街歩き・山歩き,奈良

【奈良市 2022.5.5】今日は、柳生街道を奈良市街から笠置まで歩き切ります。 奈良公園 近鉄電車・奈良駅からスタート。まずは奈良公園を通り抜けます。 春日山への分岐 /... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,大阪

【大阪市内 2022.5.3】きょうは、大阪市内のほぼ中心部を南北に隆起する上町台地と、そこに広がる寺町界隈を歩きます。焦点を絞ろうにもしぼれないので、歴史も文化もなんでもありのチャンポン状態で見て歩きます。 難波宮... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,奈良

【奈良市内 2022.4.30】春日大社を見物した後は、その背後にある春日山をあるき、さらに若草山山頂へ向かいます。 春日山周遊道 春日山周遊道入口 春日大社を南に抜け、一般道をすこし東にあるくと、春日山周遊道入口に達します。 春日山周遊道https://narashikanko.or.jp/wp-content/themes/nara-portal/pdf/pamphlet_pdf/kasuga_yagyu.pdf 春日山は春日大社の神々がやどる神域ですから、決められた道以外は立ち入り禁止です。同時に神域であったがため千数百年のあいだこの山には人間の手が加えられていないので、「原始林」という形で、むかしからの自然が残されています。 なんと新緑の美しい 緑の中にたたずむ妙見宮 下の道へおりると柳生街道です。 緑に吸い込まれるかのよう 原始林だけあって圧倒されるような木々が。 これは本当に圧倒される。 春日山石窟仏 むかしはこの山にこもって修行をつんでいたのでしょう。これらの石窟仏はそのときに彫られたものです。 鶯の滝 鶯の滝 高さ10mほどの小さな滝ですが、原始林の奥深くにあり、たどり着くまでの道のりが貴重な体験になります。 興福寺別院鶯滝歓喜天 興福寺別院 鶯の滝への分岐道の反対側に、「興福寺別院鶯滝歓喜天」なる石碑が立っていました。雰囲気からして、ぜひ行ってみるべきと判断しました。 これが興福寺別院鶯滝歓喜天 御堂は災害(たぶん台風)でこわれて撤去したと貼紙がありました。誰もいません。そして空気まで緑色に染まり、時間が止まったかのようです。これは、すばらしい場所をみつけました。 この山中で最大の山桜... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.4.23】今日は大徳寺・総見院で期間限定公開されている織田信長の木座像を見にゆきます。もっとも、せっかく京都まで出てきたのにそれだけではもったいないので、大徳寺への道すがら、さらに大徳寺からの帰り道にぶらぶら市内を散策してみたいと思います。 賀茂川 賀茂川の河川敷を北へ 京阪出町柳駅を出るとすぐに高野川と賀茂川とが合流する鴨川デルタをわたり、さらに賀茂川を北へと歩きます。 阿弥陀寺 阿弥陀寺・本殿 京阪出町柳駅から1kmはないです。10分ほどで阿弥陀寺につきます。もとは清玉上人が近江坂本に創建したものですが、その後信長の庇護のもと京都へ移転します。当時は信長の保護と厚遇をえてたいへん大きな寺だったようです。 本能寺の変で信長が討たれた際には、清玉上人みずから本能寺へのりこみ、その遺体だか遺骨だかを持ちかえり、ここに埋葬したと伝えられています。(あくまで、言い伝えです 信長と清玉上人の関係http://annai.demachi.jp/uno/page075.html 阿弥陀寺裏の墓地にある、清玉上人の墓 信長の死後、その後継者としての地位を固めるため羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)は、みずから主導で一周忌法要をおこなうべく、清玉上人にたいして信長の遺骨を引き渡すよう求めます。ところが清玉上人は、秀吉が天下人たらんと企み、信長謀殺すなわち本能寺の変になんらかの形で関わっていたことを察知しており、そのような者に信長公の遺骨を渡すわけにはいかぬと断固拒否します。