神社・仏閣,京都

【京都市 2026.3.5】小野小町は世界三大美人のひとりとされています。クレオパトラ、楊貴妃、そして小野小町。クレオパトラは紀元前の古代エジプトの人、楊貴妃は8世紀の中国(唐)の人、小野小町は9世紀の平安京の人。地理的にも時代的にもこれだけ見るだけで、なんだか怪しい説との見当はつくでしょう。 しかし小野小町が美しい女性であったことは、写真はもちろん当時の肖像画も残ってはいないものの、どうやら確かだったようです。多くの男性に言い寄られたという事実から美なのか艶なのか男が喜ぶような魅力があったことはわかるし、歌人としての優れた才能からその魅力が官能的なものではなく、おそらくは凛とした美しさだったと想像されたのではないでしょうか。 ところがその小野小町、没年齢がはっきりしていません。60代と伝えるものもあれば、70代、80代、90代、ついには100歳没説まであります。没年齢だけでなく、没地もはっきりしません。小野小町の墓でしらべると、東北から本州最西端の下関まで20ヶ所ほどの「候補地」が見つかります。 おそらくは後半生があまりにもはっきりしないため、ここから謎が謎をよんだのか創作が創作をまねいたのか、老いた小野小町は乞食然の落魄した姿で諸国を放浪しついには路傍で野垂れ死にした、さらにはその骸骨(頭蓋骨)の眼窩からススキが生えてきたといった怪談めいた話まで残されます。 補陀洛寺(小町寺) 一般道の歩道から いきなり急階段をのぼりますそれだけ境内が手狭ということでもあります 補陀洛寺の境内にたつ十三本檜1本の根元から13本の幹が出ているとのことですが、何度数え直しても10本しかありませんでした。これも怪奇のひとつ? 小野小町姿見の井戸 あなめのススキ眼窩からススキが生えて、穴目のススキ? 補陀洛寺は(このあたりの伝承では)小野小町の終焉の地とされています。堂内には「小野小町老衰像」(90歳ごろの像とか)が祀られているそうですが、拝観するには予約が必要です。わたしはサイトの画像で十分満足したので予約見学はしていません。 ところで乞食をしながら諸国を放浪したとか路傍で野垂れ死にしたと伝えるかと思えば、ここでは平安京はずれの寺で没したとか、それにもかかわらず頭蓋骨の眼窩からススキが生えるとか。どうやらこの話は、胡散臭い。 中央後方が小野小町供養塔左は深草少将通魂碑 深草少将は小野小町に熱心に愛の告白をします。ところが小野小町はそれを煩わしく思い、テキトーにあしらうために私のもとへ百夜通えばその愛に応えようと告げます。深草少将は九十九夜までは通い続けるのですが、いよいよ最後の日になって雪降る中で行き倒れになってしまいます。じつはこれ、能作者たちが創作した『百夜通いももやがよい』というつくり話で、実話ではありません。 補陀洛寺をあとにして 川沿いに岩倉へとあるく 次の目的地である随身院は電車を乗り継いで醍醐あたりまで行かねばなりません。せっかく叡山鉄道沿いのこの地を訪れながら、補陀洛寺ひとつで立ち去るのはなんとも物足りない。ということで、岩倉の一角にある圓通寺を訪ねるべく叡山鉄道沿いでもあり川沿いでもある道をのんびり歩くことにします。とは言いましたが、ここで圓通寺に話題が移ったのではテレビドラマを見ていたら途中でいきなり他の番宣が入るようなものでしょうから、圓通寺は後回しにしてブログは隨心院へとつづけます。 随身院 総門から 長屋門から庫裡をみる 庭園 期間限定の花の間きれいですが、ぜんぶ造花です 堂宇がならぶ境内への正門 このあたりに小野小町が晩年を過ごした居住家があったとつたわる 小野小町化粧井戸 路傍で野垂れ死にから、補陀洛寺では寺院が終焉の地となり、随身院では専用の井戸もある家で暮らす生活に昇格しています。なんじゃこりゃ、といったところでしょうか。随身院には「卒塔婆小町像」が祀られています。こちらは拝観料をはらって堂内にはいればいつでも拝観できます。(写真撮影は禁止) 能のなかに「卒塔婆小町」という物語があります。高野山の僧があるとき卒塔婆(墓石に後ろに立てる戒名などを書いた板)にすわる乞食老婆を見かけます。話をしたところずいぶん教養豊かで、その素性を問うて小野小町の成れの果てだとわかります。さらには過去の栄華を語るうちに、熱愛された深草少将に冷たくあたり深草が雪のなかで凍死したことを告白するうちに怨霊に取りつかれついには狂乱しはじめます。最期は怨霊から解放され悟りの世界へ向かうというストーリーですが、これは先に書いた『百夜通い』の続きであることは明白です。 小野小町の文塚 この文塚は、小野小町が男達からもらった恋文(ラブレター)を大切にとって置いたものを埋めたと伝わっています。自分に思いを寄せた男性たちの気持ちがこもった文を捨てたり焼いたりするのは罪だと感じて大切に残しておいたということです。 随身院につたわる小野小町の晩年の姿が真実であるのかどうかはわかりません。しかし能の題材につかわれ、墓の候補地が20ヶ所もある乞食老婆とする話の方がどう考えても不自然です。もしかすると、小野小町はクレオパトラや楊貴妃に劣らぬほどに美しく、それだけ羨望もされれば嫉妬もされたのかもしれません。 圓通寺 圓通寺近くの道端からみる比叡山 時間を巻き戻して、圓通寺へ向かう道にもどります。ここで比叡山の写真を掲載したのには理由があります。圓通寺の庭園は比叡山を借景にしています。それゆえ雲で山が見えないのでは訪ねてゆく意味がなくなります。 ここがもとの正門? 境内に入ります 枯山水庭園と比叡山堂内は一切撮禁止 【アクセス】叡山鉄道・市原駅~補陀洛寺~圓通寺~木野駅... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,山登り,城郭・史跡,大阪

