街歩き・山歩き,山登り,和歌山

【和歌山県・橋本市~高野町 2023.5.27】『いくつ峠を越えたら願いが叶うだろう。巡礼者の一途さが宿る道』– -「... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,大阪

【大阪市内 2023.5.25】大阪市内のちょうど中心地に、難波宮の跡地が残されています。その難波宮を語るには、なんといっても「大化の改新」を理解しておかなければなりません。大化の改新は暗殺によるクーデターから始まります。当時は一豪族であった蘇我氏が、天皇家と外戚関係を持っていたこともあって大変な力を有し、実質上は天皇に替わって大和政権を牛耳っていました。一豪族の好きなようにされている現状では、つよい国を作ることはとてもできないと憂慮したのが当時の皇極天皇の息子である中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と、貴族で藤原家の始祖となる中臣鎌足(なかとみのかまたり)。二人は謀議し、まず息子の蘇我入鹿(そがのいるか)をなんと天皇謁見の場で斬殺、そして父親である蘇我蝦夷(そがのえみし)を邸宅でかこみ自害させます。こうして、暗殺が実行されたのは天皇の目のまえ、剣を振るったのは天皇の息子という前代未聞のクーデターにより蘇我氏を滅ぼし、大和政権は天皇を中心とした律令国家へと変貌してゆきます。律令国家とは、唐の律令制を基にし、地方行政制度を確立し、皇族や豪族の私有地を認めないかわりに統一した税法により一定の税を徴収する、すなわち公地公民制によって中央集権国家をめざすものです。 一般に大化の改新は大化元年にあたる645年に始まるとされていますが、中大兄皇子はみずから天皇に即位することなく、皇極天皇の弟、自分にとって叔父にあたる皇子を形式的に孝徳天皇としてたて、本人は皇太子として摂政政治をおこないます。このとき蘇我氏の影響がまったくない新しい土地を求めたのが第一の理由、国内だけでなく朝鮮や唐とも交流しやすい海に近い土地というのが第二の理由で、都を飛鳥から難波へと移します。これが難波宮のはじまりです。 大阪歴史博物館 大阪歴史博物館... Read More | Share it now!

山登り,兵庫

【2023.5.21 兵庫県・高砂市~加古川市】兵庫県の西、大阪から見ると神戸、明石の海岸線を通り過ぎて姫路の手前あたりに、播磨アルプスと親しまれている山系があります。その山系のなかで最高峰の高御位山(たかみくらやま)はその山容の美しさから播磨富士との別名があります。ところで、高御位山が最高峰と書きましたが、その標高は304m。3040mではありません。この山系自体が低山の連なりで、標高から言えば「アルプス」とか「富士」とか呼ぶのはおこがましいかもしれませんが、海岸沿いの平野部にむくっと隆起した山々が馬蹄形につらなる様は、自分があるいてゆく山並みも歩いてきた山並みもすべて一望でき、眼下には瀬戸内海を見わたせ、まず眺望を十分に楽しめます。そしてこの山系特有の岩場の連続は、あたかも2、3千メートル級の山並みを歩いているかのようなアルペン気分を(少しは)満喫できます。 まずは豆崎奥山 登山口は駅からすぐですが、とにかく分かりにくい 民家の間から入りこむと、獣対策のネットがある いきなり岩場を登りますが、 これが意外にけわしい急坂 ぐんぐん岩場を登って豆崎奥山のピークへ 急坂ゆえに、短時間でけっこう上っています 左の峰を経て、中央から右へと峰々を歩きます 豆崎奥山につづくピークを過ぎると、大きな岩場が 岩場登り この岩場を登る 豆崎奥山のピークから2度アップダウンを繰り返すと、鹿島神社との分岐にでます。下れば鹿島神社、登りはこの岩場で、標高差は150m、斜面の長さ(距離)は200m。画像で見ると、ロープ無しではとても登れないようですが、岩自体が凸凹しているうえに表面が粗くてざらざらで、滑りにくい状態です。また直線的に見ると45度くらいの傾斜ですが、ジグザグに登って行くと、案外登りやすいのに驚きます。場所によっては登りやすいポイントに印が付けられており、さらに多くの先達が歩きやすい所を注意深く探しながら歩いた痕跡が目を凝らせば見えるていどに残っており、それらをたどってゆけば、初心者でも登れないことはありません。 高所の苦手な人には、下りの方が厳しい(?) ピークに到着... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,石川

