大阪でみつけた日本民家集落博物館は存続のピンチか

【大阪府・豊中市 2026.6.21】

神社の屋根にいまでもたまに使われている「茅葺き」のことをウェブで調べていたら、ひょっこり「日本民家集落博物館」なるものに行き当たりました。所在地を調べてみると、なんとびっくり大阪府豊中市で最寄り駅は(服部)緑地公園駅。
ここならば私の自宅から大阪メトロ(地下鉄)を一回乗り換え、そのまま北大阪急行に連絡して乗り継ぎのタイミングにより40~50分、電車賃440円でたどり着けます。
時間はふんだんにある老後生活の私にとっては所要時間の長短は、ぜんざいに白玉団子が4個入っているか5個入っているか程度の問題でしかないのですが、往復の電車賃が1000円以下で収まるのはなんとも有難い。
ということでさっそく行ってみることにしました。

※話の発端の茅葺かやぶきについて。
茅とはススキやアシ(ヨシ)などイネ科植物の総称で、米わらや麦わらを使う場合は藁葺わらぶきと表現します。
茅葺きの方が油分を多く含んでいるため耐久性が優れており、手入れがよければ50年保つこともできますが、藁葺きの場合は10年からせいぜい20年と短くなります。

河内布施の長屋門

入り口前にあった案内図より抜粋

1955年(昭和31年)に、どのような縁があったのかわかりませんが、関西電力が飛騨白川郷の民家一棟を豊中市に寄贈したのがはじまり。
そこから服部緑地公園の整備にあわせて財団法人日本民家集落が設立され、大阪府内をはじめ全国から江戸時代に建てられ使われなくなった民家をあつめて遺産として残していこうということになったようです。

河内布施の長屋門 / 左右には部屋がある

布施は東大阪市の中心地にいまも残る地名です。
そもそも江戸時代には普通の民家が屋根付きの門を構えることは禁じられており、まして長屋門となると武家か豪商か大地主など地位をほこる身分の家であったことがうかがえます。

もとの主は塩川家。
調べてみたところ、小泉政権下で財務大臣をつとめた塩川正十郎、フルネームでいうよりも「塩爺」と呼んだ方が思い出すかもしれません。あの方の生家だそうです。

日向椎葉の民家

日向(宮崎県)椎葉村より移築。
椎葉村は日本三大秘境としていまも存続しています。
山の斜面のわずかな平坦地に建てるため、山を背にして横に長い家屋になっている。
部屋は一部屋ずつ横にならぶ。
左側(山側)はもしもの落石を想定して、戸棚や仏壇などがならび開口部がない
部屋に開口部が少ないからか、壁上部と屋根の間に(煙出しの?)隙間がある。

信濃秋山の民家

信濃秋山村は長野県の北部、新潟県との県境に位置し、今なら苗場スキー場の入口といえばわかり良いでしょうか。
日本有数の豪雪地帯のため屋根が急勾配なのが特徴。
さらに室内の温度を守るため茅葺き屋根だけでなく壁も茅。
(壁に関しては藁のようにも見えますが??)
もうひとつの特徴は中門造り。入口部分を家屋から突出させ、ここに厩を設置していました。
馬であれ牛であれ豪雪のなか戸外に出していたら生きてはいけないでしょう。
室内 / 囲炉裏部分

各地の民家

大和十津川の民家
奈良県の十津川は杉の産地ゆえ杉材や杉皮を使っています。
越前敦賀の民家
ここも豪雪地帯ゆえ屋根が急勾配。家を支える梁も柱も太く頑丈なもので、柱は壁に塗り込められています。
北河内の茶室
「わびさび」を重んじた数寄屋造り。土壁に茅葺きの屋根、入口はにじり口。
広い敷地内には保護された供養塔や地蔵も点在しています。

南部の曲家

南部はいまの青森県から岩手県東部のもと南部藩の領地。
古代から馬の産地として知られ、蝦夷の軍馬として重用されていました。
正面に見えるのが厩
住居部分から曲がって厩が設置されるため曲家(まがりや)と呼ばれました。
室内の様子
屋根には雑草。そもそも茅葺きが剥げてしまっている。
保存管理してゆく資金がまるで足りないそうです。

各地の付属屋

小豆島の農村歌舞伎舞台
神社の境内に本殿と向かい合うように建てられていたもの。
壁は全面が茅葺き、屋根は正面の軒のみ瓦葺き。
堺の風車
畑の灌漑用として当時は浜沿いに700基もならんでいたとか。当初の4枚羽根から6枚に替わり、さらに風向きに合わせて向きも変えられる。
広い園内には小規模ながら竹林もあります。
奄美大島の高倉
高床式の蔵は穀物の貯蔵庫として使われていました。柱は非常に硬いイジュの木でつくられており、ネズミさえ爪を立てて登れないそうです。
堂島の米蔵
堂島は今でも大阪のビジネス街の中心地。当時は売買され出荷される前の米を保存する米蔵が並んでいました。
二階建てに見えますが中は吹き抜けで、床から天井まで米俵を積み上げていたそうです。

摂津能勢の民家

能勢は大阪府最北端の地
いまでは降雪すら稀ですが、当時は積雪がひどかったのか屋根が急勾配になっています。
能勢の民家の特徴は屋内をふたつに割り、片側に畳敷きの部屋をならべ片側は土間(台所や厩)になっていること。
これは京都の町家を模してるのではと推測されています。
(写真は土間側から部屋の並びを撮影)

飛騨白川の民家

白川郷は御存じのとおり岐阜県の最北端、石川県と富山県との県境にちかい山間部にあります。
言わずと知れた豪雪地帯。
大きな屋根と建物を支えるため梁も巨木です。
屋根部分はこのように支えが施されていました。
天井裏の養蚕棚

白川郷の民家の屋根がバカでかいのは屋根裏で養蚕をしていたゆえです。
屋内での作業に労働力が必要で、大家族で暮らす必要から家屋も大きくなったとか。

敷地内にならぶ民家の茅葺きは移築当時に葺き替えられたものですからすでに70年になります。
冒頭で書いたように茅葺きは「管理がよければ50年」ですから寿命はとうに過ぎています。しかし葺き替える資金がありません。
施設の入場者数は年間3万人程度。1日あたり100人程度、全員が割引なしの大人料金としても800円×100人では1日あたりの収入は8万円。これでは掃除や散水など日常の維持管理業務をまかなうにも足りないかもしれません。

敷地が広いし緑地公園でもあるので草木を育てる環境は整っています。
現に敷地内にはこの時期ならではのアジサイも咲いていました。このチラホラみかけたアジサイをまとめて植え – – – 「花の寺」とうたって寺院がその季節ごとの花で参詣者(というよりも観光客)を呼んでいるように、アイデアでなんとか集客してもらいたいものです。
日本民家集落博物館はなんとしても後世に残したい施設であるとつくづく思った次第です。

【アクセス】緑地公園駅から緑地公園内をあるいて15分
【入場料】800円
【満足度】★★★★★(施設をのこすために来場者が増える期待もこめて★五つ)