埼玉県北西部の城をまわる・小倉城、菅谷館、杉山城

【埼玉県・ときがわ町、嵐山町 2026.5.12】
今回北関東の主に山城をまわるため、大阪から新宿経由でまず埼玉県の川越までやってきました。
その川越ですが、JRのチケットのみで行き着こうとしたため池袋、大宮を経由しての道程になりました。
さて新宿駅を出てから池袋までは気にもしなかったのですが、荒川をわたり埼玉県に入っても川口市、さいたま市と進めど進めど山がありません。しかも市街地がえんえんと続きます。
大宮駅で電車を乗り換えても川越までの区間は平地にひろがる市街地と市街地郊外ばかりで、ここにも山らしい山がありません。

首都圏に住んでいる方にとっては意外でさえないのでしょうが、これほど山を見ない風景というのは日本でも稀有でしょう。
私の心配は、山がないのになんで山城があるんや? 山城から山を取ったらただの城やろが、と大阪人得意のボヤキを言いながらその日は川越市内に泊まりました。

小倉城(おぐらじょう)

翌朝川越市内でレンタカーを借りて北西に走ったところ、なんとなんと1時間も走ると(距離にして30kmほど)、山がある、森林がある、市街地はない、ホントにここは首都圏かと疑うようなのどかな風景がひろがったきました。

駐車場にあった案内図より抜粋

武蔵小倉城は、後北条氏の重臣であった遠山某によって築城されたともいわれていますが、正確なところはわかっていないようです。
北関東に特有の平石をつんだ石垣が遺っているそうで、それを見るために訪ねました。

案内図中央やや左下の青い駐車場マークより右へ500mほど歩き、人物イラストの足元あたりから山に入ることにします。

登山口に向かいながら城山をみる
山道を登ります
郭1(主郭=本丸に相当)の手前にある虎口
桝形虎口と説明されているものの、よくわかりませんでした
しかも発掘中であたり一面青いビニールシートで覆われていた
主郭への入り口である虎口
主郭跡
主郭から郭3に向かう途中にひょっこり石垣が
郭1と郭3をへだてる堀にかかる木橋
現代になって架けられた橋ですが、老朽のため通行禁止
郭3の周囲に石垣がありました
発掘中で立ち入り禁止のため遠目からズームで撮影
郭2と郭4をへだてる大堀切

【概要】比企郡ときがわ町 / 連郭式山城
【満足度】★★★☆☆

菅谷館(すがやかん)

駐車場にあった案内図より抜粋

菅谷館は鎌倉幕府の有力御家人であった畠山重忠の城というよりも館跡です。
(軍用のためにあるのが城、住居または政務のためにあるのが館)

室町時代から戦国時代にうつるころ関東管領かんれいの山内上杉氏と分家の扇谷おうぎがやつ上杉氏が争ったさいに(長享の乱)、前者が後者の重要拠点である河越城(いまの川越城)の押さえとして大改修していまのこる城郭になったようです。

一旦駐車場の外に出て、外堀と土塁を見てみました
三ノ郭
堀をほって、掘った土で土塁を積み、
随所に堀と土塁が見られますが、これといった特徴はない
ここにたまたま水が残っていたもので、水堀ではありません。もしかすると水場だったのかしれませんが。
本郭と二ノ郭をへだてる堀
二の郭から土橋をわたって本郭へ
本郭 / 周囲に土塁をめぐらしている
本郭周辺の土塁と堀が絵になるので、
写真をアップしておきます

【概要】比企郡嵐山町 / 平城
【満足度】★★★☆☆

杉山城

現地にあった案内図より抜粋

由緒はWikipediaによると、緻密で巧妙な縄張構成から後北条氏によるものと考えられてきたが、発掘調査などから山内上杉氏によるものと見解が変わりつつあるとのこと。

見て歩いたあとの感想として言えば、じつに良くできた縄張で、扇谷上杉氏であれば太田道灌が縄張りをしたとも考えられるのですが。
山内上杉氏がこれだけ計算された山城をつくった例もないし、どうなのでしょうか。

駐車場から城郭跡へと登ります
堀は屈曲し、土塁には高低差があり、
通路は上下左右に屈折し、
急襲しても自分がどこに居るやらわからなくなりそうです
大きく回り込んで本郭にむかいます
一旦おおきく回って登るため
守備兵からは攻城兵が格好の的になります
本郭
本郭から東二の郭、東三の郭をみる
北の郭へ向かいます
搦手口 / 中央に見える山のうえに高見城がある
高見城はこのあと訪ねる山内上杉氏の鉢形城の支城と考えられている

【概要】比企郡嵐山町 / 梯郭式山城
【満足度】★★★★☆