榛名神社の神様は、生まれた事情が奇であり怪であり
【群馬県・高崎市 2026.5.14】
榛名神社の由来といえば、紀元6世紀ごろ用明天皇の時代に祭祀の場が創建されたのが始まりとされています。
用明天皇ときいてもピンとこなければ、聖徳太子の父(太子は第二皇子)と聞けばなんとなくその時代に思いがいたるのではないでしょうか。
もっとも、これは今はどうでもよろしい。
榛名神社の公式サイトによれば、延長5年(927年)にまとめられた延喜式神名帳には、すでに榛名神社が記載されているそうです。延喜式神名帳とは朝廷から官社としてみとめられた神社名を列記した記録で、ここに記載されると「式内社」と称され由緒正しく格式の高い神社とのお墨付きをもらったことになります。
もっとも、これもいまはどうでもよろしい。
中世には神仏習合の影響から僧侶が神社の祭祀も執り行うようになり、最高位は宮司ではなく座主となります。
榛名神社ではその座主が一山をまるまる支配していたそうで、関白・藤原道長の子孫が代々受け継いだそうです。
もっとも、これもいまはどうでもよろしい。
鎌倉、室町時代あたりから朝廷の力が弱くなり慢性的な金欠に悩まされることになり、神社仏閣が衰退していきます。そこは榛名神社も例外ではありませんでした。
江戸時代になって天海僧正が復興させたと伝えられています。
これも今はどうでもいいのですが、天海僧正といえば家康のブレーンであり山王神道を全国区に押し上げ(いまでは山王一実神道として区別されている)東照宮の絢爛たる社の建立に携わってきた人物、それを頭のすみにでも置いておけば榛名神社のところどころに見られる派手派手しい装飾を違和感なく楽しめるかもしれません。
さて榛名神社の主祭神ですが、火の神である火之迦具土神(古事記による。日本書紀では火産霊神)と、土の神である波邇夜須毘賣神(古事記による。日本書紀では埴山姫)の2柱。
火の神を祀るのはご利益として防火・鎮火。また火をあつかう鍛冶、陶芸、調理などに関係した人々から慕われてきました。
土の神については、ご利益は五穀豊穣や土地の安全。そこから農業や土木建築関係の人々に尊ばれてきました。
同時に、鍛冶屋が火を使って農業や土木建築の道具をつくる、調理に必要な竈は土と火でつくる、などと考えると火の神と土の神がいっしょに祀られるのはごく自然なことで、榛名神社にカグツチ(火之迦具土神)とハニヤス(波邇夜須毘賣神)が対のように祀られていることに違和感はありません。
ところが、古事記なり日本書紀なりでカグツチとハニヤスの生まれた事情を詳しく読んだならば、思わずのけ反りそうになります。
大鳥居から二ノ鳥居


社寺の参道に蕎麦屋が多いのは、もともと蕎麦が(僧侶の)精進料理だったことによります。
神職は肉食を戒められてはいませんが、いまでも祭祀のまえには肉食をさけ精進料理を食べるようです。
ぜんざい屋が多いのは、出雲大社の神在祭で小豆を煮て餅を入れたお供え物が参詣者にふるまわれたのが起源だとか。
ただし、「神在かみあり」を「神在じんざい」と読み、それがなまって「ぜんざい」となったといわれると、なにやら創作っぽく思えます。
創作といえば織田作之助の小説「夫婦善哉」は大正から昭和初期の大阪の下町を舞台にした夫婦の人情噺ですが、作中にその通りの名のぜんざい屋が登場します。
このぜんざい屋はいまも法善寺の参道(法善寺横丁)で営業しています。

カグツチとハニヤスが生まれた経緯について。
両親は伊弉諾(イザナギ)と伊弉冉(イザナミ)、国産みと神産みを担った夫婦神です。
古事記によると、2神は本州、九州 – – 対馬、佐渡 – -と 国産みを仕上げると、つぎに自然をつかさどる35柱の神々(山の神、風の神など)を産みます。ところがイザナミが火の神・カグツチを産んだところで、カグツチが放つ焦熱によりイザナミは陰部(いにしえの表現でいうホト)を焼かれその大火傷がもとで死んでしまいます。
イザナミはその亡くなる際に、苦しみ悶えながら嘔吐し、その吐瀉物からカナヤマヒコ、カナヤマヒメという鉱山(金属)の神が生まれ、漏らした尿からは水の神と穀物の神が生まれます。
さて吐瀉、尿とくれば、次はウ〇コ。
カグツチはみずからが放つ熱で母イザナミを死なせてしまい、ハニヤスはイザナミが悶え苦しみながら垂れ流した大便から生まれたという話。これは古事記にはっきりと書かれています。
さらに続きがあります。父イザナギはカグツチを産むさいの大火傷でイザナミが亡くなってしまったことに激怒し、みずから十拳剣を振るい我が子を斬首します。
古事記のとくに神代を伝えるあたりは完全な創作であることは承知しています。
しかしなぜ、どのような理由でこれほど<えげつない>物語を創作したのか。なんらかの必要があったのでなければ、ここまで<えげつない>展開にはしないでしょう。
随神門から歩く

