街歩き・山歩き,城郭・史跡,兵庫

【兵庫県・赤穂市 2022.11.3】1701年、播州赤穂藩の藩主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が江戸城の松之廊下にて高家旗本・吉良上野介義央(きらこうずのすけよしなか)に突然切りかかります。吉良氏は命に別状はなかったものの、江戸城殿中でしかも吉良氏が職務として朝廷の使者の接待をしている最中の刃傷沙汰ということもあって、浅野氏はその日の内に切腹を申し渡されます。これが赤穂事件の前半部です。浅野長矩は即日切腹を命じられ播州赤穂の所領も没収となったにもかかわらず、吉良氏にはなんらお咎めもなく、それに反発した家臣たちが一旦は御家のために忍従しようとしたものの、ついに堪忍袋の緒が切れて筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)を中心に赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入り、吉良義央を討ち首をはね浅野長矩の墓前に供えて恨みをはらします。これが赤穂事件の後半部になります。この赤穂事件はなんども映画やテレビドラマになっていますが、設定は必ずと言っていいほど吉良義央が悪者、赤穂浪士47名は義憤にかられ自らの命をかけて仇討ちをしたヒーローとして扱われています。なぜ浅野長矩が突然吉良義央を切りつけたのか、その理由はまったくわかっていません。もしかするとそのとき突然神経障害(パニック障害、あるいは発狂)に陥ったのかもしれません。「喧嘩両成敗」でないことに我慢ならなかったとはいえ、そもそも喧嘩ではなく浅野氏からの一方的な攻撃であれば両成敗する方がおかしいということになります。「仇討ち」といえば聞こえはよいですが、単なる復讐に過ぎなかったのかもしれません。さて今日は、そんな浅野長矩と赤穂浪士の故郷である兵庫県・赤穂市を見て歩きます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 赤穂の街をあるく JR播州赤穂駅の階段には 赤穂浪士の姿絵が飾られています。 駅から赤穂城へとつづく道 おそらくは市の条例で、高層ビルが建てられないだけでなく、駅から城への道路「お城通り」沿いでは洋風建築すら認められず景観を保っているのでしょう。その心意気はよいのですが、祝日だというのになんという人通りの少ないこと。 通称「息継ぎの井戸」 君主・浅野内匠頭長矩による刃傷沙汰を急報するため、江戸より4昼夜早かごに揺られつづけて赤穂にたどり着いた藩士2名が城下に入り、この井戸の水をのんで一息ついたと伝えられています。 ここにも観光客はいません。 花岳寺 花岳寺(かがくじ)は、赤穂歴代藩主である浅野家、永井家、森家の菩提寺であり、大石内蔵助ほか赤穂浪士の香華院(菩提所)でもあります。 浅野家霊廟 赤穂浪士の墓所 赤穂浪士面々の墓標には、自刃(切腹)のため戒名にはすべて「刃」の文字が刻まれています。浪士面々の遺骸は江戸で葬られているため、ここには遺髪のみを納めているそうです。ところで花岳寺の案内でもそうですが、赤穂にきて気づいたことは、つねに「赤穂浪士」ではなく「赤穂義士」と記しています。「義士」とは忠義にあつい人のことで義憤から仇討ちはあっても、個人的な心情や信念から復讐などに走る人のことは指しません。さて赤穂浪士は本当に「義士」だったのか、そして忠臣蔵の話そのものは真に美談と言えるのか、少々疑問があります。 赤穂城址・石垣 大手櫓と大手門 赤穂城は櫓や塀など建造物はすべて再築したものですが、石垣は補修はしているものの現存物です。先に外周をまわって石垣を見ておきます。 大手門から入る 大手門 大手門内側から大手櫓をみる 大石宅跡 大手門から入り虎口を回り込むとすぐに大石内蔵助の邸宅跡があります。やはり筆頭家老ということでこの位置に屋敷を構えていたのでしょうか。 本丸 本丸門 本丸をかこむ石垣と堀 本丸門を入る 本丸御殿跡... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,京都

