初冬の飯盛山をハイキング
【大阪府・四条畷市~大東市 2022.12.12】
三好長慶という武将がいます。戦国時代は下克上の時代だったといえますが、その視点から見れば、戦国時代はこの三好長慶の登場時点から始まると言えるのではないでしょうか。
室町幕府の将軍・足利家は時とともに力を弱めしだいにお飾り的な存在となってゆき、代わりに管領(かんれい)が将軍補佐役の立場をこえてみずから権勢をふるうようになります。細川晴元は12代将軍・足利義晴、13代将軍・義輝を補佐する管領でしたが、京の西南部をぐるり囲む摂津、山城、丹波3国と、さらに四国の阿波、土佐2国、計5国の守護をつとめる大名であると同時に、34代管領として当時の日本の実質ナンバーワンの存在でした。
三好長慶はその細川家が守護をつとめる阿波国の、さらにその一部を守護代として管理する家系に生まれますが、細川家がごたごたする隙に、本願寺を味方につけたり敵対したり、あの手この手で勢力を拡大し、ついには細川家から実権をうばい、さらに和泉、河内、播磨、淡路、讃岐などを支配下におきます。
織田信長に先んじて、「最初の天下人」と呼ばれるのはこのためですが、晩年はなんらかの精神の病を患ったようで、松永久秀と三好三人衆に実権をうばわれさびしく世を去っています。
今日はその三好長慶が全盛を誇っていたころに築城した、飯盛山城をたずねてみたいと思います。
紫色のマークが今回訪れた場所です。
四条畷神社
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ここは飯盛山の麓に鎮座する四条畷神社への参道にあたる道で、両側に歩道もあり整備されていますが(そもそも車が走っていない)、JR四条畷駅から周辺の道路は、道幅狭く歩道はなくしかも車は多く、おまけにバス同士がすれ違うこともあり、おそろしく歩きにくい道でした。
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四条畷神社は、楠木正成(まさしげ)の嫡男・正行(まさつら)を祀る神社です。
正成が大楠公と親しまれているのに対して、地元では正行は小楠公と呼ばれています。
ところで拝殿ですが、横に別の神社(摂社)がひと続きにならぶたいへん珍しい造りです。
その摂社は御妣(みおや)神社といって、正行の母、すなわち正成夫人を祀っています。
飯盛山をのぼる
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飯盛山への登山口は表示もなく大変わかりにくいのですが、神社の参拝者用駐車場脇からこの道を上がってゆきます。
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さっそく飯盛山城の遺構の石垣が- – -と思ったのですが、やたらに整いすぎています。
これは斜面の補強のため昭和頃に造られたものでしょう。まぎらわしい。思わずニセモノと呼んでしまいました。
飯盛山城
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どうやら下の窪地は曲輪跡と思われます。石垣もみられるので、上の段と下の段とにわかれて曲輪が造られていたのでしょう。
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本丸のある曲輪の下あたりに位置するところで、かなりな規模で石垣が残っているのですが、残念なことに崩れがおきて修復工事をしていました。
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戦闘用の城郭部分(奥)と居住部分(手前)とは竪堀で区切られています。
竪堀(たてぼり:周囲に巡らせるのではなく、たとえば上から下へと縦に筋としてほられた空堀)
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楠公寺
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大東市側へくだる
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野崎観音(慈眼寺)
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野崎観音は1300年ほど昔、行基上人が開祖となった曹洞宗の禅寺だそうです。
解説によると、昭和の初期に東海林太郎が「のざきまい~りは~、やたいぶねでまい~ろ」と唄った「野崎小唄」なる曲で全国に知られるようになったそうですが、一世紀近くも前の話では訪れる人の誰ひとり合点するひとはいないでしょう。
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飯盛山の四条畷市側の登山口に四条畷神社があったように、大東市側の入口には野崎観音がありました。この野崎観音については山から下りてくる際に参詣したため本堂のあとで山門をみる、すっかり順序が逆になってしまいました。
【アクセス】JR四条畷駅から、JR住道駅まで歩きました。22,000歩
【入場料】すべて無料
【満足度】★★★★☆