城郭・史跡,高知

【高知県・南国市、高知市、安芸市、四万十市 2026.9.29~10.1】 十七代当主・長宗我部友親氏の著書『秦氏の夢 長宗我部元親』によると、長宗我部家は秦氏はたしの後裔であるとのこと。秦氏は古代日本において養蚕や酒造さらには土木や製鉄などの技術をつたえた渡来系士族で、莫大な財と力を有していました。その後裔といえば超名門ということになりますが、朝鮮から渡来した秦氏の秦(はた)は中国の秦(しん)と同字であることから秦氏の先祖は(中国)秦の始皇帝であるという突飛な説があります... Read More | Share it now!

山登り,滋賀

【滋賀県・大津市 2026.9.22】たとえば関西在住で関西一円の低山を日帰り登山で楽しんでいる人ならば、「湖南アルプス」の名は知らなくても琵琶湖の南あたりにある山塊であろうと容易に想像はつくはずです。そのとおり、大津市の南東あたりに峰々があります。さらに琵琶湖の南あたりにそびえる峰々であれば、たいそうな高峰があるはずもないのでおそらくは低山の連なりであろうと容易に推測できるはずです。そのとおり、最高峰の太神山たなかみやまで標高599m、きょう登る予定の堂山どうやまにいたっては標高384m。それならばさぞかし楽ちんに登れるだろうと安易に判断したならば、それは大間違い。 先日テレビ番組(全国放送ではない?)で、北アルプスの標高3015mの名峰・立山に2450mの登山口からのぼる様子を紹介していましたが、はっきり言って384mの堂山の登頂はそれよりもずっと難易度は高いといえます。(空気が薄い、天気の急変があるなどの条件は考慮に入れません)どれほどの難易度の高さなのか、とりあえず登ってみましょう。 登山口から堂山へ 現在湖南アルプス周辺は新名神高速道路の建設中(右)アルプス登山口バス停近くから撮影 その新名神の下をくぐって登山口へむかう しばらく林道をあるき並行する河原に下ります つづいていかにも人の手でつくった飛び石橋をわたる 対岸に渡ると岩場登りがはじまります。3点支持(両手両足のうち3点をつねに固定)で難なく登れます。 登ってきた岩場を振りかえる 岩場が終わると視界が開けます... Read More | Share it now!

神社・仏閣,京都

【京都市 2026.9.18】今日は京都市右京区の嵯峨野を訪ねます。右京区の呼び名について京都在住の方はご存じでしょうが、他府県の方で疑問に思うひともいるでしょうから先に述べておきます。京都市の地図を見れば当然北が上になっており、西は左で、その左に左京区ではなく右京区があります。これは古代に天皇は北を背にして南にむかって公卿と対面して政まつりごとをおこなったことから、天皇から見ると右が西だったという由緒ある(見方をかえると因習的な)理由によります。 嵯峨野と言えば嵐山。渡月橋をわたって天龍寺から竹林の小径へと北に歩きます。このあたりは京都でも屈指の混雑する地区-... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,和歌山

【和歌山県・九度山町~橋本市~高野町 2026.9.13】今日は久しぶりに青空がひろがりました。それでは山登りにいこうかと気持ちは逸るのですが、ここのところ連日のように雨が降りつづいていることを思うと、土砂崩れまではいかなくても路肩崩れの危険がないとは言えません。私は君子ではありませんが好き好んで危険には近づきたくないので、今日のところは登山道をあるく山登りは止やめ。いわゆる林道とか生活道路をあるく山歩きに予定変更します。 真田幸村(信繁)に関して高野山での蟄居時代のことを確認するため九度山(町)に行きたいと思っていました。とは言ってもそれほど時間はかかりません。九度山から学文路かむろはすぐ近く。京大坂から南へのびる東・中・西高野街道はいまの河内長野で合流して京大坂道(あるいは本街道)と名をかえて高野山へとむかいますが、紀ノ川をわたり街道がにわかに坂道となり高度をあげてゆく始まりが学文路の地にあたります。この京大阪道を歩きます。学文路(かむろ)の名の由来ですが、高野山へ向かうことから「学問の路」とも考えられますが、「かむろ」は「神室... Read More | Share it now!