【長岡京市~京都市 2022.9.11】明智光秀は本能寺で信長を討ったあと、中国地方で毛利と対陣していた秀吉がそれほどまでに早く畿内へ駆け戻るとは予想もしていなかったのでしょう。山崎の合戦(天王山の戦い)に挑むまでの行動をみると、杜撰ともいえるほどにすべての準備が不十分です。山崎の合戦は、秀吉が勝ったというよりも、光秀が負けるべくして負けたというべきです。その敗北のあと光秀はいったんは、実娘たま(のちのガラシャ)が輿入れした細川家の元居城であった勝龍寺城へ引きますが、その勝龍寺城は小規模で秀吉の軍勢を迎え撃つには不向きなため、京をぬけて坂本城まで撤退しようと試みます。そしていまの京都市伏見区をわずかな供廻りと通過しているとき、小栗栖という地で一説には落ち武者狩りにあって無念の死をとげます。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 勝龍寺城 勝龍城... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,和歌山

【和歌山県・高野町→九度山町 2022.8.15】高野山にて金剛峯寺境内を見てまわったあと、高野山・町石道をあるいてみたいと思います。そもそも町石道(ちょういしみち)とは、九度山から高野山金剛峯寺へと上がってくるときに通る表参道にあたるもので、この道が代表的に「高野山参詣道」とされています。町石道ですが、空海上人(弘法大師)が金剛峯寺までのぼるための参道をひらいた際、道しるべとして1町(109m)ごとに柱を立てました。もとは木製のものだったそうですが、鎌倉時代に五輪卒塔婆形の石柱に立て替えられます。金剛峯寺の根本大塔から九度山の慈尊院まで22kmに180基、根本大塔から反対方向へ奥之院の弘法大師御廟までの4kmに36基、計216基で、いまもその内179基が当時のままの形で残っています。今日歩くのは、根本大塔から慈尊院まで(現実には、さらにその先の九度山駅まで)ですので、上るのではなく下ることになります。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 根本大塔から 高野山・根本大塔から 壇上伽藍・中門をくぐりました。 大門を通って そして大門の前を通過します。 現在午後2時半です。ここから九度山まで下りきるのに4時間と見込んでいます。夕刻6時半であれば今の時期ならまだじゅうぶんに明るいので危険はないでしょう。 町石道へ まずはこんな山道を下ってゆきます。 これが町石道の名の由来になる石柱です。 谷間をわたる木橋 はじめの内は参詣道というよりまさに山道で、えぐられた谷にかかる木橋をしばしば渡ります。なお木橋とはいえしっかりした造りで危険はありません。 山すべてが聖域のため いかにも山深い雰囲気です ほんの時々ですが、視界がひらけます。 これは珍しい、谷側にたつ石柱 陽射しの関係か、まるで墨絵のような山並風景 いったん車道をわたります。 ここまでで1/4ほど下りてきました。あとから分かったことですが、くだる場合は最初はひたすら下り、半ばはアップダウン、そして最後はいっきに下ることになります。 弘法大師ゆかりの袈裟掛け石 袈裟掛け石 これは袈裟掛け石で、弘法大師が麓から登ってくる際にはこの岩に袈裟を掛けて一休みしたそうで、俗界と聖域との境界にもなっているそうです。 林道のような立派な道になりました ここは雨水が流れえぐられたのでしょう そろそろ半分目 分かれ道には必ず標識があります。 分かれ道にはかならず標識があります。歩く道は細いところがあるというだけで、獣道もないし、危険なところもありません。長距離を時間をかけて歩いても良いのであれば、ハイキングには最適でしょう。 ずいぶん下りてきた印象で、 環境が変わってきました。 とつぜん集落が見えました 弘法大師ゆかりの二つ鳥居 二つ鳥居 なぜ鳥居が二つ並んでいるのかhttps://tabi-mag.jp/wa0251/#:~:text= 街並みが見えてきました やっと街並みが見えてきました。この時点で19時前なので、4時間半かかってまだ終点にたどり着いていません。 九度山駅に到着 南海・九度山駅 九度山駅に20時前に到着しました。結局、根本大塔から慈尊院までの180町(22km)には5時間弱かかりました。もし上るのであれば、6~7時間は見ておくべきです。 (最終地点の慈尊院の写真はうっかり撮影するのを忘れていました) 高野山町石道マップ(わかりやすい写真付)https://assets.ctfassets.net/8kohjgazu1qe/o64FW8nT5HObDQVR9gUz3/f558532cbf6f17c9d9b02cd8b93e2721/map_choishimichi.pdf 【アクセス】高野山・根本大塔から南海電車・九度山駅まで歩きました。【満足度】★★★☆☆ (とにかく距離が長い。しまいには飽きてきました。) ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,奈良