【石川県・輪島市、七尾市 2023.5.18】昨夜は輪島に泊まりました。夕食はうまい魚を食べたいと、家内とふたりして散々ネットでさがして良さげな店に行ったのですが、定休日でもないのに営業しておらず。おそらくGWもすぎて観光客がすっかり減ったので臨時休業しているのでしょう。たしかに観光客がいなければとても成り立っていかないだろうと思われるほどに、日が暮れてからの人通りはほとんどありません。仕方がないので「行く予定だった店」から薄暗い筋を入ったところにある、少々さびしげな(失礼!)店に入りました。けっこう年配のご主人と奥さんとふたりで切り盛りしている店で、年季は入っているけれど、カウンター端におかれたテレビでは昔の時代劇が映っていて、裏筋によくある家庭料理の店かいなと思ったのですが... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,石川

【石川県・輪島市 2023.5.17】前回の続きです。日付は替わっていません。 總持寺祖院 この御寺は鎌倉時代中期に禅寺として開かれ、その後は曹洞宗の中心道場として栄えます。越前(いまの福井県)の永平寺と、どちらを本山とするかその地位や権利を争うこともあったようですが、当面は「能登の大本山」として立ち位置を落ち着かせます。江戸時代になってから幕府より永平寺と總持寺の双方が曹洞宗の総本山として認可されるのですが、明治31年(1870年)、この總持寺は火災で焼失。再建はされますが、福井と石川に隣接して大本山があるのもどうかということだったのか(?)、「能登の大本山」の地位は横浜市にあった總持寺に移されることになります。ですから現在は、曹洞宗の大本山といえば、福井の永平寺と横浜の總持寺であり、この御寺は「總持寺祖院」と呼ばれ親しまれています。 これは山門(三門)ではありません。「敷地入口」です 山門へ向かって歩くと、しだいに寺院の雰囲気に 不思議なことに、山門の外(手前)に経堂があります 経堂の中はなかなか見られないのですが、 ここでは建物の中にまで入れました 経堂(きょうどう)とは、寺のなかで御経をおさめておくためにつくられた建物のことをいいます。中心にある六角形の塔のようなものがありますが、この中に納めているそうです。(中は見ていないので今あるのかどうかは知りません)ところでこの六角形の塔ですが、「六角経蔵」と呼ばれています。数人で力を合わせて押すと、全体が回転するようになっているはずです。そうやって一周させると、一切経を読み通したにひとしい御利益があるといいます。(それなら御経も修行も必要ないでしょうに) 山門 美しい山門ゆえ、別角度からもう一枚 山門から見た境内... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,石川

