禅寺・興聖寺を歩いて、禅については考えない

【京都府・宇治市 2026.9.4】

今日は曹洞宗(禅宗)の最初の道場として開祖・道元が開山した宇治市の興聖寺をたずねます。
京都で寺を訪ねるのなら比叡山延暦寺(天台宗)とか東・西本願寺(浄土真宗)などはるかに有名な寺がいくつもあります。
それどころか同じ禅寺でも臨済宗ならば南禅寺、天竜寺、東福寺など錚々そうそうたる名刹が(しかももっと便のいいところに)あります。
なぜ敢えて曹洞宗なのか、その理解をえるためには日本における仏教信仰の変遷をざっとお話しておく方がよいかと思います。

仏教が百済から伝来したのは6世紀半ばのこと。
飛鳥時代から奈良時代にかけて天皇直々の帰依もあって大いに隆盛します。この時代の仏教は平城仏教あるいは奈良仏教徒とよばれ学問としてえを学ぶのであり、出家したものしか救われることはなく、そのため後世には「限られたものしか救えない器=小さな乗り物」という意味で「小乗仏教」と揶揄されます。

平城京から長岡京、平安京へと遷都したのは桓武天皇ですが、平城京からはなれた理由の一つは強大な力をもちすぎた奈良仏教から距離を置くためだったと言われています。
桓武天皇の庇護のもとあらたな仏教をもたらしたのが最澄(天台宗、比叡山延暦寺)であり、その皇子である嵯峨天皇と深く結びつき独自の仏教(密教)をひろめたのが空海(真言宗、高野山と東寺)です。
奈良仏教が国家鎮護のために布教が後押しされたのにたいして、平安仏教は個人の救済に重きをおいたものです。これからのちの仏教は大乗仏教と呼ばれています。

ときは移り鎌倉時代になると、武家が台頭し朝廷の力が弱くなるのにともない庶民の存在が重視されるようになります。
庶民にとっては「多くの人を救う大乗仏教」といわれても、それを学ぶ時間も識る機会もありません。
そこで登場するのが、念仏を唱えれば誰もが救われると法然ほうねんの説く浄土宗であり、仏(阿弥陀仏)の救済を一心に信じることであらゆる人が極楽浄土へ行ける(救われる)と親鸞しんらんが説く浄土真宗。
こうして仏教は本来の釈迦の教えとは似ても似つかぬ、もっとも重要な「悟り」が抜け落ちた異形いぎょうなるものに変容します。

法然・親鸞の一世代あとに登場するのが道元です。
道元は比叡山延暦寺で出家しますが、そこでの修行生活に得るものを見い出せず山を下り建仁寺(臨済宗)で禅を学ぶことになります。

宇治川をのぼる

京阪宇治駅から宇治川沿いをのぼると、やがて朝霧橋が見えてくる
朝霧橋から眺める
中央の赤い橋の奥あたりに興聖寺


道元は建仁寺で学んだあと中国(南宋)にわたり、如浄にょじょう禅師に師事して修行の末に、ただひたすら座ること「只管打座しかんたざ」によりすべての煩悩や執着から解放された悟りの境地「身心脱落しんじんだつらく」に至ります。
おなじ禅宗でも臨済宗が座禅だけでなく公案(禅問答)のやりとりで理論をこえた悟りを目指すのに対して、曹洞宗はただ無心で座ることが修行のすべてであり、その無心で座ることこそが人の本性であり悟りそのものなのであるとしています。
もっとも、わたしのような煩悩のかたまりの凡夫には理解が難しいのですが、「悟りとはなにか」を考えることも「悟りの境地」を求めることもすべて支障になるだけ、なにも求めず迷わず考えずただ座禅をしなさい、これが極論すれば教えのすべてです。
それゆえ私がここで曹洞宗の禅とはなにかを書くことはできません。ましてやそれを読んで禅とはなにかを理解できるはずもありません。

※禅について、鈴木大拙氏の著作は当人が哲学者ゆえ妥協のない(?)硬い文章で書かれているため読みこなすのは、それこそ股関節の硬い人が座禅を組むほどになかなか、です。
個人的には、禅に興味をもったのでなにか読んでみたいのレベルであれば、鈴木俊隆氏の「禅マインド – ビギナーズマインド」をお薦めします。

興聖寺・琴坂

石門をぬけると、そこから琴坂がはじまります
琴坂を歩きます。
もし「ひとりで黙然と歩きたい道」を選ぶとすれば、この琴坂はトップ10に入るでしょう。
山門が見えてきました
中華風の山門
禅宗が朝鮮を経ず直接日本へ伝わったため建築などの文化もそのまま取り入れたものと思われます。

興聖寺・伽藍

道元は日本に戻ってっ来てからまずは建仁寺に身をおき、いかに座禅をおこなうかを説いた『普勧坐禅儀ふかんざぜんぎ』を記します。
そして座禅について文字にして書いたことで自分の伝えるべきものが臨済宗とはあきらかに違うことを確認したかのように、京都の伏見深川に道場として興聖寺を建立します。

それから間もなく、売僧まいすの巣窟と化した比叡山延暦寺が最澄や親鸞を追いやったように、あたらしい形の仏教を広めようとする道元に迫害を加えてきます。売僧坊主としては道元の説く「只管打座」を邪宗と見なしたというよりも、どんな形であれ自分たちの有する既得権益を犯されることを極度に嫌ったのでしょう。
道元ひとりで比叡山延暦寺に抗えるはずもありません。
道元は弟子でもあり越前の領主であった波多野某の招きで京都をはなれます。(その地で開基したのが永平寺です)
伏見深川の興聖寺は廃寺となり荒廃してしまいます。

それから4世紀後、江戸時代初期の淀藩主が命じてこの地に再興させたのがいまの興聖寺です。

左の大きな屋根が僧堂、右正面が薬医門
右に視線を向けると、鐘楼、奥の大きな屋根が庫裡
正面に法堂

曹洞宗の寺院において本尊は釈迦如来。
お経は般若心経。
曹洞宗の教えをひとつひとつ考え合わせると納得できるのですが – – –
禅においては、禅とは悟りとはくうとはなんであるかを考えること自体が誤った行ないなので、こまかく書くのはやめておきます。
ご自身で考えてみて – – – 考えてはいけないのですね – – – なかなか対処がむずかしい。

開山堂
開山堂内 / 中央に道元禅師の像
茶筅塚(ちゃせんづか)

禅宗は茶道とも深いつながりがあり、ここ興聖寺の茶筅塚では毎年10月の「宇治茶まつり」のさいには全国から使い古した茶筅があつめられ供養がおこなわれるそうです。

興聖寺をあとにする

琴坂をもどる

興聖寺は巨刹ではありませんが – – 京都にありながら静かで落ち着ける寺です。
なかでも宇治川沿いをのぼり、琴坂をひとり黙然とあるいた印象は思い出にのこる歴史散歩になりそうです。

ただし、禅においてはどちらが良いか悪いか、どちらが上か下かなど二元論で判断することもご法度とされています。
プロ野球も終盤となり、阪神タイガースが勝ったの負けたのと毎夜一喜一憂している私には、禅はあまりに縁遠いものなのかもしれません。

【アクセス】京阪宇治駅から徒歩15分
【拝観料】境内拝観は自由、堂内は500円
【満足度】★★★★☆