永平寺をたずねて、ただひたすら坐禅するとは何かを考える

【福井県・永平寺町 2026.10.28】

もし永平寺をたずねる前に参考資料としてなにか一冊だけ本を読んでみようというのであれば、野々村馨氏の「食う寝る坐る 永平寺修行記」をおすすめします。
野々村氏は30歳のときに仕事をやめて出家し永平寺での修行に専心します。そしてちょうど一年後に乞暇(こうか:修行を終えて一般社会=娑婆にもどる)します。
修業期間は1年だけですが、永平寺および座禅を知るための参考資料として読むには1年だけだからこそ良い、著者はいうまでもなく修行に(本書をよめば、まさに命懸けで)専心しているのですが、本を書く上での視点は曹洞宗の宗徒でも永平寺の僧でもなく、娑婆で生きる一般人のものゆえ我が身におきかえて体感できます。

曹洞宗の開祖・道元の説いた教えの基本は「只管打坐:しかんたざ」
悟りの境地に達するとか、そこまではいかなくても心の平穏を得たいとか、そういった目的(言い換えると、下心)をもって坐禅するのではなく、正しい姿勢でただひたすら坐禅する。ただ坐ることがそもそも悟りの実践なのだと説きます。
さらに食べるのも寝るのも、食事をつくるのも掃除をするのも、すべて坐禅とおなじでただひたすらそれに専念する。ただひたすらそれらに専念することがそのまま悟りの実践になる。

言葉としては理解できるのですが、いざ実践してみようとするとどうにも腑に落ちません。
たとえば掃除。懸命に掃除をすることで悟りをひらきたいなんていう下心はまったくなくても、きれいにしたいという願望はある、よりきれいにするためにはどうすればよいか知恵を出そうともする、ところがそれらは「只管打坐」の教えからは逸脱してしまう、ましてやいかに効率よく掃除するかを考えたりすると完全にアウト。
この時点で理解不能の状態におちいってしまい、そこで手に取ったのが冒頭にのべた本でした。

永平寺・正門~通用門

正門
さきに通用門前にあった境内図をアップします。ここには示されていない正門から左下の通用門まで歩きます。
正門から通用門へ
両側の石垣は苔むし、さらに苔むした石台のうえに石仏がたつ
手水舎
手を差し出すと龍の口から水が流れ出る。
おもわず公衆トイレの蛇口を連想してしまった自分を反省して通用口へ。

通用門~傘松閣

通用門から入って祠堂殿をみる
傘松閣の釘隠しと天井画
古いものではないのでざっと

大阪市内の自宅から1.5kmほど離れたにぎやかな駅ビルに週3,4回通うフィットネスジムがあります。
途中に桜並木が道の両側につづく半公園化された場所があるのですが、本来なら心地よいはずの道がゴミのポイ捨てがひどくてひどくてとにかく汚い。どれくらい汚いかというと、全国あちこち歩き回っている私でも大阪市ほどポイ捨てのひどい街はなかろうと呆れる、その大阪市の汚さを代表するような場所です。
そこを毎週3,4回、しかも歩いて往復するのですからときに我慢できなくなって自分でゴミ拾いに出向きます。
俗念と俗心のかたまりのような私ですから、社会奉仕として清掃をするなんて意識は毛頭ありません。あくまで自分が心地よく自宅とジムを往復できることを目的として、言い換えるなら自分がきもちよく生活したいという下心をもって、と表現してもかまいません。

猛暑のころに曹洞宗の禅に興味をもって幾冊かの本を読みました。
(※曹洞宗の禅は只管打坐・ただひたすら座る。臨済宗の禅は禅問答でしられる公案禅)
股関節がかたいので坐禅はムリだと思っていたところ、ただひたすら掃除をするのも悟りの実践と目から鱗が落ちるようなことが書かれていました。
ただひたすら掃除をするといっても、自宅とジムのあいだの並木道だけでは毎日やるには距離的にも短すぎる。そこで自宅周辺に5つの歩くコースを設定して、ローテで回ってゆくことにしました。なにしろ昼間は酷暑にちかい猛暑の日々、それゆえスタートは夜10時を過ぎてから、1時間の予定が案の定?あまりのポイ捨てのひどさに1時間半からときには2時間弱。