【奈良県・大和郡山市 2022.7.17】今回は、奈良県の大和郡山を歩きに行きます。戦国時代には、松永久秀、筒井順慶らがこの地で争い、秀吉が天下を治めてからは、弟の秀長が和泉、紀伊、大和におよぶ100万石の所領を得て、ここ郡山を居城とします。すなわち大和郡山市は100万石の城下町であり、郡山城はその大大名の本城だったわけです。また江戸時代から武士の副業として金魚の養殖がさかんに行われ、現在も金魚の名産地として有名です。 紫色のマークが今回訪れた場所です。 五輪塔覆堂(筒井順慶の墓所) 大和郡山市は奈良市と隣接してその南に位置します。大和西大寺駅(先週、安倍元総理が銃撃されたところです)で橿原線に乗り換え、いったん大和郡山駅を通りすぎ、平端駅で下車します。そこから歩いてすぐに筒井順慶の墓所があります。「(石田)三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と詠まれた「島左近」はもともとはこの筒井順慶の家臣でした。 筒井順慶についてざっとhttps://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/4184 15分ほど北へ向かって歩きます。 駅でいうと、まさに「近鉄筒井駅」のちかくに筒井城跡があります。跡といっても、ここにありました、の「跡地」です。順慶は信長に仕えるまえは、ここ筒井城を居城とし、松永久秀らと獲ったりとられたりの戦いを続けていました。 大和郡山の中心街に入ると郡山八幡神社がある グラブ神社ともよばれ、野球上達祈願やグラブの供養も 金魚ストリートの名もある柳町商店街 さすがというか、街を歩いていると様々なところに金魚の文字や図柄があふれています。 金魚すくい大会に興味のある方はこちらhttps://www.city.yamatokoriyama.lg.jp/02/index.html 手前は金魚がデザインされたマンホール これもマンホール... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,大阪,兵庫

【兵庫県・伊丹市、大阪府・池田市 2022.6.12】 今日は黒田官兵衛と荒木村重ふたりのゆかりの地を訪ねたいと思います。黒田官兵衛といえば、言わずと知れた秀吉の軍師(知恵袋ともいわれます)ですが、荒木村重が信長に背いた際には思いとどまるようその居城・有岡城へ説得にゆきます。ところが説得に失敗しただけでなく、官兵衛をこころよく思わない者からの讒言により有岡城の地下牢に幽閉され、一年におよぶ牢獄生活で官兵衛は頭髪が抜け落ち、体中に瘡(かさ)ができ、さらにひざの関節が曲がらなくなる障害をかかえることになります。その官兵衛にとっては地獄の思いをした有岡城が本日最初の訪問地です。 JR伊丹駅まえに有岡城址公園があります。この石垣が当時のままのものなのか分かりかねますが、ちょっと整いすぎているように思えます。 石垣を上ってみると、上にあるのはこれだけでした。あとからアレコレ造るよりは、これだけしかありませんという方が潔いのかもしれませんが、しかし物足りません。 街を歩いていると、他にも土塁や 石垣がところどころに残っていました。 ところで荒木村重は信長に背いたことにより、ここ有岡城に籠城します。村重の背信に激怒した信長は、有岡城を厳重に包囲させ、そして村重が城外へ脱出したにもかかわらず、城に残っていた家臣や女子供にいたるまでを、報復と見せしめのために殺しつくします。信長の残虐性をつたえる、敵方に対する殲滅戦や虐殺は数々ありますが、この有岡城での虐殺はその最たるものではないでしょうか。信長ファンであったもここでの惨劇を天下布武の過程で必要だったとはとうてい認められません。 荒木村重の謀反と有岡城の戦い、そして荒木一族の処刑https://senjp.com/arioka-2/ 酒蔵 伊丹は伝統のある酒造りのまちで、ふるい酒蔵も残されています。 