【石川県・羽咋市~志賀町 2023.5.17】金沢市内でレンタカーを借りて、今日明日の2日間で能登半島を回ってみます。まず今日ですが、羽咋市(はくいし)で気多大社と妙成寺を参詣して、能登半島の海岸線を行けるところまで北上してみます。 気多大社 気多大社(けたたいしゃ)は大国主命(オオクニヌシノミコト)を祀っています。由来については神話の時代にさかのぼることになります。日本書紀ではスサノオノミコトの子息が大国主命とされていますが、この方は国づくりの神様です。大国主命はまず最初に出雲の国を平定し(それゆえ出雲大社はこの方を祀っています)、そのあと船で能登へとわたりこの地に上陸したと伝えられています。当時このあたり一帯は「越」とよばれ、地方豪族がそれぞれに支配するためヤマト王権の力がじゅうぶんに及ばない土地でした。そこで大国主命はいまで言う福井、石川、富山、新潟へと旅をつづけながら各地を平定してゆきます。その平定の旅の起点となった土地ということで、ここに祀られることになったわけです。なお大国主命は、因幡の白兎を助けてあげた神話で有名な神様でもあります。 両部鳥居 鳥居は両側に稚児柱とよばれる低い控え柱がつく、両部鳥居といわれるものです。両部とは真言密教(仏を信仰する)において、智をあらわす金剛界と理をあらわす胎蔵界の「金胎両部」に神道(神を信仰する)を取り入れて解釈しようとするもので、ここに神仏習合の原点があります。その神仏習合の思想をイメージとして形にすると、このような鳥居になるということで、神仏習合の歴史をもつ神社によく見られます。代表的なのは広島県・宮島の厳島神社の海中にたつ鳥居でしょう。 鳥居をぬけると、次は神門がある 神門から拝殿をみる 拝殿左側から、奥は若宮(左端)と本殿 拝殿右から、奥は本殿と白山神社(右端) 正覚院 拝殿横からぬけると、神宮寺(神社に付随する寺)である正覚院があります。 妙成寺 妙成寺に到着... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,城郭・史跡,石川

【石川県・金沢市 2023.5.16】七尾美術館の「長谷川等伯特別展」開催時期にあわせて、石川県をこの時期に訪ねることは年初から決めていたのですが、今月に入ってから能登半島で結構大きな地震がありました。被害は珠洲市に集中しているようで、自分が災害に巻き込まれるようなことは元々心配していないのですが、被災地を平和ボケした観光客として訪れることにためらいがあり、どうしたものかと躊躇していました。ところがテレビやネットでニュースを見るかぎり、地元の人達はこの地震によりせっかく戻りはじめていた観光客がまた引いてしまうのではないかと危惧しているようで、七尾美術館もHPをみると、被害はなく通常通り開館していますとむしろ勧誘しているようなので、それならばと平常心で訪ねてゆくことにしました。 金沢駅 金沢駅兼六園口... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,奈良

【奈良県・斑鳩町~生駒市 2023.5.11】 大阪府と奈良県の境に南北にそびえるのが生駒山地で、その最高峰である生駒山から東(奈良方面)をながめると、生駒山地と並行するように南北に隆起した丘陵が見わたせます。これが矢田丘陵で、南北の長さは13km、標高は200~300m程度で、山が連なるというよりも隆起がうねるように続いています。丘陵の南端は古い歴史をもつ斑鳩(いかるが)の地から始まり、山中には天武天皇の皇子・舎人親王(とねりしんのう)が開祖したという古刹・松尾寺があり、そこまではかつて斑鳩の法隆寺から参道がつづいていました。さらに北には天武天皇の勅願で開かれた矢田寺があります。そのような由緒をもつため、開発のすすんだ地域でありながら山中には車道がつくられることもなく、意外なほど深山を歩いているかのような雰囲気を味わえます。今日は斑鳩の地を南北にぬけて丘陵に踏み入り、丘陵のおもに尾根にそって北端まであるき、生駒市のどこかの鉄道駅へゴールしたいと思います。 斑鳩 法隆寺参道入口... Read More | Share it now!

山登り,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・御所市 2023.5.9】一目百万本と称されるツツジが満開になった、大阪府と奈良県の境にそびえる大和葛城山を登りに行きます。昨年の大晦日に登った際には、東の大阪側から上り西の奈良側へ下りましたが、今回は奈良側から往復します。ただ同じ道を往き来したのでは面白くないので、ロープウェイ登山口駅から入り、すぐに右の道をえらんで北尾根コースを上がり、下りは前回も使った、もっともメジャーなルートである櫛羅(くじら)ノ滝をかすめる道を下りてみます。 大和葛城山へと歩く JR御所駅から大和葛城山へとあるく 一般道ですが、ずっと上りで高度を上げています 葛城天剣神社... Read More | Share it now!