僧堂~仏殿~承陽殿

東司(便所)のまえを通り、階段をあがって僧堂から仏殿にむかいます。
これが拝観者が上がる階段 / 毎年毎日ただひたすら拭き掃除するだけあってピカピカのツルツル。
僧堂から仏殿をみる
廊下もピカピカのツルツル
仏殿から中雀門、その先の山門をみる
承陽門
承陽殿 / 軒下の装飾

永平寺は境内の庭や石階段など、いわゆる「外」を自由に歩くことはできません。
通用門~吉祥閣~傘松閣さらに東司へと進み、そこからは基本的に右回りにまわるよう指示されています。
またすべての場所で外には出られないので思い通りの位置から写真を撮ることもかないません。

法堂~仏殿~庫院~山門~祠堂殿

法堂内
法堂へつづく長い階段
右に仏殿
庫院
山門から僧堂(左)、中雀門(右)をみる
山門を守る四天王 / 多門天(東の左)と持国天(東の右)
山門から舎利殿をみる
祠堂殿内

大阪市内で道路を歩くと先ず目につくのがポイ捨てされたタバコの吸い殻の多さ。なかには路面のブロックとブロックの隙間に食い込んだものあり、これらをひとつひとつゴミばさみで拾っているといっこうに前にすすめない。
ところで、驚くなかれ、大阪市内は全域が路上喫煙禁止‼
なんで路上喫煙禁止地区でこれほど吸い殻のポイ捨てがあるんや⁉と怒るのも「只管打坐」の教えからするとアウト。
路上喫煙禁止ならそれ自体の取り締まりを厳しくすればポイ捨ても必然的に減るだろうと思うのも、提言しようと考えるのもアウト。

ペットボトル、空き缶、スナック菓子やアイスクリームの空き袋、お握りやパンの包装袋などはあたりまえ。総菜の空パックと割り箸、ヨーグルトの容器とプラスプーンとなると、道路を歩きながら食べたんかいと首をかしげてしまいます。
首をかしげるというなら、首筋が痛くなるほどに首をかしげてしまうものも道端に捨てられています。
なにに使ったのか使途不明な注●器、なにに使ったのか使途明確なコン●ーム。
これらのゴミは街中にゴミ箱がないのですから、いったん持ちかえり自宅のゴミと一緒に指定の日に捨てるしかありません。なにが悲しくてこんな得体のしれんものを自宅に持ち帰らねばならんのや、と怒ってもアウト。

さらには大容量のゴミ袋に詰めた家庭ごみ一式が空き地に捨てられている – – ここまで捨てにくる時間と体力があるなら指定日に指定場所に捨てろやと胸のうちで罵声をあげてもアウト。
(すべて壊れたのであろう)電子レンジ、扇風機、炊飯器、電気ポット、車のバッテリーなどなどが空き地や歩道脇の植え込みなどに捨てられています。これらはすべて所定の料金をはらって領収書代わりのシールをもらったうえで役所(の指定先)に連絡して回収に来てもらわねばなりません – – 当事者としては言葉もないのですが、ただひたすらに掃除をするのでなければアウト。
大きいところでは自転車、手押し車、古タイヤ、姿見(鏡)、ベッドのマットレス – – こんなことやってられるかと1か月ほどでやめました。

唐門~舎利殿

外に出てから見た唐門(勅使門)
これより先には入れません
外から見た舎利殿
これ以上は近づけません
参道に立ちならぶ樹齢700年越えの杉

冒頭でのべた野々村氏の本には、掃除に関してこのような記述があります。
「- – – 永平寺の清掃のすばらしいところは、このように特別な日を作らず、特別な場所を作らず、毎日毎日汚れていても汚れていなくても、とにかくがむしゃらに行い続けることである。」
「- – – ようするに草取り作務には、手っ取りばやく全山の草を一掃しようという焦あせりはない。草が生い、人が摘む。人が摘み、草が生う。一掃されることよりも、コツコツと繰り返し繰り返し行われるところに、その存在の必然性を見い出している。」

言わんとするところはよくわかりました。読んでみて感動もしました。
だからと言って股関節のかたい私には坐禅ができないように、ただひたすら掃除することもできそうにありません。

【アクセス】レンタカーにて
【拝観料】700円
【満足度】★★★★☆