【神奈川県・鎌倉市 2024.3.31~4.1】過去に訪れたことのない鎌倉を訪ねました。一日半をまるまる鎌倉見物にあてましたが、とてもすべてをじっくり見てまわることはできませんでした。こだわって見て歩いたのは、鎌倉時代初期の頼朝、実朝ゆかりの地。そして幕府倒幕にかかわる後醍醐天皇の皇子・護良親王と足利尊氏ゆかりの地。鎌倉幕府を立ちあげたのは源頼朝ですが、3代目将軍・源実朝が26歳の若さで暗殺され頼朝の血筋は絶え、その後は執権・北条氏による統制(というよりも支配)の時代がながく続きます。その北条氏の出過ぎた執政に業を煮やして王政復古をとなえ行動をおこしたのが後醍醐天皇であり、その勅命にこたえて参集したのが、関東では足利尊氏であり新田義貞であり、畿内では楠木正成です。ところが北条氏をたおして鎌倉幕府を地上から葬り去ったものの、その後はそれぞれの野心や思惑がぞろぞろと顔をだし複雑にからみ合い、ついに足利尊氏の弟で好戦家の直義が、後醍醐天皇の皇子で行動家の護良親王(もりよししんのう)を殺してしまうところから、後醍醐天皇(のちの南朝)vs... Read More | Share it now!
下鴨神社と上賀茂神社で、朱色について考える
【京都市 2024.3.27】大阪と京都をむすぶ電車はいくつかありますが、京阪電車はその名称からしていかにも。大阪市の中心地から線路はまっすぐ北東へのび、京都市の中心地へ入ってゆきます。終点は出町柳駅。さて今日はその出町柳駅からほど近い下鴨神社からその北にある上賀茂神社へと歩いてみたいと思います。ながい歴史をもつ両神社、下(しも)から上(かみ)へと賀茂川沿いにあるく道、それだけでも楽しみはいっぱいですが、なにかテーマがあった方がより楽しめるでしょう。ということで、神社はなぜ赤いのか、神社の赤、正確には朱色について考えてみたいと思います。 河合神社から下鴨神社へ 出町柳駅と下鴨神社周辺図 北から流れてきた賀茂川と高野川は、ちょうど出町柳駅のあたりで合流し、そこから鴨川と呼び名が変わります。下の写真は河合橋から南を向いて両川が合流するあたりを撮影したものです。 前方で2本の川が合流する/前方は賀茂大橋 なぜこんなことをクダクダいうかといえば、これからの説明に大いに関係しています。 下鴨神社/正式には賀茂御祖かもみおや神社 下鴨神社についたと思ったら、いきなり赤い鳥居は修理中なのかカバーで覆われていました。今日のテーマは神社の朱色だけに、少々困りました。 下鴨神社の摂社・河合神社 河合神社の絵馬は美麗信仰の意味で手鏡型 河合神社は玉依姫命(たまよりひめのみこと)を祀り、本来は女性守護として信仰されていましたが、さらに玉依姫命がたいそう美しかったことから美麗信仰として人気を博しています。なおこの河合神社の名の由来ですが、「河が合わさる」ー賀茂川と高野川が合流するー場所との意味からきているともいわれています。下鴨神社と上賀茂神社の「かも」の字の違いについては、かたわらをながれる川が上流では「賀茂川」で下流では「鴨川」にかわることに起因してるとの説もあれば、神社が先で川のほうがそれに合わせたとの説もあり、はっきりしたことはわからないというのが実情です。 参道は大がかりに工事中 そもそも下鴨神社と上賀茂神社の関係ですが、もとは賀茂大社とよばれており、ふたつの社でセットだったようです。異なる点はというと、祀られている神様が違います。簡単にいうと、下鴨神社にはおじいさん(賀茂建角身命)とお母さん(玉依姫命)が祀られ、上賀茂神社には息子(賀茂別雷大神)が祀られています。 楼門 楼門... Read More | Share it now!
織田信長絶対絶命の危機、金ケ崎からの脱出
【福井県・敦賀市 2024.3.15】明日3月16日に北陸新幹線が延長開業され、東の金沢から福井・敦賀までの運行が始まります。しばらくの間は新幹線開通祝いの余波で敦賀も観光客で混むのではないかと懸念し、なんとかそれまでにと思いながら伸ばし伸ばしになっていたのですが、ぎりぎり前日になって青空にも恵まれることを確認しました。それでは出発します。 JR敦賀駅 JR敦賀駅前は、明日からのイベント準備中 開業初日もいろいろ新鮮な光景が見られるのでしょうが、開業前日もなかなか興味深いものが見れました。ちなみに駅構内でも以下のとおり... Read More | Share it now!
