登山靴をはいて鎌刃山を登れば、鎌刃城の全貌が見える
【滋賀県・米原市 2026.10.15】
鎌刃城は滋賀県・米原市にあります。
米原はいまでもJR東海道本線・東海道新幹線と北陸本線の接続点として(そこそこ)交通の要衝ですが、室町から戦国時代には地理的に(そこそこどころではない)要所でした。
北近江と南近江の境界に位置し、北は越前、東は美濃、南は近江から山城・京、西は琵琶湖の水運、畿内を中心に国のあり方考えていた当時としては日本のへそともいえる場所です。
それだけに米原周辺には名城(歴史的に価値がある、建築技術がすぐれている、だけでなくたんに名前がよく知られているものも含め)が目白押しです。
京極氏の上平寺城、六角氏の観音寺城、浅井氏の小谷城、秀吉の長浜城、信長の安土城、石田三成の佐和山城、井伊家の彦根城などなど、(どの城が「有名なだけでつまらない」とここでは耳打ちしませんが)、これらの錚々たる城に比べて鎌刃城はあまりにも知名度がひくい。
もしこの城が「続日本百名城」に選定されていなかったら永久に行くことはなかったかもしれません。実際のところ、「日本百名城」「続日本百名城」の本を見ていて、関西で訪れていない城がまだあったと気づいて注目したぐらいです。
さらに注目したからすぐに行こうと考えたかというとそうでもなく、なにしろ大阪市内からだと往復の交通費がおよそ4,000円。「見に行きたい気持ち」と「必要な交通費」を天秤にかけてズルズルしているうちに「JR秋の乗り放題パス」がはじまりました。
内容はJR全線の普通・快速・新快速電車に3日間乗り放題で7850円。
ちょうど倉敷に行く用事があったため1日目に大坂ー倉敷を往復すると実質モトはほぼ取れます。考えようで、鎌刃城へはタダで往復できる。
やっとこれで鎌刃城を訪ねることになりました。
鎌刃城へ

左に霞んで見えるのは伊吹山



この尾根がそのまま曲輪(郭)群につながる


左上の西郭群の先端にあたる西-Ⅷ郭からスタートします。
西郭群


このように曲輪が一段ずつ高く連結している



階段状に曲輪が連結する山城はいくつも見てきましたが、ⅧからⅠまでこれほど見事に段差のついた連結式の曲輪群を見たのははじめてです。
南郭と七つ堀
鎌刃城は室町時代の応仁の乱以前につくられたようです。
築城主は当時このあたりに勢力を誇っていた土豪の堀氏?と言われています。(城の規模からみて時代とともに拡張されたのではないでしょうか、一土豪の城としては大きすぎます)
北近江で京極氏と浅井氏、南近江で六角氏が勢力を伸ばしはじめると、その境界に位置する鎌刃城は3者の間で翻弄されます。翻弄とは、この場合こっちに付き、あっちに付きしながら生き延びます。
最終的には浅井氏に属するようになりますが、信長が浅井・朝倉と敵対すると織田方に臣従し、姉川の合戦で織田方が勝利したためここでも見事に生き延びます。
※京極氏と六角氏はともに宇多源氏の流れをくむ名門・佐々木氏の系譜で、京極氏は京都の京極通りに、六角氏はおなじく京都の六角東洞院に屋敷があったことがその家名のおこりで、浅井氏が近江浅井郡の出であるためその家名を名乗ったのとは違いがあります。


南-Ⅱ郭から南へつづく七つ堀をふくむ尾根道は、現地の案内板にも「上級者向け」と書かれていますが、敵の侵入を防ぐためだけあってずいぶん「難攻」につくられています。難攻とは進むのが難しいという意味ですから、登山のつもりで来た人以外は立ち入らない方よいと思います。
ここでは意図して先端近くまであるき、攻城兵のつもりになって南-Ⅱ郭にむかって攻めあがってみます。






到着しての感想は、「攻城兵にはなりたくない」
主郭




北郭群

ここからは西郭とは逆に次第に下る







米原駅に向かいながら、ずいぶん城を見て歩いたつもりでも関西ですらこれほどの城(跡)を見逃していたのかと感じ入ることしきり、鎌刃城はおもわぬ「めっけもの」でした。
鎌刃城をより詳しく探索したいのであれば、登山靴は必携です。城郭にたどり着くまではそれほど難路ではないものの城郭内の移動がきびしい。
とはいえ登山靴を履いてのぼる値打ちはあります。
【アクセス】JR米原駅~番場~鎌刃城~番場~米原駅 / 20,000歩、4h40m
【備考】鎌刃山資料館(番場資料館)は土日のみ開館
【満足度】★★★★☆






