清洲城を見て歩く
【愛知県・清須市 2022.10.26】
清洲城は、室町時代に尾張、遠江、越前守護の名門・斯波氏により築城され、守護所が移ってきてからは尾張国の中心地となります。
守護職(ここでは斯波氏)は、自身ですべての領地を統治することはできないので各地を分割してそれぞれに代理のものを置いていました。これを守護代といいます。尾張は岩倉織田家が国の上四郡を、清洲織田家が下四郡を、二つに分けてそれぞれ守護代として勤めており、この清洲織田家がここ清洲城を本城としていました。
この清洲織田家には家臣にあたる清洲三奉行家がおり、そのうちのひとつ弾正忠家が織田信長の出身家系になります。信長の父・信秀に時代には武力の面では守護、守護代をしのぐまでになりますが、統治の面ではまだ上から頭を押さえられる状態でした。
それを打ち破ったのが信長です。信長は叔父の信光(信秀の弟)と組んで当時の清洲城の城主・信友を殺害して自身が移り住みます。信長はこの清洲城を10年間居城としますが、その間に尾張を統一し、さらに桶狭間の合戦で今川義元を葬るなど確実に力をつけて行きます。
信長が小牧山城へ移ってからは織田家支配の城のひとつとして残るに過ぎませんでしたが、本能寺の変で信長が横死してのち、その信長の跡取りをきめる会議が秀吉主導で行われたのがこの清洲城です(清洲会議)
清洲会議のあとには、信長の次男・信雄が城主となり、大規模な改修改造を行なったようです。
紫色のマークが今回訪れた場所です。
清洲城
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オッと、という感じで工場の建物と建物の間に清洲城が見えました。
ところで、市は清須市、城は清洲城と書きます。
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色々な角度から天守を撮影してみました。空も澄みわたり美しい写真ができましたが、残念ながら、そもそもこの天守は資料をもとに復元したものではありません。それどころか当時の清洲城に天守があったかどうかもはっきりしないまま、桃山時代の城の造形からイメージで造りあげた「模擬天守」と呼ばれるものです。
天守へ
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500円払って入城しましたが、はっきり言って見るべきものは特にはありません。
ただ、この新聞には笑いました。
他にも「長篠の合戦で大勝」とか「信長公、本能寺で横死」など数種類ありました。
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天守最上階から、五条川にかかる大手橋、清洲古城跡公園を見渡す。
信長と濃姫
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信長と濃姫の像があります。
濃姫は美濃から嫁いできた信長の正室で、「美濃からきた姫」ゆえ濃姫、もとは帰蝶と呼ばれ斎藤道三の娘です。
この濃姫、信長と数年ここ清洲城で暮らしていた記録はあるのですが、その後まったく歴史の記録から消息が消えてしまいます。そのため死亡説、離婚説、出奔説など出てきますが、いまだに確定できる説はありません。
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【アクセス】JR枇杷島駅から徒歩30分、名鉄新清洲駅へ徒歩15分
【入城料】清洲城天守 500円
【満足度】★★★☆☆