旧岡田家宅 江戸時代に酒造家によってたてられた商屋。 酒屋の商家をイメージしたマンホール 極めつけはこれです。伊丹ミュージアム正面入り口のちかくにあります。一点物のマンホールです。 猪名野神社 かつての有岡城は、総構えといって城下の町ごと濠や石垣でぐるりと囲んで防御機能をたかめていたのですが、その総構えの北端にあったのがこの猪名野神社です。 拝殿 拝殿奥の本殿は修繕中で、全体的には少々さびれた感じでした。 伊丹空港から飛行機が飛び立つ 猪名川をわたって池田市へ向かいます。大阪空港(国内線が中心)から5分に1便ぐらいの頻度で飛行機が飛び立ってきます。ところで大阪空港は伊丹空港ともよばれるのですが、伊丹市(兵庫県)、池田市(大阪府)、豊中市(大阪府)の3市の市境にあり、この3市にまたがるのですが、さらに飛び地があって地理的にはたいへん複雑です。 猪名川から池田市をのぞむ ヒメジョオンが咲く猪名川河岸から池田市街を遠望します。ところでヒメジョオンは小さな花ですが、これだけ咲いていると壮観です。 呉服神社 池田市街につきました。 ぜひ立ち寄ってみたかった、JR池田駅からほどちかくにある呉服神社(くれはじんじゃ)をのぞいてみます。 拝殿 拝殿 応神天皇(仁徳天皇の父)の時代に、機織りと裁縫の技術をとりいれるため、呉の国より呉服媛(くれはとりのひめ)と綾羽媛(あやはとりのひめ)姉妹を招きます。姉妹はそれこそ夜も徹して織物、染色、縫製にはげみその技術を日本につたえ残してくれます。その功績に感謝し、呉服媛を呉服大明神として祀ったのがこの神社のはじまりです。なおいま日本につたわる呉服(ごふく)という言葉は、この呉服(くれは)からきています。 拝殿をかざるステンドグラス 拝殿をかざるステンドグラス 池田城公園入口 つぎには、これもほど近くにある池田城址にむかいます。 池田城公園 池田城公園 池田城公園内にたつ天守閣のごとき建物は、説明板によると、公園のシンボルとしてそれらしく造ったもので、史実にもとづいて正確に再現したものではないそうです。 石基がのこっています。 池田城より五月山をのぞむ 公園内に咲くテッポウユリ 動物園へむかう坂道 時間もあるので、入場料無料の池田市立動物園へ寄ってみます。 動物園へむかってあるくと こんなマンホールが道案内してくれる 動物園入口 なんだかチャチい入口ですが、まあそこは入場料無料ということで-... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,兵庫

【兵庫県・姫路市~高砂市~加古川市~明石市 2022.6.4】 今日は秀吉による中国大返しを体感するため、1日の移動距離としてはもっとも長かったであろう姫路から明石までを歩きとおしてみることにします。中国大返しとは、備中高松城(現在の岡山県岡山市)で毛利方とにらみ合っていた羽柴秀吉が、本能寺の変の急報をうけ直ちに畿内へ取って返すのですが、2万の軍勢が7日間で200km超を行軍してそのまま天下分け目の山崎の合戦に突入したことで、奇跡とも、あるいは作り話とも言われています。実際のところ1日30kmペースで歩くことは可能なのか、なにはともあれ実際に歩いてみましょう。 JR姫路駅から姫路城をのぞむ 4か月ぶりに姫路にやってきました。前回の訪問後ネットで知ったのですが、JR姫路駅には眺望所があり、大手前通りをまっすぐに姫路城を遠望することができます。 黒いボックス型建物の2階が眺望所です。 姫路城をデザインしたマンホール 国道2号線沿いの歩道・姫路城の石垣が残る。 大手前通りをまっすぐ姫路城にむかって歩くと、途中で国道2号線と交差します。そこを右折し、先ずは御着城址へ向かいます。 高砂まで15kmの表示 秀吉の軍勢が中国大返しの際に通った道が残っているはずもないので、こんな感じのフツーの道を歩きます。 御着城の本丸跡に模して建てられた市役所東出張所 姫路駅を出てから1時間ほどで御着城址につきました。ここは播磨の守護赤松家の家臣小寺氏の居城ですが、黒田官兵衛(黒田孝高、黒田如水)はもともとは小寺家当主・小寺政職(まさとも)の近習で、当時は小寺官兵衛となのっていました。 黒田官兵衛の功績をたたえた顕彰碑がたつ。 黒田家の廟もある。 高砂市に入りました。 御着城址を見物したあとは、ひたすら明石にむかって歩きます。