葛城山の東麓に沿って、古道をあるいて古社古刹をめぐる
【奈良県・御所市 2026.5.26】
奈良の社寺を訪ねるとき、春日大社や東大寺、あるいは斑鳩の法隆寺などであれば参考資料は五万とあります。
それら超有名な社寺でなくても、大神神社、當麻寺くらいであれば、いまの時代はその社寺名でネット検索すればこれまたテンコ盛りで情報がみつかります。
ところがそれ以前の問題として、奈良県のどこに行けばどのような興味深い社寺があるのかを調べたいときには、ふと動きが止まってしまいます。チャットAIで質問するのもひとつの手なのでしょうが、AIはひろく世間一般の情報を集積したうえでそれらを解析し回答してくれるのであって、自分よりもさらに社寺巡りの経験が豊富で歴史探訪に熱意を注いできた人の意見を訊きたい。
そんなときには山折哲雄氏監修・槇野修氏著の『奈良の社寺150を歩く』を参考にしています。
大和葛城山の東麓の葛城古道はなんども歩いたことがあります。古道沿いにも古道からすこし山へと分け入ったところにも古社古刹があります。
古代にこの地でさかえた豪族・鴨氏と葛城氏。両氏とも葛城山と金剛山の麓にひろがる高天原あたりに住んでいたというのですからまるで古代神話の神様の子孫。鴨氏がヤマト王朝のさらに以前の古代王朝で祭祀をつかさどり、葛城氏がその軍事力と経済力で鴨氏を支えたということで、なんとも起源は古い。
寺にしても今日たずねる予定の九品寺は行基上人が開祖、行基上人といえば奈良の(東大寺)大仏の建立にもたずさわった高僧で、これまた由緒ただしい。
そんな知識をもとに葛城古道に沿って、古社古刹を歩いてみたいと思います。
鴨都波神社(かもつばじんじゃ)

全国に3万社あるといわれる賀茂神社(加茂神社、鴨神社)の総元締め的な存在が京都の上賀茂神社と下鴨神社ですが、さらにその大元があとで訪れる高鴨神社(上鴨社)であり、この鴨都波神社は同格の下鴨社とされています。
主祭神は事代主神。いわゆる国譲りの話のなかで、父である大国主神にかわって地上界を高天原の神々にゆずることを決断した神様。
たんに大国主神の子神というだけでなく、大国主神にかわって決断したことから神の意思を伝える神(託宣の神)とされ、同時に恵比寿と同一視されることから大阪の今宮戎では「えべっさん」として絶大な人気があります。


鴨山口神社(かもやまぐちじんじゃ)



鴨山口神社の御祭神は大山祇神、山の神様の大親分といって悪ければ総元締め。
いまは葛城山の入口(山の口)に鎮座していますが、もとは西方の山の上にあったそうで、洪水で流されこの地に移っってきたと記録にあるそうです。
六地蔵石仏についても、やはり洪水で流されてきてこの場所にどっしり腰を据えたため、災害から守られるように岩面に六体の地蔵を掘ったのだとか。
駒形大重神社(こまがたおおしげじんじゃ)

葛城古道はこの山並みを右に見ながら歩きます




駒形大重神社は、駒形神社と大重神社が合祀されたもの。
駒形神社が木股(このまた)と伝承される地主神を祀るのに対して、大重神社の祭神は葛城稚犬養網田。この名を聞いただけでピンときた方は歴史ファンというより歴史学者のレベルでしょう。
大化の改新は中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌足(藤原家の祖)が謀って蘇我入鹿を暗殺することから始まりますが、その入鹿暗殺の刺客に指名されたのが葛城稚犬養網田だそうです。
ここでひとつ分かることは、大重神社の創建には天智天皇なり藤原家がかかわっていたに違いない。なんといっても彼らにとっては大化の改新を進めるうえで先鞭をつけてくれた功労者、神として祀るくらいはお安いこと、と思ったか?
九品寺(くほんじ)




