五色塚古墳は全国で40番目に大きい、これはなかなかスゴイ

【兵庫県・神戸市 2026.8.11】

今日の大阪周辺の最高気温は30度からせいぜい32度、しかも天気は晴れ。これは久しぶりに山登りに行こうかと昨夜までは考えていたのですが、朝起きてみると東日本を通過する台風(すでに熱帯低気圧?)の影響で風が強い。平地でこれだけ強ければ – – どれくらい強いかと言えば 道行く人が日傘を差して歩くのに難儀している – – 山の上しかも風が吹き抜けるところだと突風に煽られる恐れもあるため予定変更。

そこで神戸市の西南の端、垂水区にある五色塚古墳を訪ねることにしました。
対象がいきなり山から古墳に変わるのも奇な話でしょうが、前回(2週間前に)歩いたのが大阪の古市古墳群で歴史に名をのこす大王(天皇)・皇族の陵墓(古墳)を見てまわったので、つぎはその古墳がつくられる造作の過程を見たいとおもい、規模と見た目めの華やかさも加えてチェックしていたものです。
すなわち今日の古墳見物は外観をみるのではなく、どのようにつくられていたかを観察することになります。

五色塚古墳

JR垂水駅から徒歩10分、住宅街のなかに突然現われる

天皇、皇后、皇太后、太皇太后の墓を「みささぎ」とよび、親王、内親王などそのほかの皇族の墓を「墓」と呼ぶことは前回書きました。また全国の皇族の陵墓は宮内庁の管轄下にあり一般の人は立ち入りできないことも書きました。
くわえて発掘調査もおいそれとは許可されません。

ですから丸裸にして発掘調査のあと立ち入り自由になっているここ五色塚古墳は当然こと天皇・皇族の陵墓ではありません。

いま見ているのは前方後円墳の、「後円」部。
左回りにまわって違う角度から撮影。

では誰を埋葬しているのかと言えば、この地をおさめる豪族の王、と推測されています。(こういった各地の豪族の王を束ねる長が大王おおきみで、のちに天皇と呼ばれることになります)

唐突ですが、「源氏物語」のなかで光源氏が帝の愛でる女性に手を出して謹慎処分をうけ左遷されるのがこの辺り。
光源氏は明石入道なる人物の娘(明石の君)を妻とし、ふたりの間に生まれた娘が皇后になって源氏の栄華を招くことになるのですから、(源氏物語が創作話とはいえ)昔からこの辺りはそこそこ拓けた土地だったのでしょう。

資料館にあった航空写真(ドローン?)

わかりやすいように最後に寄った資料館に展示されていた写真を掲載します。

住宅地を抜けて右上横(後円部の右側)で古墳に出合い、上縁を左回りにまわって左側前方部との接合点あたりから上にあがりました。
前方後円墳の左に草の茂った緑の円墳がありますが、これは小壺古墳です。

古墳に上がってみる

航空写真でいうと左下、前方部の左側先端まであるいて前方部をのぞむように撮影しました
後円部(左)と前方部(右)の接合点あたりを登れるように階段がつけられている。

雨風によって古墳が崩れることがないように盛り上げた土の表面を葺石(ふきいし)で覆います。

そのあとで石の上から化粧をほどこすように土をかぶせ仕上げます。
(周囲に濠を掘った残土を古墳づくりに使っていることを体験的に学べるようにした、資料館にある展示物)

階段を上がってきました
前方部の先端から後円部をみる。
前方後円墳については、いま立っている前方部が祭祀を行う場、後円は埋葬する墓所とされています。
前方部、後円部ともに周囲にならぶ円筒埴輪(レプリカ)
発掘調査の結果、実際にこれほどの数の円筒埴輪が並べられていたそうです。
資料館にならぶ発掘された円筒埴輪の実物
後円部の上から前方部方向をみる。
右に見えるのが瀬戸大橋のなかの明石海峡大橋
後円部上から前方部をみる。
この地理的条件から推して、明石海峡を中心とした瀬戸内海の開運をにぎる豪族がこのあたり一帯をおさめていた、そのため富も力もある有数のものであったためこれほど大きな前方後円墳をつくれたのであろうと推測されます。

古墳を形で分別すると、大きく方墳、円墳、前方後方墳、前方後円墳に分けられます。
年代的にはこれと同じ順で造られるようになったと考えられます。そして前方後円墳がもっとも格式が高く、そもそもはヤマト王権(のちの大和朝廷)の大王おおきみのためにつくられたもの。その後ヤマト王権(または大和朝廷)と関係のふかい豪族の王が模倣して(見習って?)造りはじめたようです。

墳墓は弥生時代の終わりごろから単なる埋葬地からその埋葬者の力を誇示するための象徴に変わってゆきます。
また造られる場所も、五色塚古墳がそうであるように海をゆく船からも見えるように海岸近くにつくられることが多々あったようです。
形は先にも書いたように前方後円墳がもっとも格上、さらに大きさもどんどん大きくなってゆきます。
もっとも大きなものが、現在の大阪・堺市にある仁徳天皇陵とされる大仙陵古墳、2番目3番目も大阪にある天皇陵ですが、4番目は現在の岡山市にある造山古墳(吉備国の豪族の王)のものです。

この古墳がどんどん大きくなっていく時代を歴史上は古墳時代と呼びますが、そののち飛鳥時代に入るころから古墳は急速に小型化してゆきます。
さきに書いた日本一大きな大仙古墳の場合、大手ゼネコンの計算では15年8か月の期間、のべ680万人の人手、約796億円の費用が掛かるとか。
小型化していった理由は、力を誇示するのであれ功績を称えるのであれ、これほど膨大な投資は行えないと考えたのでしょう、もっともです。

五色塚古墳の全長は194m、兵庫県で1番、全国でも40番目に大きな古墳だそうです。
この墳墓の埋葬者、やはりただものではありません。

五色塚古墳の脇にある小壺古墳
五色塚古墳の脇にあるので倍塚(主墳の親族や家臣を埋葬している)と思ったのですが、はっきりしたことは分かっていないそうです。

【アクセス】JR垂水駅、山陽電鉄・垂水駅から徒歩10分
【料金】古墳、資料館とも入場無料 / ちかくに無料駐車場もあります
【満足度】★★★★☆