まもなく高砂市に入りました。 高御位山(たかみくらやま)登山口 車が行き交う国道2号線沿いに登山口がありました。ずっと以前に高御位山には登ったことがあるのですが、ここから登ったという記憶がありません。 陸橋から周辺を眺める。 陸橋から周辺を眺める。 加古川市へ 高架道路(新2号線)の下をくぐって加古川市内へ入って行きます。 市名の由来でもある加古川をわたります。 明石まで18kmの表示。ちょうど半分歩きました。 イオンモールがあったのでここで昼食もかねて休憩します。今日の兵庫県南部の最高気温は28度とのこと、30度にとどかなければ市街地を歩いていてもなんとかしのげます。 リゾート地(?) 写真で見ると一見どこかのリゾート地のようですが、じつは池の向こうに宅地がひろがる、ありふれた風景です。 明石市に入る。 さあいよいよ明石市に入りました。市街まで13km、現在15時なので17時半迄には明石駅につくでしょう。 明石市街 で、17時の時点でここまで来ました。前方に見えるのが明石の中心街です。 明石城 さきに明石城址にむかいます。 明石公園のマンホール 明石城址はなかなか見ごたえがあるのですが、さずがに足が疲れてきて上り下りが辛いのに加え、日差しも弱くなってきれいな写真も撮れないので、次の機会にあらためてゆっくり見学することにします。 明石駅の南側に「魚の棚商店街」といって、魚屋、明石焼、佃煮屋などが多くあつまるアーケード商店街があります。そこにはテレビでも見る「さかなクン」がデザインしたマンホールの蓋がすべて一点物で計19点あります。これだけでも一見の価値があります。そのなかで3点ほど掲載しておきます。 【アクセス】JR姫路駅9時40分発→JR明石駅18時10分着 53,000歩 38km【満足度】★★★☆☆ (いちど体験すれば十分です)【体感後の感想】たしかに足、とくに足首が痛くなりましたが、それはかたいアスファルト道を歩きつづけたためです。土の道であればこれほど足首が痛くなったことはありません。また中国大返しの際には、秀吉や重臣はいうまでもなく徒歩ではなく騎馬だったでしょう。歩いたのは若い侍たちです。若いだけでなく当時の人たちはもともと車も電車も、自転車さえもないのですから歩きなれているはずです。武器や鎧はべつに船に積んで運んだとの説が有力ですが、もしそうであったら7日間で200キロ超を歩くのはけっして不可能ではないと思います。むしろ今回身をもって感じたのは、兵糧の手配の問題です。最初から最後まで国道2号線沿いをずっと歩いたのですが、交通量が多いので途中でほかの道に変えようかと高砂市に入ったあたりで考えたりもしました。しかし国道2号線沿いを歩いているかぎりは、飲食店だけでなくコンビニやスーパーマーケットがちょくちょくあり、けっして飲み食いに困ることはありません。いまの時代ですら途中の飲食のことを考えるのですから、当時としては、軍勢が歩けるか歩けないかよりも皆が飲み食いに困らないかどうか、すなわち兵糧の手配が完璧にできるかどうかが、最大のポイントだったものと思います。その兵糧の手配ができたからこそ中国大返しは実行できたのでしょう。 ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,滋賀

【滋賀県・近江八幡市安土 2022.5.28】思えば、安土にくるのはほんの3か月ぶりです。もっとも前回は信長がらみでしたが、今回はその信長と敵対した六角義賢(ろっかくよしかた)の居城であった観音寺城を見にゆきます。観音寺城(址)は、安土城(址)の北東にある標高432mの繖山(きぬがさやま)の山頂から南山麓部分にかけてひろがる大城郭です。しかも単に大きいというだけでなく、城郭全体に石垣が組まれており、日本最初の総石垣の城と言われています。 安土駅から繖山へ JR安土駅から歩きはじめます 後方が観音寺城址のある繖山 今回は安土城はスルーして、六角氏の居城・観音寺城(址)にむかいます。 桑実寺 桑実寺参道から登ってみます。 山門をぬけても階段がつづきます。 本堂 桑実寺は通り抜けるだけでも、拝観料300円が要ります。すなわち観音寺城址... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,大阪