神社・仏閣,京都

【京都府・宇治市 2026.9.4】 今日は曹洞宗(禅宗)の最初の道場として開祖・道元が開山した宇治市の興聖寺をたずねます。京都で寺を訪ねるのなら比叡山延暦寺(天台宗)とか東・西本願寺(浄土真宗)などはるかに有名な寺がいくつもあります。それどころか同じ禅寺でも臨済宗ならば南禅寺、天龍寺、東福寺など錚々そうそうたる名刹が(しかももっと便のいいところに)あります。なぜ敢えて曹洞宗なのか、その理解をえるためには日本における仏教信仰の変遷をざっと話しておく方がよいかと思います。 仏教が百済から伝来したのは6世紀半ばのこと。飛鳥時代から奈良時代にかけて天皇直々の帰依もあって大いに隆盛します。この時代の仏教は平城仏教あるいは奈良仏教徒とよばれ学問として仏の教えを学ぶのであり、出家したものしか救われることはなく、そのため後世には「限られたものしか救えない器=小さな乗り物」という意味で「小乗仏教」と揶揄されます。 平城京から長岡京、平安京へと遷都したのは桓武天皇ですが、平城京からはなれた理由の一つは強大な力をもちすぎた奈良仏教から距離を置くためだったと言われています。桓武天皇の庇護のもとあらたな仏教をもたらしたのが最澄(天台宗、比叡山延暦寺)であり、その皇子である嵯峨天皇と深く結びつき独自の仏教(密教)をひろめたのが空海(真言宗、高野山と東寺)です。奈良仏教が国家鎮護のために布教が後押しされたのにたいして、平安仏教は個人の救済に重きをおいたものです。これからのちの仏教は大乗仏教と呼ばれています。 ときは移り鎌倉時代になると、武家が台頭し朝廷の力が弱くなるのにともない庶民の存在が重視されるようになります。庶民にとっては「多くの人を救う大乗仏教」といわれても、それを学ぶ時間も識る機会もありません。そこで登場するのが、念仏を唱えれば誰もが救われると法然ほうねんの説く浄土宗であり、仏(阿弥陀仏)の救済を一心に信じることであらゆる人が極楽浄土へ行ける(救われる)と親鸞しんらんが説く浄土真宗。こうして仏教は本来の釈迦の教えとは似ても似つかぬ、もっとも重要な「悟り」が抜け落ちた異形いぎょうなるものに変容します。 法然・親鸞の一世代あとに登場するのが道元です。道元は比叡山延暦寺で出家しますが、そこでの修行生活に得るものを見い出せず山を下り建仁寺(臨済宗)で禅を学ぶことになります。 宇治川をのぼる 京阪宇治駅から宇治川沿いをのぼると、やがて朝霧橋が見えてくる 朝霧橋から眺める中央の赤い橋の奥あたりに興聖寺 道元は建仁寺で学んだあと中国(南宋)にわたり、如浄にょじょう禅師に師事して修行の末に、ただひたすら座ること「只管打座しかんたざ」によりすべての煩悩や執着から解放された悟りの境地「身心脱落しんじんだつらく」に至ります。おなじ禅宗でも臨済宗が座禅だけでなく公案(禅問答)のやりとりで理論をこえた悟りを目指すのに対して、曹洞宗はただ無心で座ることが修行のすべてであり、その無心で座ることこそが人の本性であり悟りそのものなのであるとしています。もっとも、わたしのような煩悩のかたまりの凡夫には理解が難しいのですが、「悟りとはなにか」を考えることも「悟りの境地」を求めることもすべて支障になるだけ、なにも求めず迷わず考えずただ座禅をしなさい、これが極論すれば教えのすべてです。それゆえ私がここで曹洞宗の禅とはなにかを書くことはできません。ましてやそれを読んで禅とはなにかを理解できるはずもありません。 ※禅について、鈴木大拙氏の著作は当人が哲学者ゆえ妥協のない(?)硬い文章で書かれているため読みこなすのは、それこそ股関節の硬い人が座禅を組むほどになかなか、です。個人的には、禅に興味をもったのでなにか読んでみたいのレベルであれば、鈴木俊隆氏の「禅マインド... Read More | Share it now!

山登り,兵庫

【兵庫県・神戸市~芦屋市 2026.9.1】暦は9月になりましたが、あいかわらず大阪周辺の最高気温は35度超え。これでは暑くて出かける気にもなれないというときは、六甲山の北面の中腹、保養地でもあり避暑地でもある有馬温泉に目を向けるのも一手です。この日の最高気温を調べたところ、30度。これだけでもウラヤマシイですが、現地は緑が多く体感ではさらに涼しく感じます。いままでにもたびたび書いてきましたが、六甲山という個体の山は存在せず宝塚市から神戸市の西端まで東西40kmほど峰々がつづく山系をまとめて六甲山と呼びます。南面(瀬戸内海側)と北面(北摂側)からの登山口は50以上。どこの登山口からのぼってどこへ下るかだけでなく、各々の登山口から伸びる道が分岐し交差し合流しあうのですから歩くルートは文字どおり山ほどあります。六甲山登山の楽しみのひとつが、このルートを自分でアレンジすること。暑さを避けることを優先するのであれば、有馬温泉から稜線までを往復するのがベストです。登り口と下り口、分岐路それぞれを自分でアレンジするだけで数十通りのルートができあがります。有馬温泉にもどるつもりがないのであれば、たとえばこの日の私のスケジュールは朝ゆっくり大阪の自宅を出て10時過ぎに有馬温泉着、六甲の北面を登って南面をくだり、暑さのピークを過ぎたころに神戸・芦屋・西宮のどこかの市街地に着くように考えています。登山ルートは... Read More | Share it now!