寺院の仁王門にあたる門、仁王ではなく随神が守る





ところでイザナギが十拳剣でカグツチの首を斬ったさいに、剣の柄、剣の刃、剣の切っ先についた血からそれぞれ神が生まれます。なかでも著名なのは建御雷之男神(タケミカヅチ)でしょう。ブログ「諏訪大社の誇り・なぜ喧嘩に負けた神様が祀られているのか」に書いた建御名方神(タケミナカタ)を喧嘩で負かした武神であり雷神であり、鹿島神社や春日大社に第一神として祀られています。
ところで、祀られている場所は今はどうでもよいのですが、ここで気になることがあります。
タケミカヅチは誰の子なのでしょうか。
カグツチはすでに生まれ出ているのですから、タケミカヅチとカグツチの母イザナミとの間には直接的なつながりが見当たりません。
イザナギは剣を振るってカグツチを斬首しましたが、十拳剣とは拳を横に十個ならべた長さの剣というだけで何らかの神霊をおびているものではありません。ですからイザナギからの分霊とも考えがたい。
となると、リアルに血。
カグツチの血から生まれたのですから、ここはタケミカヅチはカグツチの子と考えるのがもっとも腑に落ちます。
すなわちカグツチはオギャー(と泣いたかどうかは記述がありませんが)生まれたときから子をなすことができたということです。
生まれたばかりの神がすぐに子をなすはずがないとか、男神から子が生まれるはずがないとか真摯に考えてはいけません。ここは神代の世界です。わたしたち人間の常識をこえた存在であってこその神。
私たち人間(ここでは日本人)がすべきことは、神代の物語をあたまから否定するのではなく、かといって盲目的に信じるのでもなく、どのような意図があってこれほど非常識な、ときには<えげつない>物語をつくったのかと考察してゆくことです。
※とは書きましたが、じつは私自身がそれほど高邁な考えのもとに古事記を読んでいるのではなく、あまりにも荒唐無稽な話がおかしくておかしくて愛読し、とくに興味をひかれた話には世間の常識から少々はずれ気味の私なりに推理し解釈しているに過ぎません。
ところでカグツチの死体(頭、胸、腹、性器、右手、左手、右足、左足)からは8柱の山の神が生まれたとされています。
古代には富士山ですらたびたび噴火していました。火の神カグツチはみずからイザナミの陰部を焼くほどの焦熱をもっているのですから火山(しかも活火山)と同一に考えられたかもしれません。
するとカグツチの身体から噴出した血は溶岩であり、溶岩が積もれば新たな山ができます。
このように推理をすすめてゆくと、(世間の常識から少々はずれた)私には物語の全体がずいぶんすっきりと見えます。
三重塔から神橋

神仏習合の名残で三重塔がありますが、いまは神宝殿としてつかわれています。

蟇股はほんらい上層を支えるための建築部材ですが、ここではもっぱら装飾用に付けられています。


イザナギとイザナミにはその後の話があります。
これはまた別のブログ「熊野三山の謎・なぜ不吉なカラスが神使なのか」のなかで詳しく書いたので端折って言いますと。
イザナギは寂しくてたまらず黄泉の国までイザナミを連れ戻しにゆきます。
イザナミは地上界に戻ってよいか神々に相談してくるので決してこの場を動かず待つよう告げてその場をはなれます。ところが寂しくてたまらないイザナギは待つことに耐えられずイザナミを探しにゆきます。
ところがそのときイザナギが目にしたものは、肉体が腐敗し蛆虫がわいたイザナミのあまりにも醜い姿でした。
イザナギは一目散に逃げ出します。イザナミはイザナギが約束を守らずそれがために自分の醜い姿を見られたことに対する羞恥と怒りから追いかけます。
イザナギは黄泉の国からの坂道に巨岩をおいて塞ぎ、追うことをあきらめたイザナミにむかって離縁を申し渡して逃げ帰ります。
無事に現世に逃げて帰ったイザナギは、そこでさっそく黄泉の国の穢れを落とすため裸になって身を清めます。これが禊の原形なのですが、イザナギが禊をした際には、服や身体からたくさんの神々が生まれます。ここで生まれた神はなかなか味のある設定で、災厄や禍をもたらす神がいるかと思えばその災厄や禍を正す神もいるという具合。
これらの神々は「穢れと禊」の中から生まれた神というべきでしょう。
そして穢れを落とし、さいごにイザナギが顔を洗ったさいには、日本神話のなかでもっとも尊いとされる三貴神が生まれます。
左目を洗うと太陽をつかさどるアマテラス(天照大御神)、右目を洗うとツクヨミ(月読命)、鼻を洗うとスサノオ(素戔嗚尊)という具合です。
ここで注目していただきたいのは、三貴神は「穢れと禊」の過程で生まれたのではなく、穢れをすべて払拭しあらためて顔を洗ったさいに生まれたことになっています。しかもイザナギの左目、右目、鼻から生まれたのではなく、「それぞれを洗ったときに生まれた」ということです。
アマテラスは天皇家のルーツとされてきました。
それではアマテラスは誰の子なのか? はっきりしませんが、もしかするとはっきりさせないところがミソなのかもしれません。なぜかといえば、神代の世界は荒唐無稽、神話の神々は非常識があたりまえ、そんななかで天皇家のルーツを定めてしまうと、朝廷から大目玉を喰らったことでしょう。
神門、双龍門





