熱田神宮の秘・草薙の剣はあるのかないのか

【愛知県・名古屋市 2026.4.14】
ネットで「秘仏とは」と検索すると、秘仏には二種類あり、
①通常秘仏 – – 一定の年回り(7年ごと、33年ごとなど)、あるいは開山〇〇年などに際して開帳されるもの。
②絶対秘仏 – – 過去に開帳されたことがなく、ゆえに誰も見たことがないもの。
と書かれています。

①通常秘仏については、仏像そのものを環境変化による劣化から守る目的にくわえ、時々しか拝顔できないことで仏の神秘性を高める意味があるのだろうと理解できます。
ところが②絶対秘仏については誰も見ることができないのであれば、仏像を拝顔して感謝や敬意を伝えることも願いを託すこともできないという不合理さを感じます。
それ以前に仏教信徒でない私からすると、誰も見たことがないのなら本当にあるのか?とつい疑ってしまいます。

先日ある本を読んでいたら、名高い寺の住職が絶対秘仏とは誰も見たことがないのだから実際にあるのかどうか定かでないとさらりと書いていました。
信仰心の有無に関係なく本来は誰もが抱く疑問であり、なぜ公然と疑問を口にしないかといえば、それが禁句だからではないでしょうか。

熱田神宮

熱田神宮は三種の神器のひとつである草薙の剣を御神体とし、熱田大神あつたのおおかみすなわち天照大神あまてらすおおみかみを主祭神としています。
神体とは神の依代よりしろ、言い方をかえると、「神が宿る場所、あるいは寄り憑く物」、それゆえ神そのものではなく、「神様がそこにいますよ」という目印と考えればよいでしょう。

その御神体である草薙の剣ですが、誰も見ることができません。熱田神宮の宮司も、それどころか天照大神を始祖とする天皇さえも見ることができません。
理由は神格があまりにも高く霊力が強すぎるため。
過去に見た人が急死したとの記録はあるものの、「見た人の証言」はまったく存在せず、要するに神話の時代以後でいえば歴史上「だれも見た人がいない」ということです。
そこで秘仏と同じように「誰も見たことがないのなら本当にあるのか?」という疑問がわいてきます。

現地にあった案内板より抜粋

この案内板は東門にあったものです。
東門周辺は駐車場(すべて無料)が多く、何も考えずここに駐車したのですが、自分なりのこだわりで外周をまわって正門(南門)にむかいました。

第一鳥居から第二鳥居へ

第一鳥居

正門にあたる第一鳥居から出入りする人が少ないのは、東門前に駐車場が集中しているだけでなく、名鉄の神宮前駅がその目の前、さらにJR熱田駅がその北にあり、いわゆる町の中心がそのあたりになるがゆえです。

第一鳥居の左に鎮座する上知我麻神社
知恵の神様を祀る、さらに左右に大黒天と恵比寿を祀ることから初えびすでは大賑わいとか
別宮の八剣宮
熱田神宮のサイトによると、元明天皇和銅元年(708)に勅命により神剣をつくり、境内に社を建てて祀ったのが由緒とのこと

草薙の剣の由緒については諸説ありますが、もっとも代表的なものを紹介します。
素戔嗚尊すさのおのみこと(スサノオ)が出雲の国で八岐大蛇やまたのおろちを退治した際にその尾から神剣が出てきます。
スサノオはその神剣を高天原たかまがはら(天上界)にいる姉のアマテラスに献上、そののち天孫降臨に際して瓊瓊杵尊ににぎのみこと(初代・神武天皇の曾祖父)に託されふたたび地上界へ下ってきます。

崇神天皇(第10代天皇、紀元前1世紀ごろ)の勅命により神剣本体とはべつに形代かたしろがつくられ、本体は伊勢神宮に奉納され、形代は宮中(天皇のもと)に納められます。
ここで注意すべきは、本体は神話の時代から伝わる正真正銘のもの、形代は単なる模造品ではなく神の霊力を宿した代替品ということです。

時代は2世紀ほど進みます。
第12代景行天皇の皇子である倭建命ヤマトタケル(日本武尊)は、西国周辺の征伐を終えて帰還するとすぐに天皇から東国征伐を命じられます。
あまりに過酷な勅命にヤマトタケルは気持ちが折れかけたのか、伊勢神宮に戦勝祈願に参ったさい、神宮に仕える叔母の倭姫命やまとひめのみことに「休む間もなく、従う者もろくにおらず、天皇はまるで私に早く死ねと言っているようなものではないですか」と嘆きます。
そのとき倭姫命はこれを携えてゆきなさいとニニギノミコトが地上界にもたらした神剣を授け、さらに(たいていこの部分は忘れられているようですが)一つの袋を手渡し「もし危ないことがあったら、この袋を開けなさい」と伝えます。

第一鳥居から緑深い参道を歩きます
清雪門
天智天皇の時代に新羅の僧が神剣を盗み出したことがあり、取り戻して以後は二度と出ていかないよう「不開門 / 開かずの門」として千年以上も扉を閉ざしたままと伝わる門

さてヤマトタケルが各地の荒ぶる神や人を平定しながら相模国へと着いたとき、その地の国造からこの草原の奥に強くて悪い神がいるので退治してくださいと頼まれます。
実はこれが罠で、ヤマトタケルが草をかき分け草原にふかく踏み入ったところ周囲に火がかけられ、その火は風にあおられ勢いよく迫ってきます。絶体絶命のピンチ。
そのときヤマトタケルは倭姫命の忠告を思い出し授けられた袋を開きます。するとそこにあったのは火打石。
ヤマトタケルはとっさに何をすべきか理解し、まず神剣で周囲の草を薙ぎ払い、そこに火打石で火をはなち向かい火をおこして迫りくる火を防ぎます。(いわゆるバックファイア)