【大阪府・交野市、枚方市 2022.5.22】今日は、徳川家康ゆかりの地である「家康ひそみの藪」を見にゆき、そこから直線距離では16kmほど北にある明智光秀ゆかりの洞ヶ峠まで歩くつもりですが、一般道を通ったのでは面白くもないので、大阪の森林地帯といわれる大阪府民の森から交野山を歩いて行きたいとおもいます。 星田妙見宮 星田妙見宮(小松神社) JR星田駅をおりて、宅地の中のくねくね曲がった道をスマホの地図アプリをみながら歩き、星田妙見宮に到着しました。 各地でときどき見かける妙見宮も妙見神社も、ともに天之御中主神をまつる神社です。 けっこう長い階段を上ります。 さいごの階段をのぼって拝殿へ。 この巨岩がご神体です。 (水の乏しい)滝場も巨岩でした。 家康ひそみの藪 (伝)家康ひそみの藪 じつは、きょう一番の目的地はここなんです。本能寺の変の折、徳川家康は織田信長から安土城で接待をうけ、そのあと京、堺を見物して回る予定でした。まさにその瞬間には、このあたりにいたようなのですが、信長の同盟者であることから身の危険を察した家康は、土地勘のある従者の導きで山伝いに伊賀から伊勢へと決死の脱出行を行います。その行程中に潜んだのがこの藪だそうです。ただし、あくまで「伝」の範囲内です。 ほしだ園地 ほしだ園地へ 大阪府の東側、奈良県との境に森林地帯がのこっていて南から、みずのみ園地、なるかわ園地、ぬかた園地、くさか園地、むろいけ園地、ほしだ園地、くろんど園地とつづき、さらに北へ進むと交野山につながります。 「星のブランコ」と名付けられた吊り橋 寄付金箱がありますが、わたるのは実質無料です。 ほしだ園地から磐船神社へ ほしだ園地へ入ってきた時と同じような道がつづきますが、いっそう緑深くなってきました。 磐船神社 磐船神社 ... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市内 2022.5.15】本能寺の変は、言うまでもなく明智光秀がおこした謀反ですが、その裏には朝廷が関わっていたのではないかという推論が最近では主流になっています。朝廷(天皇と公家)がまさに企画・立案し、光秀をそそのかすか、だますかして信長を殺させたということです。この場合、世間的には謀反であり謀殺ですが、朝廷の命であれば光秀にとっては勅命であり誅殺のつもりだったことになります。さて朝廷陰謀説が正しいならば、公家の中では近衛前久(このえさきひさ)は間違いなく関わっていたでしょう。吉田兼見も無関係ではないはずです。そして秀吉(当時は羽柴秀吉)-... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,奈良

【奈良市内 2022.4.30】春日大社を見物した後は、その背後にある春日山をあるき、さらに若草山山頂へ向かいます。 春日山周遊道 春日山周遊道入口 春日大社を南に抜け、一般道をすこし東にあるくと、春日山周遊道入口に達します。 春日山周遊道https://narashikanko.or.jp/wp-content/themes/nara-portal/pdf/pamphlet_pdf/kasuga_yagyu.pdf 春日山は春日大社の神々がやどる神域ですから、決められた道以外は立ち入り禁止です。同時に神域であったがため千数百年のあいだこの山には人間の手が加えられていないので、「原始林」という形で、むかしからの自然が残されています。 なんと新緑の美しい 緑の中にたたずむ妙見宮 下の道へおりると柳生街道です。 緑に吸い込まれるかのよう 原始林だけあって圧倒されるような木々が。 これは本当に圧倒される。 春日山石窟仏 むかしはこの山にこもって修行をつんでいたのでしょう。これらの石窟仏はそのときに彫られたものです。 鶯の滝 鶯の滝 高さ10mほどの小さな滝ですが、原始林の奥深くにあり、たどり着くまでの道のりが貴重な体験になります。 興福寺別院鶯滝歓喜天 興福寺別院 鶯の滝への分岐道の反対側に、「興福寺別院鶯滝歓喜天」なる石碑が立っていました。雰囲気からして、ぜひ行ってみるべきと判断しました。 これが興福寺別院鶯滝歓喜天 御堂は災害(たぶん台風)でこわれて撤去したと貼紙がありました。誰もいません。そして空気まで緑色に染まり、時間が止まったかのようです。これは、すばらしい場所をみつけました。 この山中で最大の山桜... Read More | Share it now!