古事記にはアマテラスとスサノオについても気になる記述があります。
スサノオは生まれながらに粗暴な性格でした。しかも海や嵐をつかさどる神でありながら務めを何もしない。
スサノオに邪心があるのではないかと疑念をだいた姉アマテラスは、スサノオの正しい心を証明させるために「誓約」をおこなうことにします。
誓約とは一種の神判です。
まずアマテラスがスサノオが腰に佩いている十拳剣を三つに追って口に入れて噛み砕き、息を吐きだすと3柱の女神が生まれます。
つぎにスサノオがアマテラスの髪や手首をかざる勾玉を五つ受け取り、それぞれ口に入れて噛み砕き息を吐きだすと5柱の男神が生まれます。
アマテラスは言います、わたしの5つの勾玉から生まれた5柱の男神は私のもの、あなたの3つに折った剣から生まれた女神は貴男のもの。
スサノオは言います、私の剣から生まれたのはみんな女神であり、それは私の心が優しく清らかなことを示しています、だから私には邪心などないことがこれで証明されたはずです。
(この誓約のあともスサノオの乱暴狼藉はおさまらず、愛想をつかしたアマテラスが天の岩戸に隠れてしまうのですが、それは別の話)
ここで注目すべきは、スサノオの剣を噛み砕いて吐き出した息から生まれのがスサノオの子であって、その息を吐いたのが誰か(この場合はアマテラス)は重視されていないこと。
すなわちイザナギが剣を振るってカグツチを斬首したのはこの場合の息を吐くのと同じで、剣から滴る血から生まれた神々はすべてカグツチの子と考えてよいとあらためて裏付けしてくれます。
もうひとつ、この物語を最初に読んだときから気になったことがあります、なぜ弟の持ちものを姉が口に入れて噛み砕き、姉の持ちものを弟が口に入れて噛み砕き、そこから男女の神々が生まれるという一見猥雑な描写をしたのか。
わたしが瞬間的に思ったのは姉弟の近親相姦。
これはさすがに突拍子もない発想かと我ながら腕組みしたのですが、どうやら同じように考える先達がいるようで、誓約があるのだからこそ近親相姦ではないとの反論まであるそうです。
しかしこの反論は弱すぎます。のちの世に近親相姦などと不敬なことを邪推されたくないのであれば、はじめからこんなややこしい神判の話を挿入しなければよいのであって、わざわざ書いたのはそこになにか意図するものがあったからでしょう。
本殿、御姿岩




カグツチはイザナギとイザナミが神産みをおこなう過程で生まれたのですから夫婦神の子であると断定して問題ないでしょう。
タケミカヅチはカグツチの子であるという推論は(私の独断では)正しいとします。
ではハニヤスは誰の子か、これが分かれば古事記にかかれたこの物語の奇も怪もすべて払拭されるはずです。
いくつか推理の根拠となる事項を並べてみます。
〇なぜカグツチを産むことでイザナギは焦熱に焼かれて死んでしまうのか。
(まるで業火に焼かれたかのようです)
〇なぜイザナギは我が子カグツチをみずからの手で斬首したのか。
(難産で妻が亡くなったからといって生まれてきた子を殺す父親がいるでしょうか)
〇なぜイザナミはカグツチを産むことで悶え苦しみ、死んだのちも黄泉の国へいって醜い姿をさらすことになるのか。
(あきらかに厳しい罰を受けている印象があります)
〇なぜイザナギがイザナミに離縁をつたえる場面がわざわざ描かれるのか、なぜ禊をおえたイザナギがあらためて顔を清めるときに三貴神が生まれたのか。
(あえて三貴神がカグツチの誕生とそれにまつわる惨劇とは無縁と強調したかったのか)
〇なお、アマテラスとスサノオの誓約の物語が姉弟の近親相姦を暗示していると推理する根拠は、古代の朝廷では濃い血のつながりは高貴とする信仰めいた考えがあり、おじ姪、おば甥、いとこ同士くらいの婚姻はすくなからずありました。
以上のことを念頭に、さらに古事記を書いた人物が希代の物書きだったか、複数の人が編んだのであれば彼らが奔放な語り部集団であったのだろうと推理をすすめます。
すると出てきた答えは、イザナミとカグツチの母子相姦の結果としてハニヤスは生まれたと結論できます。
なぜ大便なのかといえば、いま高齢者とよばれる年代の方は幼少時に肥溜めとか野壺とよばれたものが多数あったのをご記憶でしょうが、むかしは大便は貴重な肥料でした。土の神というよりも、ウ〇コから生まれた神様だからこそ五穀豊穣の神になりえたわけです。
以上は、すこしばかり常識からはずれた私個人の推論です。
わたしよりも常識的に思考できる方は、ぜひ常識的に推論してみてください。

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