忘れてはならないのは、ヤマトタケルの危機を救ったのは第一に「危ないことがあったらこの袋を開けなさい」と渡された袋であり袋の中にあった火打石です。
神剣は向かい火をおこすために草を薙ぎ払った道具(と言って悪ければ補助)にすぎません。
ところがこの話をもとに、神剣は「草薙の剣」と呼ばれ三種の神器のひとつとして畏敬されることになり、一方袋の中にあった火打石は畏敬どころか重視されることもなく、古事記を読めばたしかに記述がある程度の存在としてなおざりにされてしまいます。

二十五丁橋 / 25枚の板石が並んでいる
佐久間灯籠
江戸時代初期に佐久間某により寄進されたもの。高さ8mあり日本三大灯籠のひとつ。
第二鳥居
第二鳥居の手前で東門からの参拝者が合流するため人の姿がぐっと増えます。

こうして駿河の国での危機を脱してからもヤマトタケルは苦難の連続、それでもなんとか東国征伐を果たし終えます。
帰途に立ち寄ったのは、見初めていた愛しい人(美夜受比売みやずひめ)の待つ尾張の国。
ここで夫婦の契りを交わすのですが、ひとひねりした下ネタ大好きな(?)古事記のことゆえ、なぜこれが必要なのかわからない話が挿入されます – – ヤマトタケルが抱き寄せると生理だったことがわかり躊躇すると、ミヤズヒメはいままで待たされたのだから生理くらい何でもないと – – –

それはさておき、ヤマトタケルは近江の国の伊吹山にいる悪い神を征伐するため一旦ミヤズヒメの家を離れます。
このとき伊吹山の神をかるく見て油断があったのか草薙の剣を置いたまま出かけてしまい、これが禍根となってヤマトタケルは命を落としてしまいます。
ヤマトタケルを失い悲しみに暮れた(とは古事記には書かれていませんが)ミヤズヒメは持ち主のなくなった草薙の剣を尾張の地に奉納した、それが熱田神宮の由緒となります。

第二鳥居から第三鳥居へ

第二鳥居をくぐると手水舎があり、その先にこの大楠があります。樹齢1000年以上。
信長塀
桶狭間の戦いを前に信長は熱田神宮で戦勝祈願し、勝利の後にこの塀を寄進したと伝わっています
第三鳥居

草薙の剣は海の底に沈んだと伝承されています。
源平合戦も終盤(治承・寿永の乱)、壇ノ浦の戦いで平家はやぶれて滅亡しますが、そのさい共に屋島から逃れていた安徳天皇(わずか満年齢で6歳)は三種の神器とともに瀬戸の海に入水します。
このとき源氏は神璽しんじ(勾玉)と神鏡しんきょうについては確保しますが、神剣は海の底に沈んで行方不明になったとされています。

この神剣ですが、先にも書いた形代です。本体(草薙の剣)は源平合戦とは関係なく熱田神宮に残されている、はずです。
時はくだって南北朝時代、後醍醐天皇は足利尊氏に渡した三種の神器は偽物だと主張し、本人が言うところの本物をもって吉野で南朝を開きます。
真贋は別問題として、なぜ海に沈んで行方不明になったはずの三種の神器のひとつ神剣がここで登場するのか。
答えは、神剣の本体が熱田神宮に存在するのであれば、その本体から神霊を移す(遷御せんぎょ)ことで新たな形代をつくることは可能です。
しかし壇ノ浦の戦いから南北朝時代にいたる歴史の中で、熱田神宮の神剣の本体から形代がつくられたという記録はどこにもありません。
ということは神剣の本体がないとは言えませんが、あることの証明もできません。

本宮

拝殿 / 正面の階段を上がると写真撮影禁止
拝殿
本宮の外周を巡るように細道が続いている
7本ある大楠のひとつ

橋本治氏といえば著作「桃尻語訳 枕草子」に見られるように古典文学に造詣の深い方ですが、遺作ともいえる『草薙の剣』は複数の主人公の昭和から平成にかけての日常をえがいた小説です。
両親の離婚、本人の引きこもり、浮気、いじめ、親の介護などなど人生において誰でもが体験するような大小のトラブルとそれにともなう葛藤が、場面を入れ替えながらむしろ淡々と描かれてゆきます。
そして主人公たちはなんとなく立ち直る契機をつかんだような、つかみかけたようなところで物語は終わります。

『草薙の剣』のタイトルはなんなのか?と首を傾げかけたころ、最後の最後にヤマトタケルが火を放たれた草原で草を薙ぎ、火打石で向かい火を起こして難を逃れる話が紹介されます。
以下、ポイントとなるところを写し書きします。
「草を薙ぎ払うだけで、押し寄せる熱と炎と白煙を押しとどめることが出来たのか? ヤマトヒメのミコトは黙って、押し寄せる敵を迎え撃つ術を教えたのだ。大太刀を振るって敵をかわすよりも、迎え撃つことの大事を」
「このことによって、ミコトの授けられた剣は『草薙の剣』の名を得ることになるが、それよりさらに重要な火打石にはいかなる名称もない」

【アクセス】レンタカーで回りましたが、東門の目の前が名鉄・神宮前駅です。
【料金】宝物館・草薙館共通券800円、神宮の拝観料は無料、隣接する駐車場も無料
【満足度】★★★☆☆