【大阪府・千早赤阪村 2026.2.26】「河内の悪党から智と勇で頭角をあらわし、巨大な幕府軍に寡兵で立ち向かい互角以上の戦いをつづけ、忠君愛国そのままに最後は負け戦に身を投じてゆく」これだけ読めば、歴史ファンでなくても多くの人が楠木正成を思い浮かべることでしょう。楠木正成にこのイメージ(あるいは評価というべきか?)が定着したのは、『太平記』の記述によります。さらに現代でいえば、吉川英治の『私本太平記』によりそのイメージは確固たるものになります。(私は『私本太平記』の方しか読んでいません)。1991年に放映された大河ドラマ『太平記』は、この『私本太平記』をもとにしています。主演(足利尊氏役)は真田広之、正成役は武田鉄矢。この正成役のキャスティングについては逸話があり、当初は高倉健さんを考えていたところ、それではイメージ的にスマートなヒーローになってしまうということで、もっと泥臭いイメージの武田鉄矢さんに決まったとか。良くも悪くも、楠木正成はスマートとはほど遠い奇手、奇策、奇計でもって幕府の大軍を翻弄します。その舞台となったのが出生地である現在の千早赤阪村にのこる赤坂城... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,神社・仏閣,京都

【京都市 2026.2.10】京都東山というと、清水寺や高台寺、八坂神社や二年坂など多数の人気観光スポットが集まる地区の名といまでは思われていますが、そもそもは京の都... Read More | Share it now!