(あくまでひとつの説です)そこで登場するのがこれから見にゆく信長の木座像で、秀吉は遺骨がないのでかわりに木座像をつくって棺に入れたと伝えられています。 上御霊神社 上御霊神社 さらに北西方向に500mほどあるくと上御霊神社につきます。御霊神社は京都だけでなく、日本各地にあります。もともとは地震カミナリなどの天変地異や疫病の流行は○○様の怨霊によるものだとの土着信仰があり、その怨霊を鎮めるために建立したのがはじまりです。ちなみにここから2kmほど南には、下御霊神社があります。 上御霊神社・本殿 拝殿には神輿が祀られていました。 あまり見る機会はないので貴重な撮影になります。 この地は応仁の乱のはじまりの地でもあるそうです。東軍方(畠山政長)がこの地に陣をしき、西軍方(畠山義就)がこれを襲撃したことで泥沼のような戦いがスタートします。 上御霊神社には、最恐の怨霊が祀られている?http://kyoto.free-travel.jp/power-spot-256/ 妙覚寺 妙覚寺・大門 次は西方向に1kmも歩かないくらいで妙覚寺です。妙覚寺は(場所も建物も変わっていますが)本能寺の変の際、信長の嫡男・信忠が500人ほどの馬廻衆とともに宿泊していた場所です。 ところで信長が本能寺に滞在しておりそこで事変がおきたので「本能寺の変」ですが、それ以前は信長も京滞在の折にはずっとこの妙覚寺を宿泊地にしていました。 妙覚寺大門の上部 寺とはいえやはり防御の機能を備えていたようで、入口・大門を下から見上げると、梁部分に人が潜めるようになっているのがわかります。 妙覚寺・本殿 「坊主丸儲け」なんてむかしの話なのか、最近はお寺の大変そうな光景をよく見かけます。ここ妙覚寺はこの本堂の裏(もちろん境内)が、月極駐車場になっていました。本堂をこちら側から撮影したのも、反対側から撮ると、駐車している佐〇急便のトラックがもろに写ってしまうがためです。 水火天満宮 妙覚寺からすぐ西に、水火天満宮があります 水火天満宮の拝殿 乗馬を禁ずる石柱 水火天満宮は菅原道真を祀っており、水難、火難などの災難除けのご利益があります。 ところでここの境内には、貴重な石柱が残っています。「是より洛中荷馬口付のもの乗べからず」ここから洛中のため馬に乗ってはいかん。ちなみにこの石柱のずっと先に京都御所がいまもあります。 大徳寺・総門 大徳寺まで出町柳駅から3kmほど道のりですが、あれこれ見て歩いていたら2時間以上かかりました。大徳寺と建勲神社については、https://yamasan-aruku.com/aruku-35/ バス停の広告 建勲神社のある船岡山を下りてきたところで、いかにも京都らしい広告をみつけました。 ところで今どこに向かっているかというと、秀吉が自分の甥であり跡取り候補だった秀次のために(?)建て、その秀次を謀反の疑いで追放すると同時に破却した聚楽第の、その石垣がわずかに残っている現場に向かいます。 聚楽第の石垣 聚楽第石垣・中央から左側 聚楽第石垣・中央から右側 中央から左右を撮影しました。これで全容のすべてで、これだけしか残っていません。どこにあるかというとすんなりわかる場所ではなく、民間のマンションの駐車場のさらにその奥にあります。本来自由に出入りしてよい場所ではないでしょうから、詳細は書きません。興味のある方はネットでしらべて大方の見当をつけ、じっくり探してみてください。 聚楽第はどこにhttps://www.kyoto-arc.or.jp/heiansannsaku/jurakudai/img/20jurakudai.pdf 堀川通を南へ歩きます... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,奈良

【奈良県・明日香村 2022.4.17】ややこしいのですが、飛鳥文化の遺構がのこる地域を飛鳥の里といい、奈良県の明日香村にあります。大阪から電車でくると、近鉄・飛鳥駅で下車しますが、駅近くのコンビニは「○○明日香店」となっています。要は、地名としては明日香、文化としては飛鳥ということなのでしょう。なにはともあれ、明日香村の飛鳥の里を歩いてみます。 飛鳥駅から歩きはじめる ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,滋賀

