本能寺の変をなぞりながら京都市内を歩く
【京都市内 2022.1.1】
織田信長は天正10年6月2日(1582年6月21日)早朝、家臣である明智光秀の謀反により洛中の滞在先本能寺にて非業の死を遂げます。天下統一まであと一歩というところでしたが、そこに至るまでには明智光秀の多大な尽力があったことも事実で、また光秀が弑逆しなくとも、他の誰かの手で討たれていただろうとも言われています。
その本能寺の変にまつわる地を歩いてみました。
本能寺へ
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京阪電車三条駅を出てすぐに鴨川をわたります。
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木屋町通り沿いの高瀬川に舟入が残っています。
かつて船で荷を運んでいたころ、この場所で荷の積み下ろしをしたり、船の方向転換をしていました。
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御池通りをまっすぐに歩いて行くと、じきに本能寺につきます。
この本能寺は信長が討たれた本能寺ではなく、秀吉が信長を弔うため別の地にあらためて建てたものです。
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本能寺跡へ
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蛸薬師通をどんどん西に歩き、旧本能寺へとむかいます。
京都には画像の左にあるような古民家をつかった店がたくさんあるのですが、コロナの影響でこの建物も貸物件になっていました。
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さんざん探してやっと見つけました。
といっても、本能寺跡地はすべて宅地となり、いまは「ここにあったんだよ」と伝える石碑があるのみです。
うしろの建物は老人介護施設でした。
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信長の嫡男・信忠は、本能寺での変事をうけ、滞在していた妙覚寺から急遽本能寺へと向かいます。
しかし明智軍との圧倒的な兵力差(明智軍1万3千 vs 信長供廻り150、信忠手勢500)ゆえここ二条殿にたてこもって奮戦しますが、多勢に無勢でやがて力尽き自害します。
それでは信忠が滞在していた妙覚寺へむかいましょう。
妙覚寺へ
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大きな通りに出ると、現在の二条城が見えてきました。
正式名称は元離宮二条城、徳川家康によって造られました。
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途中の公園に十月桜が咲いていました。
10月~12月に全体の1/3が咲き、春にのこり2/3が咲く、一年に2度楽しめる桜です。
でも1/3なのでなんだか寂しいですね。
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この妙覚寺も信長・信忠の時代のものと比べるとずいぶん規模の小さなものになっていますが、それでも建物があるだけでも良しとしましょう。
ところで本殿の後方にトラックが見えますが、これほど由緒ある寺ですら財政難なのか、境内裏側を月極駐車場にしていました。
織田信長と妙覚寺
https://kyotohotelsearch.com/blog/2017/12/19/nobunagamyokakuji/
阿弥陀寺
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阿弥陀寺は信長に庇護されていた寺で、信長ともたいへん親しかった清玉上人が本能寺から信長の遺体または遺骨を運びこんで埋葬したと伝えられています。
その後信長の遺体はおろか遺骨さえ見つかっていないのですからこの言い伝えはずいぶん疑わしいですが、信長ゆかりの地ではあります。
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信長の遺体は何処へ消えたのか
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54295
【歩行距離】京阪電車三条駅→本能寺→旧本能寺→妙覚寺→阿弥陀寺→京阪電車出町柳駅 24,000歩
【料金】境内だけならどこも拝観料不要
【満足度】★★★☆☆ 当時のものがなにも残っていないのはやはり物足りません。