岐阜・可児市へ、明智城と美濃金山城をたずねる
【岐阜県・可児市 2024.3.13】今日も「青春18きっぷ」をつかっての見て歩きになるので、通常はなかなか行きがたい遠方まで足を伸ばすことにします。前々から見に行きたかった、岐阜県・可児市にのこる美濃金山城について電車の連絡などを調べていたところ、最寄り駅が名鉄の明智駅。もしやと思って地図をよくみると、駅の北と南に位置するものの、明智城跡がおどろくほど近いことに気づきました。駅からの距離も調べて、朝7時過ぎに自宅をでて、11時半に明智駅着。それから歩きはじめても二つの城をめぐることは十分可能です。楽しみが二倍になりました。 明智城跡 駅から南へ歩くと、明智城址がのこる丘陵が このあたりが大手門跡 左が東出丸曲輪、右が中ノ曲輪 中ノ曲輪の切岸... Read More | Share it now!
播磨の新龍アルプスをあるき龍野城へ
【兵庫県・たつの市 2024.3.9】アルプスALPSは、ラテン語のALPESを英語読みにしたもので語源をたどれば、雪をかぶった白い山の峰というような意味があるそうです。そもそもはフランス~スイス~オーストリア~イタリア~ドイツあたりを東西につらぬく山脈のことを指しますが、19世紀にイギリス人技師が信州につらなる山系をみて日本アルプスと呼んだのは白眉といっていいのではないでしょうか。ところがその後、ご当地アルプスがつぎつぎに名乗りをあげます。いまでは全国に50以上あるといわれていますが、その大半は「白い山の峰」とは縁遠いもので、なかには100~200m級の山々が連なるといったのどかなものさえあります。しかしアルプスと名乗るだけのことはあって(?)、どれもアップダウンをくりかえすためそこそこ登りごたえはあり、尾根歩きが主となるので景観も楽しめます。さらに里山が多く登山口までのアプローチが楽なのも魅力です。今日はその〇〇アルプスのなかで、兵庫県南西部たつの市の、標高458mの亀山を最高峰とし北から南へとつらなる新龍アルプスを歩きます。 祇園嶽 JR播磨新宮駅から新龍アルプスへ なぜ新龍アルプスと呼ばれるのか、なにやらイワクありげなと、あらかじめその名の由来をネットなどで調べてみましたがわかりませんでした。ところが現地にきて電車をおりたのが播磨新宮駅、ふと思いついて調べてみると、ここは新宮町。新宮町からスタートし、ゴールは龍野城のある龍野町。新から龍へ、案外そういう単純な理由かもしれません。 山道に入ります 最初のピークである祇園嶽をのぞむ 祇園嶽へは一旦ルートから外れ 荒々しい急坂をのぼる 山頂から... Read More | Share it now!
播磨の高砂市に生石神社をたずねる
【兵庫県・高砂市 2024.3.2】大阪からJR神戸線にのって加古川駅をすぎると宝殿駅につきます。なんとも立派な駅名ですが、ここから西へ2kmほどのところ岩山の中腹に、その岩盤をけずって造った(正確には造りかけた)石の宝殿があり、そこから宝殿駅と命名されたようです。10代崇神天皇の時代に疫病がはやり、その平癒と平安のため天皇の勅願によりこの石の宝殿を御神体として創建されたと伝わるのが生石神社です。生石神社は「おうしこじんじゃ」と読みます。なぜそう読むのかは不明です。不明というと、なぜここに石の宝殿が造られたのか、そもそもこの巨石は宝殿として削岩されたものなのか、そういったこともすべて不明です。 生石神社 中央に見えるのが生石神社、左には採石場 生石神社周辺には採石場がたくさんあります むかしから播磨には岩山が多くあることは知られていたようで、いま奈良や大阪にのこる古墳のなかに収められている石棺は、このあたりから巨石を切り出して運んだとの説もあります。 鳥居をくぐり急階段をのぼる... Read More | Share it now!