【滋賀県・長浜市 2022.4.9】秀吉は出自もたしかでない下賤の出ですが、織田信長に出会い、その人物に惚れこむことで草履とりから侍、侍大将から家臣へと破格の出世をつづけます。やがて近江の国を治めてきた浅井家を滅ぼすことに成功した秀吉は、この地を信長から授けられ、ついに12万石の城もち大名へと成りあがります。しかし秀吉がもっとも輝きながら躍動していたのはこの頃までではなかったでしょうか。明智光秀との出世競争、信長の死、そこから天下人へ。そのあたりの経緯には、なにやら怪しい印象が付きまといます。それはさておき、秀吉が躍動していた時期の、長浜の街を訪ねてみましょう。 長浜上陸 琵琶湖上より... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,和歌山

【和歌山県・紀の川市 2022.4.2】「桃源郷」とは中国の古い話で、漁師が船で桃の咲く林に迷い込み、その林を抜けたところで洞窟をみつけ、その洞窟を抜けると、災いも争いも飢えもない平和な土地にたどり着いたことから「桃源郷」=「理想郷」の言葉がうまれます。ですから理想郷には桃が咲きほこっていたというのではありません。そのことを考慮すると、桃畑に「桃源郷」をキャッチワードとするのはいくらか無理があるようにも思うのですが、それはさておき、和歌山県紀の川市が「桃源郷」とうたう、桃の聖地を訪ねてみます。本日は根来寺でサクラを愛でたあと、ひたすら歩いて紀の川の桃源郷へ向かいました。 紀の川へ向けて歩く 紀の川へ トンネルをぬけると... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,奈良

【奈良県・橿原市 2022.3.27】今日は大和三山を登って回るつもりですが、藤原宮跡地の菜の花が見頃との情報を得ましたので、まずは寄ってみます。 菜の花畑 藤原京跡地を利用した菜の花畑 ドーンと菜の花畑がひろがっています。 右側土手の桜はまだ三分咲きぐらいで、菜の花と桜の競演とはいきませんが、それにしてもこの一面真っ黄色というのも見事です。 菜の花畑、後方に畝傍山 飛鳥の里周辺の歴史的風土保護区にある三体の山を総称して大和三山とよびます。 いま菜の花畑の後方に見えている小山が畝傍山(うねびやま)です。ほかに天野香久山(あまのかぐやま)、耳成山(みみなしやま)をきょう一日でまわるつもりです。<最終的には時間不足で、畝傍山には行けませんでした> のどかな桜並木道 藤原京 藤原京・朱雀大路跡 藤原京跡... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,花、紅葉見ごろ,京都

【京都府・八幡市~京都市伏見区 2022.3.12】石清水八幡宮のあとは、木津川をのぼって流れ橋を訪ね、そこから北へとあるいて京都市伏見区にある城南宮にしだれ梅を見にゆきます。 安居橋 安居橋 石清水八幡宮(男山)の裏参道を下ってくると、この安居橋(あんごばし)の手前に出てきました。この位置からみると歴史を感じさせる橋なのですが、階段をおりて川床から見上げると、橋脚はコンクリート製、橋自体も鉄骨で骨組みをつくりその上に板を貼り付けた代物でした。 安居橋を取り入れたマンホール 流れ橋 流れ橋と茶畑 石清水八幡宮から4,5kmほど歩いた先にある「流れ橋」に到着しました。 流れ橋 流れ橋はさきほどの安居橋とはちがい完全な木製の橋で、時代劇の撮影などにもしばしば使われているそうです。 流れ橋には手摺、柵はありません 何故かというと、川が氾濫すると橋板が流され、このロープで川面を漂い、水量が減ると引っ張りあげて元に戻す仕組みだからです。 対岸の茶畑 ここから城南宮にむかって10kmほど北へと歩きます。 久御山ジャンクション... Read More | Share it now!