小早川家の水軍城を竹原・忠海にたずねる

【広島県・竹原市 2023.12.14】
乃美宗勝(浦宗勝とも)はもとは小早川家の本家である沼田小早川家の重臣の家系に生まれました。
分家の竹原小早川に毛利家から養子入りした男児(のちの小早川隆景)が本家も併呑した両小早川家の当主になると、水軍をひきいる武将としてそこで重用されます。
隆景の初陣のさいには勇猛果敢に敵勢を蹴散らして隆景に初戦の勝利をもたらし、毛利元就にとっての大戦である厳島の戦いでは村上水軍を味方に引き入れ、ここでも元就に毛利家躍進のための勝利をもたらします。
その後も小早川水軍の主力として九州攻めのさいには大友軍と戦い数々の戦功をあげ、さらには織田信長が石山本願寺を囲んでいたときは、500隻ともいわれる船をひきいて木津川にむかい、待ち受ける織田方の水軍船を木っ端みじんに粉砕し、悠々石山本願寺に武器、兵糧をおさめます。
最後まで武人として戦いの日々をおくりますが、最後は豊臣秀吉の天下になってのち、その秀吉の命で朝鮮出兵に隆景が出陣するのに付き従い、そこで病におかされ66歳の生涯を終えます。
その乃美宗勝の居城・賀儀城(かぎじょう、鍵城とも)が、広島県竹原市の忠海といわれる地に残っています。

忠海

JR忠海駅から徒歩10分で浦床神社
浦床神社
前方に見える丘陵が賀儀城

天気がさえないのが残念です。
写真で見てきた記憶では青空の下の海はエメラルドグリーンで、鳥居と合わせて絶景ポイントのはずだったのですが。

賀儀城へ

砂浜をあるいて賀儀城へ
ほぼ岩の塊
船留め
登城するまえに周囲を回ってみます
城跡は公園になっているようで、ここが公園入口
公園入口はさけて、ここから上がります

城の遺構

山上というより岩上(?)に向かう
この石垣と石段はいつの時代のものか不明
堀切の跡と思われます
曲輪跡
左は土塁跡ですが、右の石列は?
この石列もいつの時代のものなのか?
なんだこれは? 昭和か平成の作?
本丸に相当する曲輪跡 / 右に碑がある
本丸をかこむ帯曲輪
瀬戸内海をのぞむ

天気がイマイチでテンションが下がっていたのもありますが、なにやら物足りない城跡でした。
公園にするためいろいろ手を加えているため、どうしても乃美宗勝の時代に思いを馳せることができません。

このあと竹原市の古い町並み保存地区をあるいたので、そのときの画像を並べておきます。

竹原市古い町並み

【アクセス】賀儀城はJR忠海駅から徒歩10分、竹原古い町並み保存地区はJR竹原駅から徒歩20分
【満足度】★★★☆☆