神社・仏閣,大分

【大分県宇佐市 2026.1.19】平城京に都が移されてから半世紀、諸国にそれぞれ僧尼二つの国分寺が建立され、東大寺の大仏が開眼し、唐から来日した鑑真が唐招提寺を創建して戒律をつたえ、奈良仏教が国と強固に結びつこうとしているとき、宇佐八幡宮ご神託事件がおこります。称徳天皇(孝謙天皇と同じ)に寵愛された怪僧(とつたわる)道鏡を、皇位につかせると天下泰平になると宇佐八幡宮(宇佐神宮)にてご神託があったとの上奏があり、そこに端を発する一連の事件をいいます。 まず道鏡が権力をにぎるまでの経緯から。聖武天皇の譲位にともない男子がいなかったことからその娘の阿倍内親王あべないしんのうが孝謙天皇として即位します。女性天皇ということで心許なかったのか、母であり聖武天皇の后である光明皇后(この時点で皇太后)が後見します。この光明皇太后ですが、藤原不比等の娘。藤原不比等ふひとは藤原氏の祖・藤原鎌足(もと中臣鎌足なかとみのかまたり)の息子であり、藤原氏を繁栄させるためにこの世に生まれ出てきたかのような人物ですから、光明皇太后の脳裡にどのような朝廷の将来図があったかは容易に想像できます。案の上というか光明皇太后の甥である藤原仲麻呂が朝廷内で台頭してきます。当初は孝謙天皇との仲は良好で互いに協力し合っていたようです。どちらが先かはわかりませんが、孝謙天皇は母である光明皇太后の健康が芳しくないこともあって退位の意向を示します。一方の藤原仲麻呂は自分の娘を皇太子候補となる大炊王おおいのおおきみと婚姻させて関係を強化し孝謙天皇が譲位した後にそなえます。(娘ではなく、早逝した長男の嫁すなわち後家との説もあります)さて大炊王は践祚せんそし淳仁じゅんにん天皇として即位しますが、これが完全な操り人形、実権は仲麻呂が握ります。 そのころ孝謙天皇(この時点で上皇)は光明皇太后の崩御ののち魂が抜けたかのように病に伏していました。そこに登場するのが病気平癒を祈祷するため参内した道鏡。このとき、ふたりが親密になりすぎて濃密な肉体関係をもち、(さまざまな醜聞をへて江戸時代の川柳では「道鏡に 崩御崩御と 称徳言い」と揶揄されることになるのですが)、これ以後孝謙上皇はすっかり元気を取り戻したようです。私的には、孝謙上皇がいまでいう更年期障害で鬱々とした日々を送っているときに道鏡がよき話し相手になったのではないかと考えていますが、どちらにしろ孝謙上皇が元気になったのは事実です。 さて孝謙上皇が健康を取りもどして外界をよく見れば、淳仁天皇はお飾りに過ぎず藤原仲麻呂が朝廷を取り仕切っているさまに切歯せっしし、反対に仲麻呂としては孝謙上皇が一僧にすぎない道鏡を過度に重んじることに扼腕やくわんし。事態は急速に険悪化し、ついに仲麻呂は軍事力をもって上皇と道鏡を排斥しようと行動を起こします、これが俗にいう藤原仲麻呂の乱ですが、最終的には仲麻呂政権下で冷や飯を喰わされていた吉備真備きびのまきびの活躍もあって、仲麻呂は斬殺され淳仁天皇は廃位のうえ淡路島に追放されます。 こうして対抗勢力を駆逐した孝謙上皇は重祚ちょうそ(いったん退位した天皇がふたたび皇位につく)して称徳天皇となります。天皇の寵愛を一身にうける道鏡の栄達は雲上人の域を越え、太政大臣禅師さらに法王と、昇り詰めるのではなく道鏡のために特別につくられた地位に栄進してゆきます。 宇佐神宮神橋~大鳥居~菱形池 現地にあった案内図より抜粋最上部の「現在地」から神橋をわたり表参道を進みます 神橋から大鳥居へ 大鳥居 菱形池 菱形池に浮かぶかのような能楽堂 宇佐神宮の由緒に触れておきます。飛鳥時代のまえ「古墳時代」としか呼びようのなかった6世紀中ごろのこと、宇佐の菱形池のほとりに八幡神やはたのかみが降り立ち、その地に神を祀るための社が建てられます。記紀(古事記と日本書紀)によると、4世紀から5世紀ごろ三韓征伐をおこなった神功じんぐう皇后が帰途に筑豊あたりで男児を出産します。この男児がのちに応神天皇として国を大いに発展させるのですが、生誕地が近いこともあってか八幡神は応神天皇の神霊であるとされ、八幡神を祀る社は応神天皇を主祭神とする宇佐神宮へと昇格します。(神社が神全般を祀るのにたいして神宮は天皇や皇族の祖先をまつるため格上とされる... Read More | Share it now!

城郭・史跡,福岡,大分

【福岡県北九州市 2026.1.18、大分県中津市 2026.1.22】 いま日本にのこる城の天守閣は、大きく分けると以下の4つのタイプがあります。 現存天守 :... Read More | Share it now!

街歩き・山歩き,城郭・史跡,京都

【滋賀県大津市~京都市 2026.1.2】新年があけて早々に出かけるとなると一般には初詣か初売りになるのでしょうか。しかし年じゅう社寺を歩き回っている私にとっては初詣は蛇足のようなもの、また物欲が枯れてきている身では初売りなんぞまったく興味がない。さらに両者ともに混雑は目に見えており、人混みの苦手な私にとっては苦役にすら思える始末。 ということで本来なら人のすくない山へ登山にゆくのですが、今年は2週間後に心臓のCT検査を控えている身ゆえ無理をするわけにもいかない。ではどうしようかと考えて、昨秋探索した琵琶湖の水運から思案がすすみ琵琶湖疏水を散策しようと決まりました。 途中にあった案内板(琵琶湖疏水ウォーキングマップ)より抜粋 大津・第一疏水 第一疏水取水口琵琶湖の水を疏水にひきこむ取水口ここが琵琶湖疏水の起点になります 第一疏水取水口... Read More | Share it now!