国防のためつくられた品川台場は、幕末のあだ花か

【東京都・品川区 2025.1.9】

東京お台場というとフジテレビの社屋や大型ショッピングモールが湾岸沿いに立ちならぶ観光エリアですが、そもそも台場とは幕末に外国船の襲来から国土を守るためにつくられた砲台のことをいい、同時に砲台を擁する要塞のことを指します。
江戸幕府がつくったもの、各藩が独自につくったものなど全国に多数の台場がつくられ今もなにかしらの遺構を残しているものは国の史跡として保存されています。

当初の予定では、江戸湾(東京湾)を入口で守るべく無人島につくられた猿島要塞をたずねるつもりでしたが – –

猿島から品川台場へ変更

東郷平八郎像と戦艦・三笠

猿島行きの船に乗るべく横須賀市街海岸沿いの三笠公園まできました。
すぐ近くに船着き場があります。
チケット売り場へ行ったところ「強風のため運航中止」の張り紙が。

それほどの強風でもないのですが、もしものことを考えての措置なのでしょうか。ともかく行けないものは致し方ない。
東郷平八郎像の前のベンチにすわってしばらく考えました、同じような状況下で同時代につくられた台場または要塞 – – ここからさほど遠くはない東京・品川にありました。
「品川台場」、続日本百名城にまで選定されています。

品川台場

東京テレポート駅から近未来的デザインの高架橋をあるく
この高層ビル群も史跡めぐりには似合いません
それでもここは海であり波が寄せています
台場へつづく海につけられた道(江戸時代にはなかった)
石組で基盤をかためた台場

幕末ペリーが黒船で浦賀に来航して開港を迫ると、幕府は冷や汗たらたらで返事を来年まで待ってくれるよう懇請します。
そしてペリーが「I’ll be back」と言ったかどうかは知りませんが来年かならず戻ってくると告げ黒船で去るや、幕府はあたふたと江戸を守るための台場づくりをはじめます。それが品川台場です。

陸側(連絡道のつきあたり)
当時はここも海面に接していたと思われます

当初の予定では周辺に11基の台場を築造する予定だったようです。
6基が完成し、1基は未完成、4基は未着手、完成したうちの第三台場と第六台場が現存し、いま足を踏みいれて見られるのは第三台場のみ。

現地の案内板より抜粋
土塁をもりあげ基部を石垣で固定し、その内側が曲輪
そう考えると城郭とまったく同じ構造といえます

土塁上から

土塁上から
全体を見わたす
土塁上の砲台跡 / 案内板によると後世の模擬

郭内へ

土塁から郭内へ下りてみました
弾薬庫跡
べつの弾薬庫跡
かまど場跡 / ここも後世の模擬
当時のままですが、用途不明(案内板がない)
陣屋跡
波止場に通じていた出入口
ここから土塁上にもどります
別の角度から全体を見わたす

戦さになってでも外敵(外国)を追い払わんとする先鋭的な攘夷派、たとえば長州藩などを押さえこみ幕府は開国へと進みます。
そのため予定の11基のうち完成した6基の台場に大砲が据えられますが、最後まで一門とて火を噴くことはありませんでした。

幕府が諸外国にたいして戦闘行為を避けたのは平和外交をつらぬいたためとは言えません。
もし戦えば必ず負けると自覚しており、幕府自体がぶざまに負ける姿をさらすと諸藩が幕府をみかぎり一気に倒幕へとすすむことを危惧したからと考えるほうが妥当です。
そうすると、この品川台場は「幕末のあだ花」ということになるのでしょうか。

【アクセス】東京テレポート駅から徒歩15分
【満足度】★★★☆☆