【滋賀県・大津市 2022.1.9】比叡山の麓にある坂本を歩きたいと思います。坂本にある日吉大社は、平安京の時代には京の鬼門(北東)に位置することから都の守護として崇拝されました。また比叡山延暦寺を守護する社でもあり、神仏習合の時代には、比叡山の隆盛とともに街も大いに発展します。さらに戦国時代から江戸時代にかけて石垣づくりにすぐれた技術を遺憾なく発揮した穴太衆(あのうしゅう)の里が近くにあり、坂本の街全体に穴太衆による美しい石垣が残されています。 石垣の街 日吉大社ニノ鳥居 今回はJR比叡山坂本駅から歩きます。すぐに一ノ鳥居をくぐり、さらに300mほど歩くとニノ鳥居につきます。個人的には、このあたりから趣ある街並みになってくると思います。 駅からつづく中央道路の左右に 美しい石垣が残る 穴太衆の石積みhttps://www.osaka-geidai.ac.jp/assets/files/id/860 西教寺 西教寺 明智光秀の菩提寺でもある西教寺につきました。西教寺については、「西教寺」... Read More | Share it now!
本能寺の変をなぞりながら京都市内を歩く
【京都市内 2022.1.1】織田信長は天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、家臣である明智光秀の謀反により洛中の滞在先本能寺にて非業の死を遂げます。天下統一まであと一歩というところでしたが、そこに至るまでには明智光秀の多大な尽力があったことも事実で、また光秀が弑逆しなくとも、他の誰かの手で討たれていただろうとも言われています。その本能寺の変にまつわる地を歩いてみました。 本能寺へ 京阪電車三条駅を出てすぐに鴨川をわたります。 高瀬川 木屋町通り沿いの高瀬川に舟入が残っています。かつて船で荷を運んでいたころ、この場所で荷の積み下ろしをしたり、船の方向転換をしていました。 現在の本能寺 御池通りをまっすぐに歩いて行くと、じきに本能寺につきます。この本能寺は信長が討たれた本能寺ではなく、秀吉が信長を弔うため別の地にあらためて建てたものです。 本能寺・本殿 本殿の裏手にある信長公廟 本能寺跡へ 蛸薬師通り 蛸薬師通をどんどん西に歩き、旧本能寺へとむかいます。京都には画像の左にあるような古民家をつかった店がたくさんあるのですが、コロナの影響でこの建物も貸物件になっていました。 本能寺があったことを伝える石碑 さんざん探してやっと見つけました。といっても、本能寺跡地はすべて宅地となり、いまは「ここにあったんだよ」と伝える石碑があるのみです。うしろの建物は老人介護施設でした。 本能寺跡https://rekishidou.com/honnouji/ 織田信長と本能寺https://toyokeizai.net/articles/-/397458 二条殿跡地 信長の嫡男・信忠は、本能寺での変事をうけ、滞在していた妙覚寺から急遽本能寺へと向かいます。しかし明智軍との圧倒的な兵力差(明智軍1万3千... Read More | Share it now!