くと、明智城址がのこる丘陵が このあたりが大手門跡 左が東出丸曲輪、右が中ノ曲輪 中ノ曲輪の切岸... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,神社・仏閣,城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・たつの市 2024.3.9】アルプスALPSは、ラテン語のALPESを英語読みにしたもので語源をたどれば、雪をかぶった白い山の峰というような意味があるそうです。そもそもはフランス~スイス~オーストリア~イタリア~ドイツあたりを東西につらぬく山脈のことを指しますが、19世紀にイギリス人技師が信州につらなる山系をみて日本アルプスと呼んだのは白眉といっていいのではないでしょうか。ところがその後、ご当地アルプスがつぎつぎに名乗りをあげます。いまでは全国に50以上あるといわれていますが、その大半は「白い山の峰」とは縁遠いもので、なかには100~200m級の山々が連なるといったのどかなものさえあります。しかしアルプスと名乗るだけのことはあって(?)、どれもアップダウンをくりかえすためそこそこ登りごたえはあり、尾根歩きが主となるので景観も楽しめます。さらに里山が多く登山口までのアプローチが楽なのも魅力です。今日はその〇〇アルプスのなかで、兵庫県南西部たつの市の、標高458mの亀山を最高峰とし北から南へとつらなる新龍アルプスを歩きます。 祇園嶽 JR播磨新宮駅から新龍アルプスへ なぜ新龍アルプスと呼ばれるのか、なにやらイワクありげなと、あらかじめその名の由来をネットなどで調べてみましたがわかりませんでした。ところが現地にきて電車をおりたのが播磨新宮駅、ふと思いついて調べてみると、ここは新宮町。新宮町からスタートし、ゴールは龍野城のある龍野町。新から龍へ、案外そういう単純な理由かもしれません。 山道に入ります 最初のピークである祇園嶽をのぞむ 祇園嶽へは一旦ルートから外れ 荒々しい急坂をのぼる 山頂から... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,花、紅葉見ごろ,兵庫

【兵庫県・高砂市 2024.3.2】大阪からJR神戸線にのって加古川駅をすぎると宝殿駅につきます。なんとも立派な駅名ですが、ここから西へ2kmほどのところ岩山の中腹に、その岩盤をけずって造った(正確には造りかけた)石の宝殿があり、そこから宝殿駅と命名されたようです。10代崇神天皇の時代に疫病がはやり、その平癒と平安のため天皇の勅願によりこの石の宝殿を御神体として創建されたと伝わるのが生石神社です。生石神社は「おうしこじんじゃ」と読みます。なぜそう読むのかは不明です。不明というと、なぜここに石の宝殿が造られたのか、そもそもこの巨石は宝殿として削岩されたものなのか、そういったこともすべて不明です。  生石神社 中央に見えるのが生石神社、左には採石場 生石神社周辺には採石場がたくさんあります むかしから播磨には岩山が多くあることは知られていたようで、いま奈良や大阪にのこる古墳のなかに収められている石棺は、このあたりから巨石を切り出して運んだとの説もあります。 鳥居をくぐり急階段をのぼる... Read More | Share it now!