さらに背後にまわると、樹林の間隙から葛城山が見えた

九品寺本堂裏から千躰石仏へと裏山を上がる際に見られる光景 ー 写真のタイトルは葛城の甍(いらか)
九品寺の寺名は、仏教の経典『観無量寿経』に説かれる九品往生に由来し、人が亡くなったのち極楽浄土で生まれ変わる際に、大きく上品・中品・下品、さらにそれぞれが上生・中生・下生と九つの段階に分かれるのだとか。
これに当てはめれば、私なんぞはせいぜい下品の中生あたりでしょう。
九品寺は浄土宗派だそうですが、どちらにしろ仏教徒でなくてよかった。神道では、極楽浄土とか天国なんて考えはおまへんねん。
葛城一言主神社(かつらぎひとことぬしじんじゃ)


祭神は一言主大神、願いを一言で端的に言えば聞いてもらえる。

『奈良の寺社150を歩く』には一言主大神のことを、なんとも気の毒な神さまと解説しています。
『古事記』によると雄略天皇が葛城山で狩りをしていたとき神があらわれ、「吾は悪事も一言、善事も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と告げられたので、天皇はかしこまって太刀や弓矢を奉納します。
『日本書紀』では天皇と一言主大神が対等な立場になり一緒に狩りを楽しんだと描き方が変わっています。
さらに『続日本記』では一言主大神が(畏れおおくも)狩りにおいて天皇と獲物を競ったため土佐に流されたとされます。
さらにさらに『日本霊異記』では、一言主大神は役行者から吉野山と葛城山をむすぶ橋を架けろと命じられたものの、自分の顔が醜いことを恥じた神は(闇で顔が見えない)夜しか働かないなめ作業がはかどらず、ついに怒った役行者によって谷底に落とされたと。
この一言主大神を描くうえでの時代に合わせた変化を、葛城山麓を拠点とした豪族に崇敬されたものの、その豪族が衰退し、さらに仏教の伝播で仏への信仰が強くなっていったことの表れだろうと解説しているのには納得しきりでした。
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)、高天原(たかまがはら)







高天原とは古事記によればアマテラスをはじめとした天津神がくらす天上界の地。
ここから地上界(葦原中国)へ神が降臨し、そこにくらす国津神をしたがえて人(この場合は大和民族)が暮らす世界ができあがったとされています。
ですから高天原が日本列島の、しかもこれほど身近なところにあるはずがないのですが、天の岩戸の候補地すら全国津々浦々にあるのですから、ここは大目に見ましょう。
高鴨神社(たかがもじんじゃ)



このあたりは鴨氏の発祥の地らしく、弥生時代中期に鴨氏の一部が最初に訪ねた鴨都波神社あたりに移り住んだことから、先につくられたここ高鴨神社を上鴨社、あとからつくられた鴨都波神社を下鴨社と呼ぶようです。
祭神はやはり大国主神の息子である阿遅鉏高日子根神、農耕の神様。
ところで高鴨神社も鴨都波神社も共に主祭神は大国主神の息子であり、大国主神は天津神ではなく国津神の代表のような神様です。すなわち考えようによっては我々日本人の直接の先祖。鴨氏が神様にかぎりなく近い大和人であることを考えると納得できます。
葛城古道にかぎらず葛城山東麓の道はのんびり散歩するには最適です。古社古刹巡りのような目的をもって歩くならば散歩が散策になり楽しみは一段と増します。
さらに古代の神々のことを多少なりとも知っていれば、散策が歴史探訪にまで膨らみます。
ひとつ注意しておきたいのは、御所駅前の観光案内所でマップをもらってそれを見ながら歩いてください。
スマホのGoogle Mapを頼りに歩くと、古道に並行してはしる県道30号線に誘導され、道幅は狭い歩道はないのに信号が少ないかからかあきらかに速度超過の車に肝を冷やしながら歩くハメになります。
【アクセス】近鉄御所駅~鴨都波神社~鴨山口神社~駒形大重神社~九品寺~葛城一言主神社~高天彦神社~伝・高天原~高鴨神社~JR北宇智駅 / 29000歩
【料金】すべて無料
【満足度】★★★★☆