今城塚古墳・日本でただ一つ(?)みんなが入れる天皇陵古墳
【大阪府・高槻市~茨木市 2024.2.24】日本全国には16万基をこえる古墳が残っているそうで、神社の数8万、寺院の数7.6万の合計を上回ります。ちなみに全国のコンビニの数は6万弱なのでおよそその3倍。それだけ数多ある古墳の中で、おそらく全国唯一とおもわれる、自由に立ち入ることができる天皇陵としての古墳が大阪府高槻市にあります。今城塚古墳と呼ばれているものがそれで、26代継体天皇の陵と推定されています。たとえば石舞台古墳はそのなかに入って見学できますが、被葬者は蘇我馬子と推定されており、馬子は実力者でしたが皇族ではありません。立ち入れる古墳は、立ち入っても保存上の問題がないもの、崩壊などの危険がないもの、そして「天皇家の陵、墓ではない」ものに限られます。(天皇、皇后、皇太后のものを陵、そのほかの皇子や皇女のものを墓と区別します) では、なぜ継体天皇陵すなわち今城塚古墳には入れるのか。この今城塚古墳は墳丘の長さ190mの巨大なものですが、その西2kmほどのところに太田茶臼山古墳とよばれるさらにひとまわり大きい墳丘長226mの古墳があります。明治時代に、おそらく紙の上でのこる資料と大阪北部ではもっとも大きいという事実から、この太田茶臼山古墳こそ継体天皇の陵であると確定したのでしょう。天皇家の陵および墓への一般国民の立ち入りがいつどのようなかたちで禁じられたのかはよくわかりませんが、昭和22年に宮内府(のちの宮内庁)が発足すると、その管轄のもと陵・墓ともに柵でかこわれ、一般国民は各一ヶ所にもうけられた拝所から御陵あるいは御墓にむかって拝礼するようになります。ところが、昭和から平成にかけての両古墳の発掘調査の結果、太田茶臼山古墳は継体天皇の没年(西暦531年)より1世紀ほど前につくられたものであり、また今城塚古墳こそ天皇の陵にふさわしいことが判明します。この発見は学術的には賞賛すべきものだったはずですが、この発見に困惑した人達もいたはずです。報告をきいた宮内庁は「... Read More | Share it now!
和泉山系西端・四国山から四国は見えるか
【和歌山市 2024.2.7】関西人でなければ関西の各県がどのように隣接しあっているかよくわからないかもしれません。大阪府の南端は和歌山県の北端と接しており、その境界線にそって東西に連なっているのが和泉山脈です。山脈とはいっても山々の標高はせいぜい500mを越えるくらい、大方の山は300m前後に過ぎません。ところが周囲に高い山がないだけでなく瀬戸内海が近いこともあって、標高が低いわりに、言い換えると登るのが楽なわりに結構な眺望を楽しめます。オススメは冬のおだやかに晴れた日。いわゆる「陽だまりハイク」を楽しむには絶好の場所です。今日はその中でも西の端、すなわちもっとも瀬戸内海に近い位置にある四国山に登ってみます。四国山は、四国が見えるという意味から名付けられたのでしょうが、さて今日は四国が見られますかどうか。 加太さかな線・めでたいでんしゃ 和歌山市街と加太(港)をむすぶ観光列車 「めでたいでんしゃ」は乗るだけで楽しい 吊革にサカナ、広告一切なし 「めでたいでんしゃ」はすべての便で走っているわけではありません。実はこの写真は加太(かだ)から帰りの便で乗ることができ撮影したもので、あさ往くときは普通の車両でした。 登山口へ 西ノ庄駅で下車、一般道を上がる... Read More | Share it now!
鳥取市湖山池周辺の史跡を犬犬とあるく
【鳥取市 2024.1.30~2.2】家内の実家から留守にするので4日ほど母親の世話をしてもらえないかと依頼がありました。義母は家の中での介助が必要なほどではなく、義母だけなら家内ひとりで用は足りるのですが、この家にはほとんど人間とおなじように暮らす犬がふたりいます。それゆえ母+犬犬の3人の世話をする必要があり、私は犬犬の担当として出向くことにしました。 湖山池 湖山池にて... Read More | Share it now!
比叡山には京都側から登るのが正しいか
【京都市 2024.1.27】昨年の1月に滋賀県の坂本から比叡山に登ったのですが、日吉大社の鳥居をくぐりそうして神域に足を踏み入れてから登山を始める、それが正しい比叡山の登り方だとそのときのブログに書きました。あくまでこれは自論であり、文中でも「個人的な自論」とことわっています。ところが先日、京都に住む知人からそのブログを読んで、これでは京都が軽視されているとクレームをつけられました。京都を軽視するつもりがもちろんないだけでなく、そもそもこの私的なブログをそれほど多数の人が読んでいるはずもなく、ましてやこのブログを読んで比叡山の登山ルートを決める参考にする人となると、過去に一人でもいたのかどうか。それはそうだが、と知人が言うには、滋賀県側からの登山ルートを薦めながら京都側からの登山ルートについて何も書かないのは片手落ちではないか。なにが片手落ちなのかよくわかりませんが、学生時代に京都に出てきてその後も京都好きでずっと京都で暮らす知人と話をしているうちに、久しぶりに京都側から比叡山に登るのも悪くないかと思うようになり、別れるときには近々修学院からのぼって大原まで歩いてみると約束していました。自分の愛する街で暮らす人から我が町自慢をきくのは楽しいだけでなく、最高の情報収集になります。 修学院から雲母坂、キララ坂城跡 京都側から比叡山に登る場合、もっともポピュラーなルートは京都一周トレイルにしたがって銀閣寺手前から北白川をぬけて上がるか、修学院から音羽川をさかのぼり離宮脇をのぼるか。今回はおよそ20年前にはじめて比叡山にのぼったときに使った後者の道を選びました。 修学院駅から音羽川をさかのぼる... Read More | Share it now!